1-04 エヴァンジェリン(1)
そのドアには手作りの表札が打ち付けられていて、洒落た文字でエヴァンジェリンと書いてある。
僕は大切なご主人さまの姿を思い浮かべた。
大きくて力強さのある両の瞳を、上を向いた長い睫毛が守っている。
下には、そばかすが散っていて、みなもや鏡に向かいながら不機嫌そうに指先でさすっている姿を見たことがある。
気難しそうな眉毛が優しげな曲線を描いた時、ご主人さまは薄い唇を手で隠してくすくす笑う。
その時一緒に揺れるのは、櫛を通すだけで綺麗な螺旋を描く、なんとも不思議な金髪だった。
「さて、入りましょう」
マーガレットさんの声で、僕は我に返った。
頬の熱をごまかして、小さく咳払いをする。
僕は片手で桶を持ってドアをノックし、返事が無いことを確認すると、そのまま部屋に入った。
ご主人さまは、まだお休みになられている。
「おはようございます。エヴァンジェリンお嬢さま」
マーガレットさんが、ベッドで寝ているご主人さまに呼びかける。
はねた髪の毛を揺らしながら起き上がったご主人さまは、目をこすって大きなあくびをした。
たくさんのフリルが施されている窮屈そうなネグリジェは、薄桃色をしていて、右袖がめくれ上がってしまっている。
垣間見える腕は白くて華奢だ。
「おはよう」
ご主人さまは大きく伸びをして、滑り落ちるみたいにベッドから降りた。
それから辺りを見回し、僕の方を見る。
「ふうん?」
彼女は寝ぼけ眼のままじっと僕を見つめた。
かと思うと、みるみる顔が赤くなっていく。
目を見開いたかと思いきや、短く悲鳴を上げて、枕を掴んだ。
「こ、ここは女の子の寝室なのよ!」と言って枕を僕に向かって投げつけてきた。
僕は咄嗟に片手に桶を乗せて、お湯をこぼさないように、飛んでくる枕を反対の手で受け止める。
ご主人さまは顔を俯けて、真っ赤になったまま、怒りで(?)震えている。
「この子はお世話をするよう、ご主人さまに言いつけられているのです。お嬢さまの専属ですから、自由に使っていただいて構いません」
マーガレットさんの援護に僕は心の底から感謝した。
エヴァンジェリンお嬢さまが僕のご主人さまになる。
悲しいことに、今はまだ受け入れられておらず、嫌がられてしまっているみたいだけれど、それでも一生懸命仕えていこうと決心したのだ。
精一杯の感謝と愛を。
死にかかっていた僕に一口の水を施してくれた方が、この方なのだから。
「そ、そんな話は……」
「大ご主人さまが、驚かせてやりたいからとおっしゃって、秘密にすることになっていたのです」
僕は事前に教えられた通り、お湯にタオルを浸してしっかりと絞った。
そんな僕を見たご主人さまは、あんぐり口を開けて「え?」と言いながら後ずさった。
「自分で出来るんだから! あなたは出て行って!」そして一言、小さく付け加える。「はずかしい」
横に立っていたマーガレットさんは、意地悪そうに微笑んで「あらあら、それでは私は他の仕事もありますから、お言葉に甘えさせていただいて、出ていくことにいたします」
彼女は礼儀正しくお辞儀をして、僕にウィンクをした。
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