4-有為転変

有為転変-1

「なるほど、そうだったんですか」


 本格的に眠りについたらしい彰良の体を壁沿いに並べた椅子に寝かせてから、ツツウラはウイに事のあらましを洗いざらい吐くことになった。

 残業続きでうんざりしていたときに彰良と出会ったこと。あまりに残業が嫌だったので、仕事の手伝いを頼み込んで転生させなかったこと。転生も何も、何の手続きも処理もしていなかったこと。それを“会社”にも他の同僚にも隠そうとしたこと。

 そしてそのまま自殺者の対応をさせたこと。終わった時にひどく疲れている様子だったのでそのまま帰ったこと。日付が変わる頃に嫌な予感を覚えて物置に駆け込んだ時には、もう彼が倒れていたこと。

 先程まではその介抱をしていて、このような事例は初めてだったのでニンゲン式のやり方でやっていた、ということ。


「なるほど」


 その全てを聞いたウイが、納得の言葉を反芻した。

 数回小さく頷いてから、自分の前の床で膝を折り畳んで座っているツツウラを見下ろす。


「つまり、自分が無駄に仕事するのが嫌だから彰良君を巻き込んで、こっそり自分のパシリにして、楽しようとして、結果こうして無駄に彰良君を苦しめたわけですか」


 頭上から刺さってくる鋭い視線に、ツツウラは俯いたまま何も言えなかった。

 ウイが大雑把に無遠慮にまとめた顛末は全て事実だ。自分が楽をしたかったからただのニンゲンである彰良を巻き込んで、結果として彼が本来なら――死んだ以上もう味わう必要もない自死の追体験をさせてしまった。言い訳のしようもない。

 ツツウラ自身、まさかこんなことになるとは思っていなかった、という甘い考えもあった以上、その叱責は受けるつもりだった。

 ただ一つ、敢えてこの状況で言い訳するならば。


「……あの、言う必要もないとは思うけど」

「じゃあ言わないでください」

「じゃあ必要あると思って言うけど」

「はい」


 彰良を運ぶ前から続く憮然とした表情と物腰からして分かり切っていることだが、今のウイは相当怒っている。再認識して、ツツウラは痛むものもない腹部が重くなるのを感じた。

 火に油を注ぐようなことになりそうだったが、やっぱり言わないなんて言った日にはそれこそ逆効果だろう。だから、まだ彼女の顔は見れなくても、少しだけ顔を上げる。


「確かに彰良君を利用した形にはなるけど、俺別に、彰良君に苦しんでほしかった訳じゃないよ……」

「……知ってますよ、それくらい」


 拍子抜けしたとばかりに、ウイが肩を竦めた。

 予想外に穏やかな返答に、ツツウラは今度こそウイの顔を見上げる。が、その時には既にウイはツツウラから視線を外していた。

 ツツウラを挟んだ向こう、壁際の椅子の上で力なく横たわっている彰良を見て、ウイは微かに眉を顰める。


「……原因は、何かあるんですか? 長居しすぎただけじゃ、ああはならないと思うんですけど」

「……俺も本当にこういうの初めてだけど、多分、自殺者の魂と近付きすぎたことと長く接触したことだと思う、彰良君も自殺者だから。引きずられたんだ」

「引きずられた、と言うと」

「自分が死んだ瞬間を思い出した」


 ウイの表情が、苦々しいものへと変わる。

 その表情と瞳の中に自分への憤りが滲んでいるのを感じながら、ツツウラは膝の上に置いていた自分の手を見る。

 彰良の頭に触れたあの瞬間の、死の証とも言える色はもう残っていない。それでもまだ、感触だけが薄っすらと残っているような気がした。


「……黒くなってたから、すぐ分かった」


 彼が思い出したのは、断片的な死の瞬間の記憶。それは恐らく、死に直結するものか自殺当日の直近の記憶だ。今まで積み重ねられた死という選択肢を選ぶ為の感情自体は、まだ彰良の中で眠っているのだろう。

 それを全て思い出したとき、今度はどうなるか。ツツウラにもウイにも想像がつかない。

 なら、早急に転生させた方がいい。辛くて苦しくて自分の手で幕を下ろした“米田彰良”という人生を後にして、また別人として新しい生を歩んだ方が、彼にとっても幸福だ。彼はもう既に、終わったニンゲンだから。


「彰良君が起きたら、ちゃんと話しましょう」

「……分かってる」

「……今は朝を待つしかないですね」


 そうだ、もう出来ることは何もない。朝、彰良が無事に目を覚ましてくれるのを待つしかない。

 そうなると、ウイには一度帰って貰って、彰良が起きてからまた呼んだ方がいいだろうか。それを訪ねようと、ツツウラは改めてウイに顔を向ける。


「ねえ、ウイ君、一回――」

「ツツウラさん」

「な、何?」


 戻った方がいいんじゃないか、という後の言葉が、ウイの声で遮られる。

 険しさも鋭さもないが、それでもよく通る声で名を呼ばれ、ツツウラは反射的に背筋を伸ばした。


「うちの就業規則言えます?」

「え?」


 唐突すぎる問いに、思わず間抜けた声が出た。


「就業規則。――あ、その前に立ってください、正座お疲れ様です」

「あ、ああ……うん……ありがとう?」


 構わず話を進めるウイに訝しみながら、ツツウラは大人しく立ち上がる。


「……で、就業規則だっけ。どの部分?」

「最初の三つで」


 ツツウラは首肯して、一度だけ咳払いをしてから再び口を開いた。


「――“下界”に対し無用な接触をしてはならない。但し、人類を始めとする生命が滅亡の危機に瀕した場合はこの限りではない」


 下界、つまりは現世、生者の世界、此岸。そちら側に、死後の世界の存在である自分達がむやみやたらと接触することは、余程の異常事態か逆に余程の些細なことでない限りは禁じられている。これがまず一つ。


「生死に対し干渉してはならない。但し、戦争及び天災等で輪廻そのものに著しい影響を及ぼす場合はこの限りではない」


 此岸に存在する生命の生死全てへの、生と死を変えるような介入。つまり、死にそうな人間を不必要に生かすのも生きていられる人間を不必要に殺すのも、生死への干渉とされ禁じられている。これが二つ目。

 そして三つ目。


「死した人間の魂を、適切且つ特別な理由なく二十四時間以上放置してはならない。此れには例外は認められず、総ての魂は原則として二十四時間以内に転生の処理を行わなければならない」


 ウイから提示されたものを言い切って、数秒。ツツウラは、吐息程度の声で「あ」と漏らした。

 何故突然ウイがこんなことを言ってきたのか、ようやく分かった。あまりにも慣れ親しんだ情報と常識なせいで、すっかり忘れていた。

 今回の自分の行動は、今挙げた三つの規則全てに反している。

 一つ目は、自殺者を自殺未遂者へと変えること――言い換えれば彰良を介して下界に触れている。二つ目も同様。最後の三つ目は当然、彰良のことだ。


「……私達も色んなタイプがいるとはいえ、流石に一番重要な三つを同時に破ったのは、紀元前から数えても初めてじゃないですかね」


 最早ウイは、呆れを通り越して笑っていた。まだ義務教育も終えていないような、幼さの残る可愛らしい少女の顔で、しかし全てを悟った聖人のような笑顔を浮かべていた。

 つられるように、ツツウラもぎこちなく口角を上げる。


「いや、何だ……あの、俺も有史くらいからずっと、というか、ここ最近の残業続きにちょっと嫌気が……」


 最近、特にここ百年ほど。戦争や災害で輪廻が乱れぬよう管理するよりも、自殺者の数が増えてきたことの方がツツウラにとっては苦痛だった。

 それ自体は、現代日本を担当する同胞達なら誰しも少なからず抱いている思いだろう。――とある例外を除いて。

 その“例外”が、ツツウラの眼前ですっと笑みを消し去った。

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