有為転変-2

「ヒトが自分から限りある命を捨てる程の苦しい時代で、自分の残業の心配ですか?」

「や、いや違う、ごめん、」


 やばい、地雷踏んだ。慌てて取り繕おうとするが、もう遅い。


「私はツツウラさんのそういうとこがイヤなんですよ! 私達が現世の生命バランスを管理してるって自覚足りなさすぎでしょう!」

「ま、待ってウイ君、彰良君起きちゃう」

「残業したくないって何ですか! ニンゲンですか! 別に減るもんじゃないし残業くらいこなしましょうよあなた日本担当何百年やってるんですか!?」

「うるっさいな減るんだよ! 体も命も何も減らなくても俺の心は減るの!」

「だったらそのヘタれた心に制限かけて、感情の振れ幅抑制してりゃいいでしょう!?」

「あー! そうだよそういうヤツだ! ウイ君みたいなヤツが今の下界でブラック企業っての作り出すんだよ! 大体、昔から思ってたけどウイ君は仕事熱心すぎ」

「論点をずらさないでください!!」


 今までの怒声とツツウラの文句を全て塗り潰す声量で怒鳴りつけて、ウイはそばにあったテーブルを殴りつけた。

 鈍い音と初めて見る剣幕に、ツツウラは売り言葉に買い言葉で返していた文句を飲み込む。

 荒い呼吸を深呼吸で整えて、ウイはまだテーブルに置いたままの手を強く握り締めた。


「……ツツウラさん、何でこんな規則があるかくらいは知ってるでしょう」

「……下界の生命を、適切に管理する為」


 自分達は――そしてこの世界も、此岸の生命の均衡を保ち、生と死という絶対的な概念を司る輪廻を管理し調整する為に存在する。

 命が生きる世界への干渉も、個々の生と死を捩じ曲げるような介入も、魂を無用に滞留させるのも、全て均衡を乱す要因だ。

 たとえニンゲン一人に対する接触であっても、それが輪廻か世界かあるいは何かにどう影響を及ぼすか分からない以上許されない。確かこの理屈を、下界では蝶の羽ばたきが何とやら……と言っていたか。


「分かっているなら、どうして……!」


 ウイがその先を言うことはなかった。ただ、テーブルの上で握った手を微かに震わせて、悔しげに唇を噛む。

 巻き込まれた本人の彰良が起きない以上は、今は何を言ってもツツウラを詰る言葉にしかならない。それを理解しているからこそ、理性で抑えつけたというのが傍目にもよく分かる表情だった。

 いっそ、先程のように怒鳴ってぶつけてくれれば楽なのに。ツツウラは肩を落とす。


「何か、さ」

「……何ですか?」

「俺達、何でこんなにニンゲンに寄ってるんだろうって思わない?」


 苦しげだったウイの顔が、虚を突かれたようなものに変わる。

 何を今更。あるいは、お前がそれを言うか。そのどちらを言おうかと悩むように口を半開きにしたウイに、ツツウラは頭を掻いた。


「いや……こういう、俺の残業が嫌とか、ウイ君の仕事一筋とか、そういう感情ってニンゲンのものじゃん。ない方が仕事も楽だと思うんだけど」


 そこで一度言葉を切って、ツツウラは自分の後ろで眠っている彰良を見た。

 あの口論の中でも目覚めないくらいには熟睡してくれているらしい。それに対するニンゲンじみた安堵を感じながら、またウイに目を向ける。


「……俺みたいな、バカも減るしね」


 機械的に生と死を繰り返すだけの概念を輪廻転生と呼ぶならば、管理者である自分達にも感情など不要だろう。何だったら、人を模した形だって要らないだろう。

 己が模したニンゲンが嬉しいと感じるものに固執し、そして“そのように”振る舞ってきた自分がそんなことを言うのは、どこか滑稽にも思えた。

 そしてそれはウイも同じだったらしい。


「……ツツウラさんからそんな言葉を聞くとは思いませんでした」

「俺も、まさか自分が言うとは思わなかったよ」


 未だぽかんとした表情のまま、ウイがぽつりと漏らした。

 自嘲するように笑って、肩を竦める。

 この気持ちだって、自分達が感覚をニンゲンに寄せているから味わうものだ。いちいち感情の揺れに左右されない方が、輪廻を管理する上では都合がいい筈だ。それでも事実、自分にもウイにも、こうして自己を認識する自我以上の言わば“人並み”の喜怒哀楽がある。


「……でもそれだって、管理に必要なものなんですよ。だから、自分達でその度合いに制限をかけることだって出来るんですし」

「知ってる」


 勿論、このヒトを模倣した感覚だって、理由があるから存在する。理由なく発生するものはない。それにしても不思議だと、何となく思っただけのことだった。


「ニンゲンの魂がメインである以上、ニンゲンに寄った姿形と思考をしていた方が、結果的には“楽”だ。怪物の姿で驚かせるわけにも、宗教じみた姿で導くわけにもいかない――だよね」

「何だ、知ってるんじゃないですか」

「支部長に嫌って程言われたんだよ……」


 はは、とツツウラは力なく笑った。ウイも同じように微笑んで、まだテーブルに置いていた手をそっと開いた。

 口論の最中に僅かに乱れた自分の髪をその手で整えて、短く息を吐く。


「……夜が明けるにはまだ少し時間がありますね」


 ちら、と壁にかかった時計を見たウイが、独り言のように言う。

 窓の外の空は、まだ白んでいない。結構長らく怒鳴り合って――もとい、話し合っていた気がするが、案外そうでもないようだった。


「それじゃあ」

「ああ、じゃあまた朝に」

「私は帰りませんよ」


 言葉の先を予測して遮ったツツウラの声を更に遮って、ウイはきっぱりと言い切った。


「……え?」

「ツツウラさん一人で彰良君に説明できる気がしませんし」

「いやいや、大丈夫だよ」

「いいえ」


 流石に大丈夫だ、心配には及ばない。何から何まで説明するし、それで彼が怒っても泣いても、全てを受け止めるつもりでいる。……のだが、ウイは緩く首を横に振る。


「私も気付いていたのに放置した責任がありますから」


 ああ、そうだ。そういえば、最初彰良を寝かせる前に話した時も「昨日から気付いていた」とは言っていた。ツツウラは思い出す。

 となると、今から更に数時間、ウイと二人きりで彰良の起床を待たなければならない。

 そうなった場合、彼女が一体何を言い出すか。仕事熱心で自分のような同僚を許せない彼女がどうするか。ツツウラには何となく想像がついた。


「折角ですし、彰良君が起きるまで社訓と就業規則の唱和といきましょう」


 いいこと思いついた、と言わんばかりの笑顔。予想通りの台詞に、ツツウラは苦々しさを隠そうともせず顔を顰めた。


「唱和って……俺とウイ君しかいないし成り立たないしやめようよ」

「私が言って、その後にツツウラさんが言えば成立します」


 一縷の望みをかけてやめようよとは言ってみたが、即座に突っぱねられる。

 説得のしようもなければ逃げ場もない。本当の意味でやるしかないと腹を括らなければいけない状態というのは、こういう状況のようだった。

 今ウイを突き動かしているのも、自分がうんざりしている気持ちも、業務を円滑に行う為のニンゲンらしい感情の機微だろうか。

 だとしたらやっぱりいらない気がするなあ。ツツウラは喉元まで出かかった独り言を飲み込む。


「はい、じゃあいきますよ」


 前置きの後、すっとウイが息を吸い込む音を聞きながら、ツツウラは諦めて小さく頷いた。

 多分これが、ニンゲンで言うヤケクソだ。

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