首吊自殺-4

 あ、やばい。うっかり普通に怒鳴ってしまった。自分より立場も存在レベルも上の“先輩”と、自殺を決行した年下の子供相手に。

 彰良の額に冷や汗が滲むが、どうやら幸いにも二人とも彰良の声で冷静さを取り戻したらしい。


「……いや、ごめん、そうだね、落ち着くよ、落ち着こう……落ち着こう」


 ツツウラが額に手を当てて、緩く頭を振る。謝罪の後半は殆ど自分に言い聞かせるような暗示に変わっていた。

 対する少女は歪めていた顔を呆けたように緩めただけだが、それでいい。本来落ち着くべきはこの男だから。

 額を押さえてふう、と嘆息したツツウラの肩はまだ震えていた。それでもあの激情はどうにかして追いやったらしく、少女同様に歪んでいた顔は普段通りに戻っていた。

 それを確認して、彰良も安堵に肩を落とす。


「……あ、あの、」


 風が吹き抜けるときのような細い声。それが、眼前に立つ少女のものだと気付くのに、彰良は数秒の時間を要した。

 改めて、彼女の出で立ちを確認する。黒髪で薄紫の寝間着を着た、小柄な、歳で言えばせいぜい十五、六程度の少女。恐らく学生だろう。

 ただでさえ色の白い肌を更に青くさせて、少女が小さく口を開いた。


「あの、私、死んだんですか……?」

「……ここにいるってことは、多分そうなんじゃないですか」


 よく知らないけど。彼女が帰せる状態かどうかも分からないし。この状況から自分一人で分かるのは、彼女の命――魂とも言い換えられるそれは、この上なく死に隣接しているということだけだ。

 彰良は素っ気なく少女に返して、ツツウラに視線を向ける。

 丁度、彼は額を押さえていた手を離したところだった。彰良を見て一度首を傾げてから、すぐに「ああ」と漏らして、少女に向き直る。


「……青瀬仁美あおせひとみ君だね、西暦二千一年八月二日生まれの十六歳、性別は女性、ええと、今日の日付が“下界”だと二千十七年十一月二十四日。死亡時刻――じゃないね、ここに来たのが、午前五時五十四分、」

「な、なんで私の名前……」

「その様子だと自殺方法は首吊り、多分非定型かな」


 少女改め、青瀬仁美が息を呑んだ。どうやら、ツツウラが言った通りらしい。

 非定型首吊りということはつまり、身長以上の高さから縄を吊るし、足がつかないような状態で行われたのではなく、足や体が付く状態で首を吊ったということだ。

 あの、ドアや棚の取っ手とかベッドの枠組みでも出来るとかいうやつか。失敗する可能性もあるのに思い切ったものだ。彰良は呆れながら感心する。

 自分の個人情報も自殺方法さえも言い当てられた仁美が、少しだけ何か言いたそうにして、結局何も言えずに俯く。


「……非定型か、なら多分どうにかなるね」

「どうにかなるっていうか、どうにかするのが、俺の仕事なわけじゃないですか」

「まあ、そうだけど、幸いこの子首以外はそこまで黒くないし顔も見えてるから、早く帰せば何てことないよ」

「……早いなら早い方がいいですね」

「あの、一体何の話……」


 ツツウラが頷き、彰良が溜め息。目の前で交わされるやり取りの意味など知らぬ仁美が、恐る恐るという風に声を上げた。


「……非定型、実際死ぬまでの時間ってどれくらいでしたっけ」

「そのニンゲンの個人差があるから確定はしづらいけど、十分強」

「……分かりました、十分経ちそうになったら教えてください」

「分かった、じゃあお願いね。俺、ちょっと会社からのデータ整理しなきゃいけないから、あそこのベンチに座ってるよ」


 仁美の声には構わず、互いに必要な情報を交換する。

 あそこ、とツツウラが指差した先を見ることなく、彰良はもうとっくに歩き出している黒い背中に軽く手を振った。


「……えっと、私……死んだなら、どうしたらいいですか」


 独り言に近い声音だった。彰良はそれに導かれるように、また仁美を見る。

 こんな朝早くから、自ら首を締め上げる程に生を絶望視していた少女を、どうにかしなければいけないわけか。彰良はもう一度、心の中でだけ大きく溜め息をついた。

 それでも引き受けた以上は、やらなければいけない。それはツツウラという雇用主と契約した以上、遂げなければならない責任と義務だ。

 引き受けたのは、彼に当時の自分を重ねたからだ。自分にあてがわれた仕事に嘆くその苦しみを、彰良はよく知っている。

 ――もしかしたら、自殺の“先輩”として自分が接触することで早まる命を少しは救えるんじゃないか。そんな甘くて冒涜的な考えが脳裏を掠めなかったと言えば嘘になる。それでも、それを振り翳せる程の思いはない。

 だから、もう腹は括った。自分の本心が納得しているかは別として、自殺者を自殺未遂者として人生を送らせる覚悟は出来ている。

 彰良は一呼吸分目を閉じて、開いてから言った。


「死のうとした理由はよく分かんないけど、帰った方がいいんじゃないですか」


 彰良の顔を見上げる仁美が、目を瞠る。

 苦しいから死のうとしたのに、よく分かんないけど帰った方がいいなんて言われたら誰だってこうなるだろう。恐らく自分も、昨日この言葉を聞いていたら、確実に激昂した。


「……い、嫌です」


 案の定、仁美は怯えたような顔で拒絶の言葉を口にした。


「……ですよね、そりゃ嫌だわ」


 ふるふる、と首を振る度に揺れる黒い髪を見ながら、彰良は肩を竦める。本心だった。そりゃあ嫌だ。

 だが、彼女からしたら見知らぬ人間の軽い言葉だ。本心かどうかは重要ではない。仁美が僅かに怒りを込めて目を眇める。


「じゃあ、何でそんなこと言うんですか、何も知らないのに」


 先程よりは、覇気のある声。怒れるならまだ生きられそうだ、怒るのにも相当体力と気力を使うし。

 彰良は仁美の状態を分析しながら、同時に再度確認する。

 年齢は十六、きっと学生。首を吊った時刻は午前六時前。彼女のことを何も知らなくとも、彼女が死を選んだ理由はその二点で薄っすらと想像できた。

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