首吊自殺-2

 彰良は、閉じた瞼を突き抜けてくる光に目を開けた。

 途端に直接視界を焼く光に思わず呻き、反射的に目を閉じる。

 その感覚は正に、朝ぼんやりと目を覚まして、カーテン越しに差し込む日光が鬱陶しくて布団に潜り直す時と同じだった。

 手の甲で光を遮って、彰良は息を吐いた。

 昨晩――と言っていいのかはさておき、とにかく昨晩、ツツウラから言われたことは事実だったらしい。

 あてがわれた空き部屋、もといただの物置のような部屋に入って、ベッドらしきものも毛布もなかったので、取り敢えず棚や段ボールの隙間に体を押し込むようにして、生前の眠気を思い出そうとして――そこからの記憶がない。成る程。本当に、“寝ようと思えば眠れる”のは確かだ。

 彰良は再び目を開く。視界には手をかざしたままで数回瞬きして、光に慣らしてから、手を下ろした。

 本当に寝起きのようにぼんやりする頭を掻いて、凭れていた壁から背中を離す。

 長いこと同じ体勢でいたからか、鈍く軋む足で起き上がる。それにしても、肉体がないのに座って寝たら体が痛むというのは、些か気に食わない。

 体がないならないで、痛覚やこういう感覚も全部なくなってくれたら楽なのに。肩を回しながら思って、彰良は窓の外に目をやった。

 ガラス越しの見知らぬ地方都市の上には、白い雲が所々に散った青空が広がっていた。日差しの度合いから朝だろうと何となく判断して、彰良はすぐに窓に背を向ける。

 昨晩入った時にも思ったが、この部屋には時計がない。午前中であることは確かだが、何時なのか分からない以上ただぼんやりと突っ立っている訳にもいかなかった。

 時間の概念も生者の世界からトレースしているのなら、時計くらい置いておけばいいのに。……いや、自分も自分だ。もう無意味だからとか考えないで、どうせなら死ぬ前に腕時計くらいつけておくんだった。内心愚痴りながら、扉へと向かって歩く。

 元々、物だらけで狭い室内だ。扉の前まで数歩程で近付いて、取っ手に触れる。

 そのまま、彰良はふと手を止めた。指先で金属製の取っ手に触れたまま、体の向きは変えずに横を向く。

 無造作に置かれたスチール棚の骨組みの向こうに、自分と同じ体勢の人影が見えた。数秒眺めて、それがこれまた無造作に置かれた鏡に映っている自分の姿だと気付く。

 姿見だろうか、細長い鏡は薄く埃を被ったように曇っていたが、彰良の姿を映すには十分だった。

 乱れた髪と、その下の怠そうで陰気な顔。皺の寄った白いシャツと、黒いスラックスと、体の前面を覆う、緑色のエプロン。横向きなせいで見えづらいが、左胸で頭を垂れる“米田”の名札。

 自らの姿を鏡で確認して、彰良はようやく、自分の服装が仕事着であることを自覚した。

 そうだ。自分はこの姿で、昨日、つい昨日の朝に死んだのだ。この制服に袖を通して、靴を履いて、前日洗濯したエプロンを着たまま、このまま店に出てもいい状態で、それでも自分は――


「――彰良君、起きてる?」


 コンコン、と扉を叩く音と共に、扉のすぐ向こうから声がした。

 唐突に静寂を破った声と音に、彰良はびくりと過剰な程肩を跳ねさせる。指先が触れているだけだった扉の取っ手からも、完全に手が離れた。


「彰良君? 居るかな?」


 昨日一日で随分聞き慣れてしまった若い男の声が、改めて呼びかけてくる。


「あ……はい、起きてます」

「あー、よかった! 居た居た!」


 彰良は驚きをひとまず飲み込んで、ぎこちなく口を開いた。

 途端、扉越しに安堵する気配がして、夜が明ける前と変わらない態度に彰良も同様に安心する。

 改めて取っ手に触れて、今度こそ扉を開ける。


「おはよう、彰良君」


 彰良が扉を開けた先で、ツツウラは笑顔で立っていた。喪服のようにも会社員にも見える黒いスーツ姿は、最後に彼を見た記憶から何ら変わっていない。

 おはようございます、と軽く頭を下げて、彰良は後ろ手に扉を閉める。


「よく眠れた?」

「……まあ、眠れたのは眠れましたけど、ベッドもブランケットもなかったので座って寝ました」

「あっ……あー……ごめん、忘れてたよ、そうだね、ニンゲンはベッド要るもんね。よかったら、別の部屋案内しようか?」

「いや、いいんですけど……あとで枕と毛布一枚貰えたら、自分で何とかします」


 申し訳なさそうに肩を落とすツツウラに、彰良は首を横に振った。

 彼が言う“別の部屋”がどこを指すのかまでは分からないが、昨夜この雑居ビルを“自室”と称していた辺り、その部屋がこの建物内にあるとは言い切れない。

 自分はまだ、この世界の常識も情報も、ツツウラの説明以外では殆ど知らない。そんな状況で彼から不必要に離れるのは避けたかった。


「分かった、枕と毛布だね。他に何か欲しいものがあったら持ってくるよ」

「お願いします」


 それなら、あとで落ち着いたら時計でも持ってきて貰おう。再び頭を下げて、彰良はツツウラを見た。


「……今日は、仕事あるんですか?」

「あるよ。彰良君にも色々と教えたいしね、少し早めに出ようと思って起こしたんだ」


 冷静に考えてみたら、頭の悪い質問だった。ツツウラ達が人間の生き死にの整理整頓に携わっているのなら、仕事がない日はないだろう。人はいつだって、山程産まれて山程死んでいる。死因はさておいて。


「もう、出られるかな?」

「あ、大丈夫です」

「じゃあ行こうか、歩きながら色々話でもしよう」

「……俺も、そう思ってました」


 外へと続く玄関の扉を指差したツツウラに、彰良は頷く。

 彰良も同じように考えていた。これから“仕事”に赴くと言うツツウラについて行けば、自ずと様々な情報は手に入るだろう。そしてそれを理解するには、彼に訊くのが一番早い。

 玄関で靴を履きながら、彰良は「ああ」と声を上げた。思い出した。


「今日、俺の仕事ありますかね」


 それは言外に、今日は自殺者が出るだろうかという問いだった。

 昨日命じられた業務内容は、自殺者でまだ現世に戻せそうな人間は“追い返す”こと。つまり、どうにかこうにか説得して、「また頑張ってこい」と自殺する程の苦痛の中に叩き落とし直すこと。

 自殺した人間だからこそ説得できることもあるだろう。だとしても、その痛みを一度得ている自分がそれを行うのは、どことなく滑稽とも皮肉とも思えた。


「彰良君の仕事……そうだね。なかったら、俺が嬉しいんだけどなぁ、今日も早く帰りたいよ」


 ツツウラが、冗談めかして苦笑する。

 傍目には普通に見えるその笑顔には、人の自死に対する特別な感情など欠片もなかった。

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