移住7年目は、のんびりまったり低浮上

心がふわりと赴くところ

 ふと息苦しさを覚えて、夜中に飛び起きた。

 どうしようもないほどの不安に押し潰されそうになりながら、かたわらで眠る相方の寝息に耳を傾け、ゆっくりとした鼓動を感じて、ほおっと息を吐く。

 ベッドからそっと抜け出してリビングルームに向かい、お気に入りのクッションにあごをのせて小さなイビキをかく犬と、キャットタワーの上でウミャウミャと寝言をつぶやく猫の寝姿を確認して、ようやく安堵した。


 ……ああ良かった、生きている。家族も、私も、ちゃんと生きている。




 母の急逝きゅうせいは、「生きとし生けるものの命は、前触れもなく、呆気なく絶ち切られる」という新たな呪詛を、私の中に刻みつけた。

 おかげで、昨年末から絶不調。とにかく全てが悪い方へ、悲惨な結果へと動くような気がして、ずぶずぶとネガティブ沼にハマり込み、身動きが取れなくなった。

 要は、マダニに噛まれてノイローゼ気味だったあの頃(既出のエピソード『色々なモノに囚われてます』参照)のヘタレな私に戻ってしまったワケで。

「アカンやん、私! とにかく余計なことを考えへんように、何かに没頭したらエエんよ!」

 頭の中では分かっていても、心と身体がついていかない。

 そんな状態が続いた。



 「どうやら、ワイフがマダニ騒ぎの時と同じような状況に陥ったらしい」と気付いた相方は、あの頃と同じように、率先して私を外に連れ出すようになった。

 愛犬サスケと一緒に新しいトレッキングルートを開拓したり、評判の良いレストランやベーカリー巡りをしたり、「次は何を作る?」とクラフトショップに連れて行ってくれたり……

「キミは今、深い海の底に潜ったままの状態なんだ。ボクが『Don't worry. You'll be fine.(心配ないさ、大丈夫だよ)』と言ったところで、海の底にいるキミの耳には届かない。だから、キミがぷっかりと浮き上がってくるまで、のんびり待つことにしたんだ」

 そんな風に、共通の趣味であるダイビングに現状を例えた相方の言葉が、ストンと胸に落ちた。「この人、私のことをホントによく理解しているなあ」と感動すら覚えた。

 おかげで、「そやね、深く長く潜った後に急浮上するのって、ムッチャ危険やもんね。ムリせずゆっくり浮上すればエエんよね(注)」と考えるようになった。 

 

 「万が一の時のために、メモを作ろう」と思い至ったのも、その頃だ。

 相方は、勤務先に遺言書代わりの書類を提出する義務のある職種に就いている。なので「僕が先に逝っても、キミが困らないようにしてあるから」というのが口癖だ。

 でも、私が先に逝った場合、どうするのだろう?


 相方の日本語能力は「簡単な挨拶ができる」に毛が生えた程度だ。在外邦人である私に万が一のことがあれば、日本にいる親族への連絡に加えて、最寄りの日本大使館(または領事館)で諸処の手続きを行う必要に迫られる。在外公館なら英語は通じるが、私の親族はそうはいかない。日本の役所での手続きも、当たり前だが全て日本語だ。

 だから、私にもしものことがあっても相方が一人で動けるように、思いつく限りの緊急時の連絡先と、その際に相方が必要になるだろう日本語をローマ字表記にして書き出した。それをエクセルで表にしてプリントアウトしたものを、冷蔵庫に貼り付けておく。もちろん、このメモを使う必要がないのが一番良いのだけれど。

 先のことは誰にも分からないから、準備しておくに越したことはない。



 私がゆっくりのんびり浮上準備をしている間にも、私の周りの世界は動いていく。


 東海岸の桜が満開を迎える4月初旬。

 母の相続手続きの期限が迫っていたので、必要書類を申請すべく、ワシントンD.C.の在米日本大使館に赴くことになった。

「タイダルベイスン (Tidal Basin:D.C.を流れるポトマック川に隣接する人工湖。お花見スポットとして有名)の桜が満開みたいだから、キミの用事が済んだら観に行こう。その後は、泊りがけでボルチモアを観て回ろう。行ってみたい場所があるし、気分転換になるよ」

 D.C.も、そこから車で北上して1時間程のメリーランド州ボルチモアも、相方が仕事で何度も訪れている街だ。出張先で時間を見つけては地元の観光地を訪れるのが常の相方が、そんな風に「のんびり観光の旅」を提案するのも、なかなか浮き上がって来ないワイフを見兼ねて「ちょっと引っ張り上げてみよう」とでも思ったからだろう。


 アメリカ東海岸には、植民地時代から存在し、この国が成立する上で歴史的に重要な役割を果たした都市が多く残っている。

 その代表格のワシントンD.C.には、昔からの街並みを残しつつ幹線道路を整備した区画が多く残っているため、道幅がとっても狭い。馬車が通っていた道を車道にしたワケだから無理もないのだが、近代的な大通りをちょっとでも離れると、アメリカ人の相方をして「出来れば運転したくない」と言わしめるほど狭くて入り組んだ道路にぶち当たる。おまけに、車道でもお構いなく徒歩や自転車で移動する人が多くて、危険極まりない。

 1700年代初頭から南部州の貿易港として栄えたボルチモアも、アメリカで最も古い都市のひとつだ。故に、道路事情もD.C.同様。中心部から少し離れると急勾配の坂が多く、とにかく運転し辛い。

 D.C.やボルチモアのような古い街は、徒歩での観光がオススメだ。街自体がコンパクトで、観光スポットは一点に集中していることが多いので、あらかじめ「ここまで車で移動して、ここからは徒歩で観光する」と具体的なプランとルートをチェックしておこう。その際は、歩き慣れた靴を忘れずに。



 ボルチモアでも至るところで桜並木を見かけた。桜の花びらが舞い散る街をのんびり歩きながら、「なんだか、日本の春みたい」とほっこり、ウキウキ。バージニア州にも桜並木はあるが、完全な車社会なので「桜吹雪の中を歩く」という機会は滅多にないのだ。

 歩き回るとお腹も空く。ボルチモア名物のブルークラブ青カニを使った料理に舌鼓を打ち、デザートのチェリーパイを頬張りながら、心のスイッチがカチッと音を立てて切り替わったような気がした。 


 ゆっくりのんびり浮き上がりながら、そろそろ水面に顔を出してもよいかな……


 そう思い始めた6月初旬。

 住人を失った実家の取り壊しが始まった。



 姉が取り壊し作業を確認するために撮った写真が、私への報告代わりに毎日のように送られてくる。

 設計技師だった父が、家族の要望を聞きながら設計図を引いた家。それが少しずつ崩されていくのを目にして、大好きだった父との想い出までもがボロボロと崩れていくような気がして。

 整地となった実家跡の写真を前に、「これで、私が帰る場所は本当になくなってしまったんだ」と思い知らされて。

 涙がこぼれて止まらなくなった。


 きらきらと光差す水面に向かって、のんびりゆっくり浮上を続けていたはずが、心がうつむいてしまったせいで、またもやぶくぶくと深い海の底に沈んでいく――



 のんびりゆっくり、ぷかぷかと浮き上がっては、ぶくぶくと沈み、またぷかぷかと浮き上がり……そんな風に、浮上と潜降を何度も繰り返しながら、私の心が陽の光を反射してきらめく水面にぷっかりと浮かび上がったのは、バージニア州のうだるような夏が過ぎ、木々が紅葉に染まり始めた頃だった。



***



 「Home is where the heart is」という英語の慣用句がある。


 直訳すれば、「家とは心があるところ」。

 なんのこっちゃ、とツッコミを入れたくなるが、アメリカでは自宅のデコレーションや女性用アクセサリーなどに刻まれる言葉として、とってもポピュラーな表現だったりする。

 適当に意訳するワケにもいかないので、英語サイトをググって色々と調べてみた。


 その結果、


 10人のアメリカ人に「コレってどういう意味?」と聞けば、10通りの答えが返ってくる……それくらい、様々な解釈がヒットした。思わず「英語って、ほんまにテキトーやわあ」と苦笑い。

 その中で圧倒的に多かったのが、次の解釈だ。


「やっぱり我が家が一番」

「我が家は心が休まる場所」


 なんともベタ過ぎて、ツッコミようがない。旅行や用事で自宅を空けた後、しばらくぶりに帰宅すると「はああ、やっぱ我が家が一番やねえ。むっちゃ落ち着くわあ」とリラックス……という、アレだ。

 「我が家が一番」という意味では、「Home sweet home」や、『オズの魔法使い』のドロシーが唱えた呪文「There is no place like home」の方がピッタリくるような気がするのだけど。


 さて、次に多かったのが、


「家とは、愛着を感じたり、居心地が良いと感じる場所」


 「Home」という言葉に焦点を当てると、こういう解釈になるようだ。

 外国語として英語を学んだ人間の脳内では、英単語の「Home」と「 House」は、どちらも「家」と変換される。二つの単語には、明確なニュアンスの違いがあるにもかかわらず、だ。

 「Home」は精神的な温もりや安らぎを感じる場所、そこへ帰りたいと心から思う場所のことで、「House」は物理的に存在する建物のことだ。


 ここで自己分析。

 私の場合、父が家族のために建てた家(=この時点ではHouse)に愛着があった。愛着が生まれた時点で、私の中での「House」が「Home」へと変化した。けれど、母が居る家(House)は居心地の良いものではなかった。精神的な安らぎを得られない場所は、「House」のままだ。

 母が亡くなって、父との想い出が詰まった家(Home)だけが残された。 

 実家が取り壊された後、「これで、私が帰る場所は、本当になくなってしまったんだ」と感じたのも、私にとって「Home」だった父の面影が、きれいさっぱり失われてしまったからだろう。


 では、もう一つ。

 一番しっくりくるなあ、と感じた解釈を。


「愛しいものがそこにあるから、どこに居ても、そこに帰りたいと思う。それが、あなたの『家』」



 アメリカ移住から3年後の夏。

 父の葬儀に参列するため一時帰国した時のこと。成田空港に降り立った瞬間、見るもの全てが愛しく、懐かしく思えた。「ああ、やっと帰って来た」と胸がいっぱいになったのを、今でもはっきりと覚えている。 

 日本は変わらず、私の「Home」でいてくれた。


 けれど、姉夫婦宅で過ごすうちに、少しずつ、違和感を覚え始めた。

 大好きな大阪に帰って来たのに、時間が経てば経つほど、心がそわそわと落ち着かない。

 いつも隣にいるはずの相方が、隣に居ないから。

 いつも私の足元にうずくまって寝ている愛犬が、そこに居ないから。

 いつも私の目の届く場所で毛玉のように丸まって居眠りをする愛猫が、どこにも居ないから……

 まさに、「Home is where the heart is」がピタリと当てはまる状況だった。



 Homeには「故郷ふるさと」という意味もある。

 大切な想い出がたくさん詰まった、掛け替えのない場所。それが、故郷としての「Home」だ。


 私の故郷は、いまだ、はるか彼方の空の下にある。

 ふと懐かしい想い出に浸る時、私の心が無意識にふわりと飛んでいく先は、生まれ育ったあの街だ。

 けれど、移住して7年目にもなると、相方と愛しいモフモフ達が居るアメリカ南部州バージニアの家が、「私が帰るべき場所」なんだと思えるようになった。様々な問題を抱えるアメリカの、その中でも保守派の白人至上主義者が多く住む土地なので、住み心地が良いかと聞かれれば、答えに困るけれど。


 とりあえず、私の「Home」はここにある。

 だから、これからずっと一緒に居る人との日々を大切に過ごし、とんでもなく幸せだと心から感じる想い出をたくさん作っていこう。

 そうやって歳を重ねて、いつの日か、私の心がふらりと赴くところが、相方と暮らした場所であれば良いなあ、と切に願う。


 Home is where YOUR heart is.




(注)ダイビング終了後(の安全停止を経て)浮上を始める際、速いスピードで浮上すると、肺の中の空気が膨張して破裂する危険がある。また、ダイビング中に体内にたまった窒素が気泡となって組織を圧迫したり壊したりする「減圧症」の危険もある。なので、自分が吐いた泡がぷかぷかと水面に向かって昇っていく位のスピードで、ゆっくりと安全な浮上を心掛ける──という、ライセンス取得済みのダイバーなら知っていて当然の基礎知識。



(2022年12月30日 公開)

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行く末は空もひとつの〜関西人のアメリカ暮らし〜 由海(ゆうみ) @ahirun

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