三十六段目

 目が覚めると、もうお昼前になっていた。日付が変わる頃に眠りについたと思うから、半日近く眠っていたことになる。


 昨日はそれなりに濃い一日を送って、眠る前もいろいろと考えていたのに、夢はまったく見なかった。今こそが、夢なのかもしれない。中学生のわたしが見ている、長い夢。そうならいいのに。


 携帯を確認すると、一件のメール。お父さんからだ。「昼は帰らないから、昼飯は外で食べる」とのこと。ということは、もう出かけているのだろう。


 喉が渇いたから、リビングへと出る。カーテンの閉まっている部屋は少し薄暗く、時間の感覚を狂わせた。のそのそとカーテンを開け、部屋に光を入れると、ようやくわたしの身体と頭も目覚めてきた。


 少し早いけれど、昼食を作ることにする。寝起きで特別やる気も出ないので、簡単に作れるものにしよう。


 冷凍していた白ご飯を、ほぐれる程度に温める。温めている間に、玉ねぎとベーコンを冷蔵庫から取り出して、みじん切りにする。


 切ったものと、冷凍のコーンをフライパンに入れ、塩コショウで炒める。炒めたものを一度取り出して、フライパンをもう一度温めなおす。


 溶き卵をフライパンに入れて、素早くご飯も入れる。適当なところで予め炒めていた玉ねぎとベーコンとコーンも入れて軽く味を整えれば、チャーハンの出来上がり。


 リビングのテレビをつけて、一人でもそもそと食べた。火の通ったコーンの甘さと、ベーコンの塩気がうまく引き立てあっていて美味しい。わたしが初めて覚えた料理で、唯一お母さんに教わった料理だ。


 休みの日のお昼によく作ってくれて、二人でテレビを見ながら食べた。「ご飯と卵さえあれば、あとは何にでも合うところが好き」と、お母さんはよく言っていた。


 わたしも、お母さんの作るチャーハンが好きだった。だいぶ上手にはなった気がするけれど、お母さんの作るものには遠く及ばない。


 お母さんが作ったものは、もう少しコショウに存在感があって、その存在感が具材すべての味を目立たせて、尚且つ綺麗にまとめていた。


 わたしの作ったものは、少しコショウ辛い。この前作った時は、少なく感じたのに。


 一口食べる度に、お母さんの味を思い出す。卵を二個にしてみようか。粗挽きコショウに変えてみようか。炒める時間の問題だろうか。


 テレビの音は入ってこず、お母さんの味だけを追い求めていた。わたしが知っている中で、一番簡単な料理。けれど、一番味に納得出来ない料理。


 目標地点に到達したいけれど、時計の短針くらいの速さでゆっくりと近づきたい。すぐにお母さんと同じ味になってしまうことが、なんだか嫌だった。


 お母さんの居ない家の中で、唯一ただお母さんだけを感じるものだから。自分のものにしてしまうのが、少しだけ残念に思えるから。


 すべて食べ終えると、洗い物をして自分の部屋へと引き返した。


 心細く、満たされない気持ちのままベッドに横になる。お腹はいっぱいなのに、満足感がない。苦しいのはお腹だけで、それ以外は全身、乾燥したヘチマみたいにかすかすな気分だった。


 割れた鏡が視界に入る。昨日使ったまま、閉め忘れていたみたいだ。右側の扉、金具のすぐ近くに大きな一筋の亀裂が入っている。


 前に割れた時は、わざわざ家具屋さんに持って行って修理してもらったっけ。「もう古いから捨てよう」というお父さんの意見を無理やり押しのけて、修理に出してもらったのだ。


 たしか、「直してくれないと毎食ピーマンを出す」って脅したっけ。自分で壊しておいて、横暴過ぎる。今思うと、よくそんな我が儘を受け入れてくれたものだ。


 修理が終わって家に帰ってきたドレッサーは、新しくわたしの部屋に置くことにした。その時も、お父さんは少しふてくされていたのを覚えている。その日の晩ご飯が、マカロニグラタンだったことも。


 ベッドから降りて、机の引き出しからマスキングテープを一つ取り出す。可愛いクマのイラストが描いてあって、どことなく子供っぽい。かなり前に、杏子が三つセットで買ったものを一つ貰ったのだ。


 そのマスキングテープを、亀裂にそって丁寧に貼りつける。豪華なつくりの鏡とは不釣合いで、なんだかおかしかったけれど、応急処置になっただろうか。


 傷に張られた子供っぽいマスキングテープと、レースみたいな装飾のされた鏡がなぜか親子に見えて、わたしはそっと扉を閉めた。


 ドレッサーの引き出しを開ける。お母さんが使っていた時のように整理されておらず、わたしの少ない化粧道具が、雑多に入っている。


 綺麗に整理してみる。何度もやっているけれど、お母さんが使っていたようにはならない。物が圧倒的に少ないのだ。


 お母さんは、上の棚に溢れるほど色々持っていたけれど、わたしの場合は引き出しがやっと埋まる程度。高校生になった時にいくつか増えたけれど、それでもお母さんには届かない。


 これは、はやくお母さんに追いつきたかった。お父さんと同じくらい、大好きだったお母さん。


 自分の持っていた鏡を捨ててまでお母さんの三面鏡を使うようになったのは、ただこれが好きだからではなく、お母さんみたいになりたかったから。


 自分の信じたものに真っ直ぐで、豪快な言動に似合わず手先が器用なお母さん。


 出て行った理由が、たとえ酷いものであったとしても、わたしはお母さんを好きでい続けられるだろう。わたしの中のお母さんは優しくて、わたしのことを大好きだといつも言ってくれたから。


 わたしは、わたしの家族が大好きだ。離婚しても、居場所が離れていても、大好きだ。それは、何があっても変わらない。


 幸せの詰まった宝箱のような想い出があるから。キラキラ光るガラス球も、高価な宝石も入っていないかもしれない。誰かから見たら、ただの石ころかもしれない。


 けれど、わたしにとっては、それが宝物だ。家族でご飯を食べるという当たり前が。並んで同じテレビを見るという当たり前が。寝る前に「おやすみ」という当たり前が。


 ベッドの縁に腰掛ける。すると、足にビニール袋があたった。中を確認すると、一本のペンと、便箋。遺書を書こうと思って買ったものだ。そういえば、まだ書いていない。


 袋から出してペンを構えてみたけれど、何を書こうか迷ってしまった。


 淳斗のことは、もう書けない。ある程度すっきりしてしまったし、その現場に杏子もいたから。もう一度蒸し返すようなことをすれば、杏子は不審に思うだろう。


 それよりも、一つはっきりさせるべきことがある。わたしの気持ちだ。


 昨日秋介に言われたことを、言い返さずに逃げてきてしまった。秋介の前ではっきりさせよう、わたしが死ぬということを。そして、秋介の目の前でこの遺書を書こう。


 わたしは、急いでお風呂に入ってシャワーを浴び、携帯と財布と先ほどの袋を持って玄関を駆け出た。

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