十七段目

 答えた声には少しだけ寂しさが混ざっていて、ケーキに乗っているすっぱい苺のように、余計に秋介の優しさを際立たせているような気がした。


 秋介の言うある目的が気になったけれど、聞いてはいけない気がした。秋介の大切なものに、気安く触れてはいけないと思ったからだ。


 わたし自身、気安く触れてほしくない。


「僕が死ぬのは、今じゃない。だから、一緒に死ぬことはできないんだ。ごめんね」


 秋介の変な苦笑いは、申し訳なさが混ざって余計に変になった


「わかった。じゃあ、わたし待つよ」


「待つって、僕が死ぬのをかい」


「理由は違っても、行き着くところは同じならいいでしょ。それに、少し前に決めたの。旅は道づれってね。秋介が一緒なら、死への旅も、死後の旅も、退屈しなさそうだしね。もちろん、秋介が嫌じゃないなら」


 勢い任せに言い切ったけれど、わたしはなんだか照れくさくなってそっぽを向いてしまった。


 秋介の返答を待ってみるけれど、ツッコミはおろか、ため息すら返ってこない。


 全くの無反応が気になって、秋介の方へ視線を向ける。


 秋介は、大きな丸眼をもう一回り大きくして、電池切れのロボットのように制止していた。


 目の前で手を振っても、なにも反応がない。もしかして、ゼンマイ式だったのだろうか。どこかを巻けば復活するのだろうか。


 しばらく手を振っていると、手首をがっしりと握られる。あまりに突然すぎる動きに、口から短い息が漏れた。


 そのままさらに制止。三秒くらいで手の力がぬけていったので、思わず二歩分ほど後ずさりしてしまう。


 そんなにも、怒らせてしまったのだろうか。申し訳なさと、訳の分からなさが頭の中をぐるぐる掻き回った。


 先に飛び降りようか。少し残念だけれど、一人旅もまあ、悪いものではないだろう。短い溜息とともに、わたしの視線は足元へと、力なく落ちてゆく。


――くつくつ。くつくつ。


 私の耳に変な音が届いた。なんだろう。使い込み柔らかくくたびれた靴で、硬い地面を歩いているような音だ。


 あたりを見回してみても、音の原因は見つけられない。わたしにしか聞こえていないような気がしてきた。


 自死はかまわないけれど、よくわからないものに殺されるのは嫌だ。矛盾した恐怖がそろりと手に触れそうになる。


「ねえ秋介。なんか変な音聞こえない」


 秋介を見ると、身を前向きに折りたたんで、顔を手で覆っていた。心なしか、小刻みに震えているような気もする。


「もしかして、笑ってる?」


――くくっ。くつくつ。


 どうやら正解らしい。なんとまあ、奇妙な笑い声なのだろう。こんな笑い方をする人、始めてみた。


 しばらくのあいだ、秋介の手はずっと顔を覆っていた。くつくつという不規則な、つかみどころのなくふらふらとしたリズムは、秋介らしさを感じさせる。


 ふうと短いため息をつくと、秋介はようやく肩の力を抜いた。


「どう、落ち着いた?」


「いや、自殺志願者の割には、突拍子もないことを言うもんだからさ、笑っちゃったよ」


 また少し笑いが帰ってきた秋介は、それをおなかの奥へと押し込んでいる。


「自殺志願者の大爆笑も、そうそう見れるものじゃないんだろうけどね」


 仕返しとして、軽い意地悪を言っておく。これくらいはいいだろう。


「僕を待ってくれるなら、いつもここにいるから、好きなときに来てくれればいいよ。僕としても、退屈しないから嬉しいし」


 逃げるように、無理やり話を変えられてしまった。意地悪が効いたのだろうか。


「いつもって、学校は?」


「もう夏休みだよ。沙英のところはまだなのかな」


 そういえば、明日行けば終業式で、明後日から夏休みだ。


「そうだね、そういえばそうだった」


 わたしの人生、最後の夏休みだ。


「秋介の時間は、いつまである予定なの」


 秋介を待つと決めた。それまでは、わたしの命は引き伸ばされる。少なくとも、自ら絶つことはないだろう。


「七月いっぱいかな。八月の最初には、テストの結果が出るから、それまで」


 これから死ぬのに、テストを気にするのかと少し不思議にも思ったが、秋介には秋介なりの、死ぬ理由があるのだろう。


「それじゃあ、それまで身辺整理でもしようかな。夏休みで時間もあることだし」


 旅の支度をしよう。部屋を綺麗にして、アルバイトも辞めて。


 他の人には、いつも通り接しよう。悟られること無く、逝くことにしよう。ありがとうは、遺書の中にだけたくさん詰めておけばいいだろう。


 お父さんには、今までどおり接する自信がないな。喧嘩しちゃったし、顔を見るだけで、泣きたくなってしまうに違いない。


 さっと風が吹いた。まだ少し肌寒い夜風は、わたしの中を再び冷たくしていった。


「紗英の気持ちは嬉しいけれど、気が変わったらいつでも言ってくれればいいからね」


 秋介の変な苦笑いはほそぼそと頼りないのに、一人じゃないのだと安心させてくれた。

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