どうか生きてください、魔王様

御月 依水月

第1話


 私は無力だった。主と定めた人物を守れず、其の方よりあとに死ぬ不幸をお許しください。


 私は無力だった。魔王様につかえているのに、知力も腕力にも劣る私風情が、側近として扱われて守られた。

 だが今は、周りに居た屈強な家臣は既に切り殺され、残るは私と魔王様になった。


 そして、私は無力だった。目の前には『勇者』という存在がいる。

 勇者は私を一目見た時に、何故か攻撃をしてこなかった。


 きっと、自分でも自覚している人間らしい見た目と、端的に言えばうるわしいと表現して余りある容姿ようしだからだろう。まるで、囚われの姫君とでも間違えたのだ。

 ひたすら人間の言葉で『君を助ける』と、羽虫のように五月蝿うるさかった。


 私なんかよりも、生涯を賭して守り通したかった魔王様の命を、助けて欲しいと願っていた。


 しかし、魔王様は私を抱きかかえると、耳元で小さくつぶやいた。


「もしもの時は、逃げなさい。我の事など考えず、ただ生き残る事だけを考えて。例え我が死のうとも、踏み越えて生きなさい」


 私から見ても、魔王様より勇者の方が強く見えた。魔力の強さ、装備に宿る神の力、そして魔王様を見据える怨嗟えんさの炎。


「嫌です。もし主が死ぬと言うのなら、私は後を追ってきます。それが認められないと言うのであれば、どうかこの場から逃げ、生き長らえて下さい……」


 だが、魔王様の取った行動は、私の望む形ではなかった。言葉をしゃべれぬ魔法を掛けて、魔法の使えぬ呪縛を掛けて、無造作に抱えた私を地面に放り投げたのだ。


「勇者よ、この娘はさらって来た我の玩具おもちゃだ。いくら勇者とて、くれてやることは出来ぬ」


 本当は分かっていた。私は魔王様に気に入られ、精神的な寵愛ちょうあいを頂いていたのだ。


「ぁ……」


 最後の言葉はつむげなかった。沈黙の魔法を掛けられて、床に打ち据えられた衝撃だけで、思考が麻痺するほど弱い私の言葉など、届かなかった。

 そんな弱さが、憎かった。


 勇者への恨みなんて、不思議と沸いてこなかった。ただ自分が、何も出来ない事に憎悪を燃やした。


「ぁ……」


(どうか、来世が許されるのであれば、また貴方の元で御仕おつかえしたいです)


 そこで気付いた。右の腰には、まだ短剣があった。

 魔王様の元では護身用にもならないその短剣は、人間である勇者には有効かもしれないと考えた。


 でも、魔王様と互角にやりあう姿から、通用しないことは明白だった。これは選択であり、何をしても変えられない世界に対して、自分がどう立ち向かうかの選択だ。


 自害の為にと短剣を使うか、一矢も報えないと分かっていても、万が一、億が一、通用しないと分かる勇者に歯向かうか。


 なのに、苦しみに動けない自分が憎かった。


 だが、魔王様は私を見ていた。勇者から逸らした視線の先で、私は見られていた。


 ひとつだけ、魔王様は相打ち覚悟であれば、勇者に匹敵するだけの力は有る。それは、周囲全てを飲み込む『アビス』という魔法で、被害さえ考えなければ、地上最強と言っても差し支えない『魔王』だけが使える魔法。

 半径100メートルを飲み込む、無限の奈落ならくを生み出す究極の魔法は、魔王以外の全てを飲み込む。


 だが、今は私も居て、遠慮している為に使えない。そんな最終奥義がある。


 うめく言葉しか出ない私は、最後に力を振り絞り、全てを呪う絶叫を上げた。


「AHaaaaaaaaaaaaaaaa」


 魔王も、勇者ですら手を止めた。そして、私を見る。


(魔王様、命令を破る悪い家臣を、お許しください)


 二本の足で、沸騰したような高揚感を胸に、腰にあった短剣を引き抜いた。そして、手に持った短剣の矛先を、首筋と顎の近くに突き立てる。


 祈るように、従順な信徒のように、両方の目をつむって手を握った。


 そして、握った手を上の方向へ押しながら、背を丸めるように短剣を抱く。勢いに乗ったまま、頭蓋ずがいの間を通って脳まで達した短剣は、命を致命的に傷つける。




----



 直後、世界は奈落に包まれた。全てを飲み込む深淵が、勇者とその周囲を飲み込んだ。


 城も、魔王に辿たどりつくまでに死んだ勇者の仲間も、魔王のもとで戦った魔物たちの死骸も。無限に続くような深い穴が開き、光が反射する部分も無く、黒なんてぬるい漆黒しっこくの闇だけが見える地獄じごく


 その中に、砕けた魔王城も、生き物の死骸も、城下でまだ生きている魔物すらも。


 ただ奈落の上に、落ちる事の無い魔王だけが浮かび上がり、その腕は一つの女性を抱きかかえていた。


 人間から残虐ざんぎゃくと恐れられ、事実それに見合うだけの力を持った存在。魔物をしたがえ、勇者以外の全ての人間が束になっても、かなわないほどの力を秘めた究極生物。


 それが、涙を流して、死骸を抱いていた。


「……守る者のいない王様など、ただの裸の王様じゃないか。……我の事など気にせず、人間と同じ見た目のお前なら、我の居ない世界でも生きていけたはずだ」


 もう語りかけても反応しない。誰もいない、ただの闇の中でぽつんと、生きている存在は問いかける。


「なあ、我らは何をした?」


 人間達は、魔王を脅威きょういだからと勝手に恐れて、勝手に挑み、死人を増やしていった。お互いに憎しみを増やし、引けぬ所まで戦いは激化し、人間と魔王は共に歩む事が出来なくなった。


 勇者という、魔王と同類の『化け物』を生み出して、いつだって侵略したのは『人間から』だった。魔王の家臣が殺されて、とむらい合戦を仕掛け、それを人間たちが『侵略』と言ったに過ぎないのだ。


「もう、疲れた。こんな命に意味はない」


 丁寧に、死骸に刺さる短剣を抜き取った。大切な宝石にでも触れるように、遠慮しがちに握った手をほぐしてから、突き刺さった短剣を引き抜いた。


 まだ、暖かい血が付いていて、魔王は愛しそうにその切っ先を眺めた。


「追って逝く」


 自らの心臓を短剣で刺し、自然に治癒する為に必要な臓器を刺し壊す。魔王は、重傷であっても心臓さえあれば、まだ生き残る可能性がある。


 そして、己の従者がしたように、人間らしい見た目の魔王は、やはり人間と同じように脳がある。臓器を壊し、自らの意思に反して震える手で、勇気を貰おうと愛した者の手を握りながら。


 魔王は最後、自らの頭に短剣を突き立てた。


 最後に残った魔王の体は、深淵しんえんへと落ちて消えていく。以後、その場所は隕石の落ちたクレーターのように、再生する事の無い断崖絶壁だんがいぜっぺきとなって、魔王の歴史に終止符を打った。




― 完 ―

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