④ 嘘ついたら針千本のーますっ!



 数日後の早朝。

 宇宙遺伝子学研究所内、バスケットゴールの前。


 神凪ヤマトは3Pラインの距離に立ち、ゴールリングを真剣な眼差しで見つめながら、セットシュートの構えをとった。


「ムダな力を加えずに、ボールを指で……なでるっ!」


 マルカに教えてもらった《ルナバスケのシュートの要訣》を呟きながら、シュートを放つ。

 強いバックスピンをかけられたボールは、弧を描きながらゆっくりとゴールへ向かって飛んで行った。


 ここ最近の練習の成果か、ヤマトのシュートの精度はずいぶんマシになっていた。

 放たれたボールは、リングの左端に当たって跳ね上がる。

 ――が、惜しくもゴールすることなく外れてしまった。


「ぐっはー! また入んなかったぁ!」


「おしいよヤマト! もうちょっと!」


 そう言って励ましてくれたのは、近くで体育座りをしながら見ていたマルカだ。


 今日は、シンプルな白Tシャツにデニムのショートパンツという動きやすい恰好で、足には真っ赤なスニーカーを履いていた。

 しかも、動いたとき邪魔にならないように綺麗な金の長髪をポニーテールに束ねているので、健康的で活発な少女を思わせる印象になっていた。


 先日、ここで再会することを約束したヤマト・ミコト・マルカの3人は、それ以来、毎日のように朝早くこの場所に集まって、こうしてバスケをするようになっていた。

 もちろん、大人たちには内緒でこっそりと。


 兄弟としても、マルカの保護者に黙ってこんなことをするのは少し気が引けたが、当のマルカが大丈夫だと言っている上、3人でバスケをすることがあまりにも楽しかったので、最近は気にしなくなってきていた。


 早朝6時前後からマルカの保護者が起きてくるまでの短い時間とは言え、連日3人で練習をした成果か、ヤマトもミコトもだいぶ6分の1Gのルナバスケに慣れてきていた。


 シュートを外したヤマトが大げさに頭を抱えて悔しがっていると、ボールを拾ってきたミコトがすたすたと歩いてきて、3Pラインの距離に立った。


 そして、もはや完全に月面仕様に改良された無駄のないフォームで、セットシュートを放つ。

 ヤマトのシュートより更に強いバックスピンのかかったボールは、美しい軌道を描きながら、当然のようにゴールリングを通過した。


「ぐぬぬ、ミコトめぇ。涼しい顔で……」


 見事にゴールしたミコトのシュートを見て、ヤマトは歯噛みして悔しがった。

 このように、シュートやドリブルなどの基礎練習もしているのだが、上達してきた兄弟はここ最近、1on1(オフェンスとディフェンスに分かれて1対1で勝負すること)で互いに競い合うようになっていた。


 しかしヤマトの戦績は、ミコトに対しては全敗で、マルカとの勝敗も五分五分……という納得のいかないものだった。


 その上、今のところミコトには、シュート・ドリブル・パスのどの技術をとっても上を行かれてしまっているため、負けず嫌いのヤマトとしてはもどかしいばかりだった。


(このままじゃダメだ。もっともっと練習しないと、いつまでたってもミコトに追いつけない!)



 その夜――。


 家族が寝静まってからこっそりとベッドを抜け出したヤマトは、寝間着にしているジャージを着たままスニーカーを履いて外に出て、いつものバスケットゴール前にやって来ていた。


 小気味のいい音を立てて、ボールを地面につきドリブルする。

 この位置からゴールまでの距離は約10メートル。

 ヤマトは自分の遥か頭上、6.1メートルの高さにあるリングを見つめながら呟いた。


「遠くから打って入らないなら、直接叩き込んでやる……!」


 それが、ヤマトの出した答えだった。

 ここ数日、1on1で多くの敗北を経験したヤマトは、自分のシュートの決定力の無さを痛感していた。


 ただでさえ、地球のバスケの経験すら無かったヤマトが、いきなり6分の1Gのルナバスケを始めたのだから当然といえば当然だが、遠くから打つセットシュートでも、ゴールの近くでジャンプして放るレイアップシュートでも、投げたボールを思うようにコントロールすることが出来なかったのだ。


 ヤマトは、相手の持っているボールを奪ったり、シュートされたボールをブロックしたりする反射神経には自信があった。しかし、肝心のシュートの成功率がこうも低くては簡単には勝つことはできない。


 そう思った結果、ヤマトはもっと練習時間を増やして《確実にゴールを決められる切り札》を身につけようと決心したのだ。


 十分な距離から助走をつけたヤマトは、ゴールから少し離れた位置で跳躍――。


「やぁぁぁぁぁ!!」


 気合の声を上げた。

 ……が、3メートル半ほど上昇したところで身体は停止し、落下を始めてしまう。


「うわっ、わ、わっ、わあああああ!」


 勢いがつき過ぎてしまったのか、ヤマトは前回りに回転しながら、地面に激突してしまった。


「くそ、ダメだ。全然届かないっ!」


 悔しがりつつもすぐに顔を上げ、何度も何度もダンクシュートに挑戦する。

 しかし、どんなに力を込めてジャンプをしてみても、ゴールリングには届かなかった。


 以前ミコトにも言われたことだが、いくらルナバスケとは言え、ダンクシュートは小学生がそう簡単にできるものではない。


 身長150cmのヤマトがダンクシュートを決めるには、少なくとも4メートル以上は跳ぶ必要がある。

 これは大人のアスリート並の跳躍力だ。


 もちろんヤマトもこれまでルナバスケを経験してみて、ダンクシュートを決めるのがいかに難しいかは実感し始めていた。

 

 だが、それでもヤマトはダンクシュートを身につけることを諦めなかった。

 それは元来のヤマトの負けず嫌いな性格が影響しているからだろう。

 ヤマトは、ミコトに負け続けるのがどうしても悔しかったのだ。


 ミコトは器用だ。3Pシュートも今では簡単に決めてしまう。

 ドリブルやパスなどの細かな動きをとっても、きちんと理論的に考えられた正確なプレーをする。地球のバスケに関しての経験も、ヤマトより遥かに高い。


 つまり、知識と練習量で劣るヤマトは、あらゆる面でミコトに上を行かれてしまうのだ。

 そんな今の自分がミコトに対抗するためには、ミコトにはない何か――そう、いわば《必殺技》を身につける必要がある。とヤマトはそう考えたのだった。


 それが何かと考えた時、ヤマトにはダンクシュート以外考えられなかった。

 ゆえに、それがいかに難しいとわかっていても諦めず、何度でも練習することにしたのだ。


 助走の距離を伸ばしたり、ジャンプの仕方を色々試しながら何度もダンクシュートを狙うが、一向にゴールに届く手ごたえを得られない。

 疲れ果てたヤマトは大粒の汗を額から流し、ぜぇぜぇと肩で息をしていたが――。


「くっそう、何で届かないんだ……っ」


 と言ったあと、ついに疲労に負けて倒れ込んでしまった。


 やはり自分にダンクはまだ無理なのか。

 そう思いながら、ヤマトがコロニーの天井に映し出される夜空を見上げていた時だった。

 どこかから、女の人の優しい笑い声が聞こえてきたのだ。


 ヤマトが起き上がり声の方を向くと、そこには銀色の髪の少女が笑顔で立っていた。

 初めてここに来た時に門を開けてくれた、あの少女だ。

 今日も、この前と全く同じ白いAラインのドレスを着ていた。


「あ、お姉さん。このあいだの」


「ふふふ。ずいぶん頑張っているみたいね。でも気をつけて。あんまり張りきりすぎると怪我をしてしまうわ」


「そうはいかないよ。ぼーっとしてたら、ミコトはどんどん上手くなっちゃうからね。おれももっと練習しないと」


 シャツの胸のあたりを引っ張って、額の汗を拭いながらヤマトは真剣に言った。

 その姿に微笑ましさを感じた少女は、慈しむように言葉を返した。


「そう。負けず嫌いなのね」


「へへへ、特にミコトにはね。あ、ミコトってのはこの前一緒にいたおれの兄ちゃんね。

 あいつすごい要領良いからさ、何でもすぐ出来ちゃうんだ。

 だから、ミコトに負けないためにおれも何か必殺技を身につけないと、って思ってさ」


「それでダンクシュートの練習をしていたの?」


「そういうこと!」


「単純ね」


 そう言ったあと、再び楽しそうにくすくすと少女は笑った。

 少女の言葉に傷ついたヤマトは『がびーん!』と大口を開けてショックを受けた。

 そんな少年を尻目に、少女はしばらく夜空を眺めたあと、懐かしそうに呟いた。


「なんだかあなたを見ていると、昔のことを思い出すわ」


「昔のこと?」


「ええ、あなたが生まれるよりもずっと昔。……そう、そのバスケットゴールの持ち主も、あなたと同じように目を輝かせてゴールに向かって跳んでいたわ。心の底から楽しそうにね」


(ずっと昔? 何言ってんだろう。たぶん高校生くらいだよね、このお姉さん)


 ヤマトは不思議そうに首をかしげた。


「ねえ、あなた、名前は?」


「え、あ……ヤマト……神凪ヤマト」


 少女はその名を聞いたあと、ヤマトの顔をじっと見つめ直した。

 そして、どこか深刻そうな面持ちで、言葉を続けた。


「……ねぇヤマト。ひとつ、私のお願いを聞いてくれないかしら」


「何?」


「あの子と……マルカと友達になってあげて欲しいの」


 そう言ったあと、少女はとても悲しそうに目を伏せた。


「あの子はね、ずっと1人ぼっちだったの。

 生まれてからこれまで、塀の中のこんなにも狭いところで、大人たちに囲まれて過ごしてきた。

 だからお願いよ。あなたがマルカの友達になってあげて? 

 ……ずっとひとりで生き続けるのは、とても寂しいことだから……」


 詳しい事情はヤマトには分からないが、少女のその言葉は、マルカに対する心からの愛と、深い労りの気持ちで溢れているように思えた。

 それを聞いて、ヤマトはなんだか身につまされる気分になってしまった。

 だがしかし、もちろんヤマトの答えは決まっていた。


「何、言ってんだよ、そんなのお姉さんに言われなくても決まってるよ。っていうか、もうとっくにマルカの友達だよ? おれもミコトもさ」


「本当に?」


「ああ。マルカとおれたちはずっと友達だ。なんなら指切りしてもいい」


「ユビキリ?」


 きょとんと首をかしげる少女。


「知らない? そっか……じゃあ教えてあげるよ。おれの国ではね、約束するときこうやるんだ」


 ヤマトは少女の右手に触れると、その細くて白い小指に自分の小指を絡ませた。


「こんなふうにお互いに小指をくっつけて……嘘ついたら針千本のーますっ! ってね!」


 そう言いながら、ヤマトはぶんぶんと繋がれた右手を振った。


「針を、千本も? そんなことをしたら死んでしまうわ」


「そうだよ? だから約束守るんじゃん!」


 にかっ! と朗らかな笑顔を浮かべるヤマト。

 それを見て、安心するように微笑む少女。


「そう。なら大丈夫ね」


「そういうこと!」


「……でも、だとすると、あなたにだけ一方的に願いを強いるのは不公平かもしれないわね。だったら、私からも約束をするわ」


「?」


 不思議そうにするヤマトをまっすぐ見据え、真剣な顔で言った少女。

 しかし、その瞳に見つめられた瞬間、なぜかヤマトは少女から目が離せなくなってしまった。


 すべてを見透かすような少女の眼差し。この世のものとは思えないほどの美貌。

 宝石のようなその瞳を見ていると、比喩ではなく本当に吸い込まれてしまいそうな気分になり、何も考えられなくなってしまった。


 いや、それだけではない。この瞳は、何かが違う。

 ヤマトは気づいた。

 そう、違うのは――目の色を現す《虹彩こうさい》の部分だ。

 その虹彩が、まさに虹のように鮮やかな7色の複色光に輝いているように見えたのだ――。


 少女に初めて会ったとき、そのあまりの美しさに『まるで何かの物語に出てくる女神さまみたいだ』と思ったヤマトだったが、どうやらそれは一瞬の思い違いではなかったように感じられた。

 やがて少女は、真剣な眼差しのまま、ゆっくりと口を開いた。


「ヤマト。いつかあなたが本当に困ったとき、1つだけ、あなたの願いを叶えてあげる。あなたがマルカの友達でいてくれる限り、ね」


「え……? そんなのいいよ、別に」


 少女の予想外の言葉に、ヤマトはやや困惑の表情を浮かべた。


「いいから」


「あ、う、うん」


 しかし、少女があまりに真剣そうに言うので、ヤマトは思わず頷いてしまった。

 そしてそのまま『ゆーびきった』の一言とともに、繋がった小指は離された。

 優しそうに微笑む少女。


「それからヤマト。ユビキリのお礼と言ったらなんだけど、1つアドバイスがあるわ」


「アドバイス?」


「そうよ。……いい? あなたにはまだ大きな力が眠っているの。

 自分を信じることさえできれば、あなたはどこまでだって飛んで行ける。

 もちろん、あの位の高さならすぐにでもね」


 そう言ってバスケットゴールを指さしたあと、ヤマトの頭を優しく撫でながら、少女は続けた。


「だからヤマト、自分を信じて。あなたならきっとできるわ」


 少女の言葉に、少年は素直に頷いた。

 そのままヤマトはボールを手に取り、ゴールから10メートルほど離れた位置に再び立った。

 そして、少女に言われたことをしばらく反芻はんすうしてから、それを実行に移した。


 自分を、信じる。


(ああそうだ。おれは飛べる。きっとどこまでだって! ……だから!!)


 ヤマトは走り出す。

 ボールをつき、矢のような素早さで大地を駆ける。

 そして『ここしかない!』と思えるようなベストの位置・タイミングで、すべての力を爆発させるように、地面を蹴った――。


「やあぁぁぁぁぁ!」


 今までにないほどの大きな跳躍。

 右手にボールを持ったまま、ヤマトの身体はぐんぐんと上昇していく。

 ゴールリングが、ヤマトの視線のすぐ近くまで迫る。


(あと、少し……いや、届く! このまま行けぇぇぇぇぇ!!)


 そしてヤマトは、そのままボールをワンハンドでゴールに叩き込んだ。


 どがっ!


 リングの手前に当たったボールは、ほんの少し跳ね返って上がったあと、静かにネットを通過した。


「は、入った! ははっ、やった!」


 4メートル以上の跳躍を成功させたヤマトは、歓喜と共にゆっくりと降下し、着地を遂げた。


「おっしゃー届いた! 届いたよお姉さん! おれ、ダンクができたぁ!!」


 しかし、喜びを分かち合おうとしたヤマトが少女を呼ぶと、その姿はどこにもなくなっていた。


「あれ……お姉さん?」


 どこに行ったのだろう。そう思ったヤマトは辺りを見回した。

 その時、予想外の方向から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「……え、ヤマトなの?」


 ヤマトが声の方を振り向くと、そこにいたのは薄ピンク色のパジャマを着たマルカだった。


「あ、マルカ」


 ヤマトが反応を返すや否や、マルカは慌てて近づいてきて小声で怒った。


「やっぱりヤマトね! ダメじゃないそんなに騒いだら! 誰かに見つかっちゃう」


「……あ」


「もうっ、どうしてこんな時間に……というか誰と喋ってたの?」


「誰とって……あー、そういえば名前聞くの忘れちゃったな。えっと、白いドレスを着た銀色の髪のお姉さんだよ。この前、門を開けてくれた人」


 その言葉を聞いた途端、マルカの表情は一変した。


「え……?」


 まさに『信じられない』といった様子。

 すぐには事実を飲み込めていないようだ。


「銀色の……って、ま、まさか……アイリス…………なの? ヤマト、あなた彼女が見えたの?」


「んん? 見えたってどういうことさ。さっきまでそこで話してたけど?」


 よく分からないマルカの言葉に、ヤマトは首をかしげた。


「そ、そう……」


「それがどうかしたの?」


「い、いいえ、何でもない。何でも……ないの」


「変なマルカ」


 ヤマトは不思議に思ったが、すぐにマルカが『とにかくこっちに来て!』と言いながらぐいぐい引っ張ってきたので、深くは追及できなかった。



 数分後――。

 バスケットゴールから少し離れた位置にある木の下に並んで座った2人。

 ヤマトはマルカに事情を問いただされていた。


「ええっ!? それで夜な夜な家を抜け出して、ダンクシュートの練習をしてたっていうの?」


 マルカが声を抑えながらも、驚愕の叫びを上げた。


「そうだよ。負けっぱなしは悔しいじゃん」


「もーしょうがないわね。でも次からはもっと静かにしなきゃだめよ。見つかったら追い出されちゃう」


 やや呆れた表情でマルカは言った。


「ごめんごめん。でもさ、おかげですごい上手くなったんだぜ、おれ! なんとさっき、ついにダンクシュートが成功したんだ!」


「……もう、何、言ってるのよヤマト。嘘でしょ、あなたそんなに小さいじゃない。ダンクなんて出来るわけないわ」


「な、なにおう! ホントなんだってば。じゃ、もっかいやるから見ててよマルカ!」


「ちょ、ダメよヤマト。今日はもう遅いからまた今度にして!」


 ヤマトとしては、せっかくできるようになったダンクシュートを、誰かに見せたくて堪らない気持ちだったのだが、あまりにマルカが本気で止めてくるので、口をとがらせながら、しぶしぶ諦めた。


「ちぇー」


 再び地面に座り、あぐらをかくヤマト。

 やや気まずい空気が流れ、2人はそのまましばらく黙ってしまった。

 そんな中、おもむろにヤマトが頭上を見上げると、そこには、まさに息をのむほどの《満天の星空》が広がっていた。


 しかも、月面から見た空だけあって、星以外にも見える天体があった。

 それはもちろん――地球だ。

 無数にきらめく小さな星の中心で、ひときわ輝く大きな惑星。

 優しく綺麗な青い光を放ち、地球は月面コロニーの夜空を照らしてくれていた。


 その姿を見ていると『あんなにも美しい場所から自分はやって来たのか』と、少年は感動を抑えきれない気持ちになった。

 そして、思わず呟く。


「空、綺麗だね」


「……うん」


「今まで気がつかなかったけど、月から見た夜空ってこんな感じなんだな。なんか地球がビー玉みたい」


 ここからだと、地球がヤマトの2本指でつまめそうなサイズに見えた。

 対して、マルカは空を見ながら、どこか恨めしそうな表情をした。


「そうね。確かに綺麗。キレイだけど、でも……本物じゃない。夜を美しく見せるため、スクリーンの映像を演出しているの。本当の月面の空には、こんな風に星は輝いて見えない。こんなの……偽物の空よ……」


 マルカの言葉を聞いて、改めてヤマトは思い出した。

 先日ミコトが言っていたように、この空は本物の空ではない。

 月面コロニーの天井スクリーンに映し出された、擬似的な空の映像なのだ。


 本来であれば月の地表は真空状態なので、太陽の光が散乱せず、空は常に暗闇で覆われている。そのため、昼間だろうが夜だろうが空に星は見える。

 しかし、その星も大気を通さずに見るため、地球上で見るような輝く星とは違い、ごく小さな点のように見えてしまう。


 結果、空にはっきり見える天体は、月から近い場所にある青い地球だけになってしまうはずなのだ。


 つまり――今、見えている月コロニーの夜空は、天井に映し出されている《夜空の映像》。それがあまりにもリアルであるため、本物と錯覚してしまいがちだが、マルカの言うようにこれは《偽物の空》なのだ。

 改めて、西暦2107年の技術力にヤマトは感心していた。


「ねえヤマト。ヤマトは地球に住んでるのよね?」


「え? うん、まあね」


「ね、ね、地球の空ってどんな感じ? 私、この施設の外にあんまり出たことないから、本物の空って見たことないの」


 急にテンションが上がったマルカは、興味深々な様子で問いかけた。


「んー地球の空かぁ」


 ヤマトは眉を寄せ、目を閉じながら見慣れた光景を思い出す。


「そうだな……青くて広くてでっかくて、昼間は太陽があったかくてさ、白い雲がふわふわ浮かんで流れてるんだ。

 そんでさ、空の高ーいところを鳥が飛んでるんだよ。気持ちよさそうに。

 それを見てたらさ、ああ……もしおれにも翼が生えていたなら、見渡す限りのこの大空をどこまでも飛んで行けるのになあ、って思うんだよね」


「……」

 

 あっけにとられた顔をするマルカ。


「ってごめん、ちょっとわかりにくかったかな」


「ううん、そんなことない。とっても素敵。いいなあ、いつか私も見てみたい! 本物の空……本当の、青い大空を!」


 ヤマトの話した空を想像しているのか、うっとりとした表情で、マルカは目を輝かせた。

 ――とその時、施設の入り口の方から、ため息交じりの声が聞こえてきた。


「まったく、こんな時間にどこに行ったのかと思ったら、やっぱりここにいたか」


 そこにいたのは、ヤマトと同じジャージ姿の兄ミコトだった。

 ヤマトがいなくなったことに気づいて探しに来たのだろう。

 その表情は、明らかな怒りに満ちていた。

《怒りマーク》で言うと4つは現れている。


「げ、ミコト!」


「げ、じゃないだろう。げ、じゃあ!」


 瞬間、両目を逆三角形にしたミコトは、ヤマトを素早くとっ捕まえると。

 両手で握り拳を作り、ヤマトの頭を横から挟み込んでネジ込みながら『ぐりぐりぐり』と圧迫した。


「ぎゃあああああ、痛い痛い痛い!」


(あれぇ!? なんかこれ、昔のアニメで見たことあるヤツだ!)


 と思いながら絶叫するヤマト。


「ほんっとにこの愚弟め! 夜中にふらふら出歩いて心配かけやがってまったく!」


「痛い痛いもうダメ! ごめん! ミコトごめんってばぁああああ!」


 ぷしゅうううう。

 と、頭から煙を出して撃沈するヤマト。合掌。


「すまないなマルカ。こんな時間に」


 弟を放っておいて、ミコトはマルカに謝った。


「ううん、いいの、気にしないで」


 そのまま、ミコトはマルカから簡単に事情を教えてもらった。

 しばらく2人が話をしていると、やがてヤマトがふらふらと起き上がってきた。

 こめかみのあたりを手でさすって痛がる弟に、ミコトはため息をつきながら言った。


「ヤマト、ルナバスケなら毎朝やっているだろう?」 


「だって、ミコトより多く練習しないと、いつまでたっても追いつかないじゃん。朝は時間も短いし、ゴールは1つしかないから順番待ちしないとダメだし」


「あのなあ、だからって何もこんな時間にやらなくても……」


 ヤマトの気持ちを察したのか、ミコトはやや怒りを鎮めながら言った。

 とその時、マルカが思い切ったように声を発した。


「ねえ、2人とも。私、前々から思ってたことがあるの。いくら朝早くに集まっても、ここじゃ思う存分バスケが出来ないよね。あんまりうるさくできないし」


「え」「それは……」


 やや気まずそうに返事をする弟と兄。


「だからね、明日から別の場所でバスケしない? 近くに大きな公園があるの!」


「えー!? 本当!?」


 マルカの提案に、ヤマトの表情が一瞬で明るくなった。


「でも、大丈夫なのか、マルカ」


 ミコトはやや心配そうに尋ねた。


「うん、クレア先生にはお散歩して来るって言えば大丈夫だから。ね、一緒に行こう?」

 

 こうして兄弟は、少女とルナバスケをするために公園に行く約束をしたのであった――。

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