③ 私、そんなに小さくないもんっ!



 あらぬ方向に飛んで行ってしまったボールを追いかけて、神凪ヤマトが建物の角を曲がると、そこには白いワンピースを着た小さな少女が立っていた。


 先ほど門の前で出会った少女とは違い、その子は神凪兄弟よりも年下のように見えた。

 恐らく小学校低学年くらいだろうか。丸くてふっくらとした顔立ちは、《小さい》というよりも《幼い》と言った方が正しく感じられた。


 しかし、この幼い少女もまた、今まで見たこともないくらいに美しい少女だった。


 絹糸のように柔らかな金色こんじきの長髪は、丁寧に真ん中で分けられてサラサラと風に揺れている。

 まさに雪の白さを写し取ったとしか思えない純白色じゅんぱくいろの綺麗な肌。まだ幼さの残るその顔立ちは、まるで神様が丁寧に並べたのかと思えるほどに整っていて、中でも桜色のふっくらとした控えめな唇が印象的だった。

 

 そして、極めつけはサファイアのように輝く青色の瞳。

 まさに、見つめられただけで吸い込まれてしまいそうだ――。


 ヤマトは無言のまま、その少女に見入ってしまった

 先ほど門の前で出会った少女を《女神》と称するなら、この幼い少女はまるで《天使》だ。


 大げさかもしれないが、その純白のワンピースを着た金髪碧眼きんぱつへきがんの少女は、まさに絵本に出てくるような《翼の生えた小さな天使》といっても過言ではないように、ヤマトには思えた。


 そのまま5秒ほどたっただろうか。

 少し遅れて走って来ていたミコトが角を曲がり、ヤマトに追い着いてきた。

 しかし、ミコトも少女を一目見た途端、その美しさに言葉を失ってしまったようだ。


 2人が黙ったまま硬直していると、少女が訝しげに声を発した。


「あなたたち……誰?」


 幼さの残るその声を聞いて、はっと兄弟は我に返った。

 すぐさまミコトが辺りを見回して、状況を確認する。

 どうやら幸い、少女にボールは当たっていなかったようだ。

 少女から10メートル以上離れた位置に、兄弟のボールは転がっていた。


 少女に怪我が無かったことに安心したミコトは、ひとまず事情を説明することにした。


「あ、ええと、オレたち地球から旅行で来てるんだけど、ルナバスケがやりたくてさ。ゴールのある場所を探してたんだ。それで、塀の向こう側からこの場所が見えたから……」


「どうやってここに入ったの?」


 やはり訝しげに尋ねる少女。やけに警戒の色が強い。

 ヤマトはやや不思議に思いながら、その問いに答えた。


「どうって、入口のところにいたお姉さんに門を開けてもらったけど」


「……そう」


 返答を聞いて、なおも何かを考えるしぐさを見せる少女。

 この施設は、やはり入ってはいけない場所だったのだろうか。

 しかし入口できちんと許可は取ったはずだ。

 ならば、なぜこの少女はこんなに警戒しているのだろう。


 と、そう考えながら少女を見つめたヤマトは、その時、少女がその手に抱えている《ある物》に気がついた。

 少女は、その小さな両手の中に、古びて汚れたバスケットボールを抱えていたのだ。


 もしかして、この子もルナバスケをやるのだろうか。

 わくわくしたヤマトは、迷うことなく尋ねた。


「ところでさ、君も好きなの? ルナバスケ!」


「え? あ……うん、まあ」


「うわぁ、こんな小さな子も好きだなんて、やっぱルナバスケって人気なんだな~!」


 初めてルナバスケが好きな同類と出会えたことに、ヤマトは歓喜の声を上げた。

 だが、その言葉を聞いた少女は、なぜだか少しむっとした表情をした。


「オレたち、LBAファイナルを観戦するために、今こっちの家に滞在しているんだ」


 しかし、ミコトのその言葉を聞いた瞬間、少女の表情は一瞬にして明るくなった。


「え、本当!? じゃあ昨日のソニックスとパイレーツの試合……ブライアンのプレーを生で見たの!?」


 その疑問に、ヤマトが満面の笑みで答えた。


「もっちろん!」


「いいなあ。うらやましい!」


「へへへ。いやぁすごかったよなミコト、昨日のブライアンの活躍!

 特にあの回転宙返りダンクシュート! あれには本当にしびれたよおれ~!」


「おいおい、何言ってるんだよヤマト。昨日のブライアンの凄さを説明するなら、まずは試合中盤に見せたあの超ロング3Pシュートの話をしなきゃだめだろう?」


「え? ミコトこそ何言ってんだよ。ブライアンのカッコいいところは、あのド派手なダンクシュートに決まってるじゃん!」


「いいや違うな、お前は何も分かっていない。ダンクシュートは決めても2点にしかならないが、ロングシュートなら3点入るんだぞ? しかもあの悪い流れを一発で変えてみせたじゃないか。どっちが凄いかなんて明白だ」


 その瞬間、『ぴきっ』という音と共に、ヤマトの額に怒りマークが現れた。


「そんな難しい話は知らないよ。おれはダンクシュートの方が《カッコいい》って言ってんの! わかんない奴だなあ!!」


 今度は『ぴきぴきっ』という音と共に、ミコトの額に怒りマークが2つ現れた。


「なんだとヤマト! この単細胞!」


「なにおぅ! ミコトの頭でっかち!」


 ブライアンの活躍を少女に伝えようとするうちに、いつの間にかケンカになってしまった2人。

 一卵性双生児。見た目は全く同じであるにもかかわらず、ヤマトとミコトは正反対の性格をしていて、何をするにもすぐ意見が分かれてケンカになった。


 あまりにも頻繁にケンカになるため、両親には『少なくとも外ではケンカしないようにしなさい』といつも言われているのだが、今回はブライアンへの気持ちの大きさゆえか、ヤマトもミコトも止まらなくなってしまった。


 いきなり言い合いのケンカを始めてしまった兄弟。

 そんな2人の姿を見て、しかし少女は――。


「あはははははっ」


 と、大きな声で笑い始めてしまった。

 あまりにも無邪気で楽しそうに笑い声を上げる少女。

 ケンカをしていた兄弟は、拍子抜けして我に返ってしまった。


 2人が口論をやめたあとも、少女はお腹を抱えながらくすくすと笑い続けている。

 数十秒後、ようやく笑いの波が収まったのか、目に浮かんだ涙を指ですくいながら少女は言った。


「あなたたち、本当にブライアンが大好きなのねっ! それに、2人ともとっても仲良し!」


 少女が満面の笑顔で言ったその言葉に対し、兄弟はきょとんと顔を見合わせてから、すぐさま少女へ向き直り――。


「「どこが!?」」


 と2人同時に返事をした。


「ほらやっぱり!」


 2人の反応がよほどツボに入ったのか、少女は再びお腹を抱えてけらけらと笑った。

 しばらくして――。


「あー面白かった。私こんなに笑ったのってホントに久しぶり! ね、あなたたち名前は?」


 そう言った少女には、もはや警戒の色は残っていなかった。


「オレは神凪ミコト、こっちは――」


「弟のヤマト!」


 2人の名前に一度ずつ頷いて、心に刻み込むように聞いた少女は、まさに天使のような満面の微笑みを浮かべながらこう言った。


「私はマルカ。マルカ・ラジェンスカヤ! ね、良かったら、私と一緒にこれからバスケしない?」


「「ああ、もちろん!」」


 兄弟は、元気よく同時に返事をした。



 数分後――。

 ヤマト、ミコト、マルカの3人は、バスケットゴールの前で輪になって色々な話をしていた。


 ヤマトとミコトが双子の兄弟だということ。

 いつもは東京という町に住んでいること。

 今は父親の借りているマンションに泊まっていて、LBAファイナルが終わるまで月にいる予定だということ。

 そして昨日のブライアンの活躍に感動し、2人でルナバスケを始めると決めたこと。


 マルカの方からも、自分がロシア系のルナリアンであるということ。

 生まれてからずっとこの研究所に住んでいるということ。

 最近LBAの試合を見て、ルナバスケ――特にブライアンの大ファンになったということ。

 以来、毎朝ここのバスケットゴールを使って、1人でバスケの練習をしていること。

 

 など、様々なことを3人で賑やかに話した。

 そんな中、マルカがふと兄弟に質問を投げかけた。


「あなたたち、ルナバスケの経験は?」


「それが、今日が初めてなんだ。地球のバスケと違い過ぎて、思ったより上手くいかなくてさ」


 ミコトは若干、肩をすくめながら答えた。


「そうなんだ。じゃあちょっとシュートを見せてくれない?」


「あ、じゃあおれやる!」


 ここぞとばかりに手を上げるヤマト。

 すぐさまボールを持って、ゴールから7メートルほど離れた地点へ意気揚々と向かって行った。

 

 そんな弟を見て『不安しかない……』と思ったミコトは、ヤマトにバスケのシュートの仕方を簡単にレクチャーしてやることにした。


「いいかヤマト。バスケには《シュートが入りやすいフォーム》ってのがちゃんと決まってるんだ」


 そう言ったあと、ミコトはヤマトからボールをいったん取り上げて、手取り足取りシュートフォームを教えていった。

 

 しばらくすると、ヤマトのフォームはなんとかバスケのシュートらしい形になってきた。ヤマトは運動神経が良いだけあって、言われたことはスポンジのように吸収するのだ。

 

 これでさっきよりはマシになっただろう。

 と思ったミコトは、納得の表情でヤマトにボールを返した。

 ボールを貰ったヤマトは、そのまま教えられた通りのシュート体勢を作った。


 ミコトが教えたのは、セットシュート(両足をつけたままジャンプせずに打つシュート)だ。 

 月の重力に慣れていないヤマトには、下手に跳んで打つよりも、このシュートの方が入りやすいだろう。そう思ってのことだった。


 ヤマトは足を肩幅程度に開き、軽く膝を曲げて立った。

 続いて右手をおでこのすぐ前に出し、その上に置くようにしてボールを構える。

 この時、右手の人差し指と中指がボールの中央に来るようにし、手のひらで支えるのではなく、指で支えるようにする。左手はボールの横から軽くそえるだけだ。


 そして、下半身の力をボールに伝えるため、右のひじ、肩、腰、膝を繋ぐライン、《身体の軸》を真っ直ぐに揃えた。


 こうして、付け焼き刃ながら、正しいシュートフォームで構えたヤマト。

 そのままヤマトは曲げた膝を伸ばしながら、右手だけで打つような感覚で、手首のスナップを利かせボールに回転を与え――リリースした!


 しかし――やはり今度もボールはゴールに入るどころか、バックボードの遥か上を通って向こう側に飛んで行ってしまった。


「あーっ! また向こうまで行っちゃった!」


 それでも、以前のサッカーのスローインのようなシュートよりは遥かにゴールに近づいたのだが、未だボールはリングにかすりもしなかった。


「あーあ、それじゃ全然ダメよ。ヤマトは力が入りすぎ」


 マルカはくすくすと笑いながら言った。

 そして、そのまま古びた自分のボールを持つと、ヤマトがシュートを打ったのと同じ位置に立った。


「いい? 見てて。月のバスケは地球と違ってボールが軽くなるから、シュートするのに大きな力はいらないの。

 その代わり、ボールが軽くなった分だけ空気の抵抗を受けやすくなるから、なるべくきれいなバックスピンをかけてあげないといけない。

 でも、それさえ意識してあげれば――」


 そう言いながら、マルカはきれいなフォームでセットシュートを放った。

 ボールは美しい放物線を描き、『ぱさっ』と小気味いい音を響かせゴールネットをくぐった。


「ほらね? 私でもちゃんと入る」


「……すごい。こんな小さな子が……あんなに簡単に」


 マルカのシュートを見て、ミコトは思わず声を出してしまった。

 一体、マルカのシュートとミコトのシュートでは、何が違ったのだろうか。

 ミコトはマルカにお願いし、もう何回かシュートを見せてもらった。


 マルカがシュートを打つたびに、ボールはきれいな放物線を描いてゴールに吸い込まれていく。それを観察するうち、ミコトはあることに気がついた。


 先ほどミコトが打ったシュートは、6分の1Gに対応するため、腕の振りを加減して打ったものだった。

 しかし、それでもなおボールは遠くに飛び過ぎてしまう。


 対して、マルカのシュートは膝をあまり曲げず、足のバネをほとんど使っていないように見えた。

 変わりにリリースの瞬間、ボールを勢いよく撫でるように手をスナップさせ、さらに強いバックスピンをかけているようだった。


 つまり、マルカとミコトのシュートの違いは《膝のバネとボールの回転》の2つ。

 月のバスケで大事なのは、膝のバネを使いボールを強く飛ばすことよりも、手首をスナップさせてボールに強い回転を与え、軌道をコントロールすることだったのだ。


(そうか! 重力が6分の1になったということは、飛距離も6倍になる。

 極端な話、たとえ足のバネを使わず《手打ち》になったとしても、ボールはゴールまで届くのか――。

 つまり、普通に3Pラインからシュートを打つ分には、大きな力はまったく必要なかったんだ! それよりも大事なのは、ボールの回転……!)


 ミコトの心中で、ぴったりと一つの歯車がかみ合った。

 そのあと、マルカの打ち方を意識してミコトがシュートを打つと、たちまちボールはゴールに入りだした。


「……よし!!」


 コツをつかみ、ミコトは静かに拳を握りしめた。


「おおー! さすがミコト! よーし、おれも今度こそ!」


 ヤマトも再びシュートに挑戦し始めた。

 だが、地球バスケの経験すらないヤマトでは、やはりすぐにゴールを決めるのは難しいようだった。

 3人で交代しつつシュートをし、10分ほどたったころだろうか。


「くっそー! おれより年下の女の子、しかもあんなに小さい子が出来るのにー!!」


 自分だけシュートが入らないことにいら立ったヤマトが、悔しくなって地団太を踏みだした。

 と、ヤマトのその一言に反応し、マルカがむっとしながらミコトに聞いてきた。


「ねえ。あなたたちって……今いくつ?」


「ん、11歳だけど?」


 瞬間、マルカが目をまん丸くして、大声を上げた。


「えぇ!? じゅういち!? 私と1つしか変わらないじゃない!!」


「え、ほ、本当に……!?」


 1つ年下。マルカはもう10歳なのだと言う。

 しかも聞けば、学年はミコトと同じだというではないか。

 しかし、ミコトにはそれが信じられなかった。


 隣であどけない声を上げた少女は、どう見てもミコト達より3つ以上は年下の、幼い少女にしか見えなかった。

 

 しかも彼女は、地球人より身長が高くなる傾向にあるルナリアンだと言っていた。

 にもかかわらず、まるで小学校・低学年のような体格をしている。

 身長も、神凪兄弟より30cm近く小さいのではないだろうか。


 確かにミコトとしても『年齢の割にしっかりと喋る子だな』とさっきから思ってはいたのだが、まさかマルカが自分と同学年だとは考えもしなかった。

 これは一体どういうことなのだろうか。


 ミコトはそう感じながら、もう一度マルカの顔を見た。

 すると、少女は『むぅ』と唇を尖らせて、子ども扱いされたことが心底気に入らない! といった表情をしながら――。


「私、そんなに小さくないもんっ!」


 と言った。


「あ……ああ。ごめん」


(いや、どう見ても小さいだろう)


 ミコトはそう思ったが、口には出せなかった。

 ――とその時、何やら遠くの方から、若い女性の声が聞こえて来た。


「マルカちゃあーーーん! どこっすかぁーーーーー!?」


 どうやらその声の主はマルカを捜しているらしい。

 3人の方へと走って近づいて来ているみたいだが、なんだか情けなくてひ弱そうな感じの叫び声だった。

 しかし、その声を聴いた瞬間、マルカは大慌てで声を荒げた。


「あっ! 大変、クレア先生だわ……! ヤマト、練習中止! 2人とも隠れて!」


 マルカは言うや否や、兄弟を無理やり引っ張って、庭の端にある草むらに隠そうとした。

 兄弟は、突然のことすぎて何が何やらわからなかったが――。


「いいから早く! 今、見つかったら二度とここに来れなくなっちゃう!」


 という言葉と共に、マルカに完全に草むらの中に押し込まれてしまった。

 しばらくすると、声の主はマルカの姿を見つけたらしく、大げさにぶんぶん手を振りながら、小走りで3人のいる場所へ近づいてきた。


「あっ、いたいた! なーんだこんなところにいたんすか。おーーーい!」


 マルカは、小さな身体で草むらを覆い隠すようにしながら、女性が来るのを待った。

 その女性は、『ぜえ、ぜえ、ぜえ』と呼吸を大きく荒げながら、いかにも運動不足の大人の走りといった動きで走ってくる。


 クレアと言う名前らしいその女性、年のころは20代後半といったところだろうか。何かの研究者だからか、着古されて薄汚れたTシャツとジーンズの上に、白衣を重ねていた。


 寝癖で跳ね上がったぼさぼさのショートカット、色は茶髪。

 体調の悪そうな蒼白の顔の上には、度の強そうな黒縁のメガネが乗っていて、せっかくの美人が台無しになっている感が否めない。


 にもかかわらず、Tシャツがはちきれんばかりの豊満なバストを持っていて、それをぐわんぐわん揺らしながら走ってくるそのさまは、ひどくアンバランスな存在に見えた。


 クレアはマルカの傍まで到着すると、たっぷりと1分近くかけてどうにか息を整え、『ぷひゅー』と大きく息を吐いてから言った。


「マルカちゃーん、ダメじゃないっすかぁ! 勝手に検査を抜けだしたりしちゃあ!! あたしゃあ心配で心配で……もう施設中走り回っちゃいましたよう」


 そう言いながら安堵の表情を浮かべ、クレアはがっくりと膝をついた。


「ああ、疲れた。ただでさえ体力ない上に、最近まったく出歩いてなかったから、久しぶりに走って死ぬかと思ったっすよー」


「ご、ごめんなさい。クレア先生」


 申し訳なさそうに言うマルカ。

 クレアはしんどそうに立ち上がると、マルカの頭を優しく撫でながら言った。


「さ、帰るっすよ。午前の検査が終わんないと、お勉強も始めらんないっすからね」


「そ、それなんだけど、クレア先生。少しだけ待ってもらっちゃ、ダメ?」


「んー? どうしたんすか? いつも素直なマルカちゃんが珍しいっすねぇ」


「えっと、それは、その」


「ははーん。さてはなんか隠し事してるっすね! ん? ん? どうなんすかー?」


 クレアは両手を腰にあて、マルカの顔を覗きこみながらいたずらっぽく言った。


「い、いや、えーと」


「むむ、不自然なその動き。怪しい……マルカちゃーん? 身体の後ろに何か隠してるっすねー!?」


 クレアはマルカの後ろを覗こうとして、右へ左へ身体を回り込ませようとした。

 その動きに合わせて、マルカが後ろを見せないように身体で隠そうとするものだから、ますます怪しまれてしまう。


 嫌がるマルカの反応を、ええじゃないかええじゃないかと言いながら、満面の笑みで楽しむクレア、まるでおっさんのようだ。


「ち、違うのクレア先生、これは!」


「えーい問答無用!」


 その一言とともに、クレアはマルカに向かってがばっと襲い掛かった。


(ま、まずい、見つかる……!!)


 兄弟が同時にそう思った――瞬間。


「ごめんなさい!」


 そう言いながら、マルカは身体の後ろに隠していた《ある物》をクレアに見せた。


「およ……? ばすけっとぼーる?」


 予想外の物体が出てきたことに、クレアはきょとんとした声を出した。


「ごめんなさいクレア先生。あんまり運動しちゃいけないって言われてるのに、実は私、最近ここでバスケットボールをしていたの」


「な、マルカちゃんダメじゃないっすか! こんなことがキューブリック教授にばれたら大変っすよ。というか、どっから見つけてきたんすかこんなボール……!」


 クレアはマルカからボールを取り上げ、あせあせしながら言った。


「本当にごめんなさい。でも、どうしても一度ルナバスケがやってみたくて。お庭の倉庫の中にボールがあったから、つい」


「……最近、LBAの試合を見るのにハマってたっすからねぇ」


 素直に白状したマルカを見て、クレアはふう、と1つため息をつくと『しょうがないっすね』と言わんばかりの表情で――。


「わかったっす。ま、今回は素直に自分から言ってくれたことだし、おとがめ無しってことで教授には黙っときます。

 そのかわりボールは没収! もう勝手にこんなことしちゃあダメっすよ?」


 と、人差し指を立てながら言った。


「う、うん、ごめんなさい」


 マルカは、クレアに対し嘘をついてしまったことを申し訳なく思い、かすかに悲しそうな表情を見せた。


「さ、戻るっすよ」


「あ、クレア先生。その、少しだけ休んでから行ってもいい? ちょっと疲れちゃって……」


 その言葉を聞いたクレアは、しばらく無表情でマルカの方をじっーと見つめた。

 しかしその数秒後、にぱっと明るく笑顔を浮かべてから、こう言った。


「りょーかいっす。じゃああたしはこのボールを二度と見つけられないところに隠してくるので、着いて来ちゃあダメっすよ!

 ということで、落ち着いたら第1検査室まで来て下さいっす」


「うん、わかった」


 素直なマルカの様子に、クレアは満足げに頷いてから去っていった。

 そのまましばらく、マルカは黙ってその場に立ちつくした。

 そして数十秒後、完全にクレアの気配が遠くに行ったことを確認してから、後ろの草むらで隠れている兄弟に声をかけた。


「もういいよ。ミコト、ヤマト」


「ふう」「あー苦しかった」


 草むらから同時に出てきて、息をついたり伸びをしたりする兄弟。

 2人の身体は、草やら土やらでドロドロに汚れてしまった。


「ごめんね。いきなり草の中に押し込んだりして」


「いや、全然だいじょうぶ」


 汚れるのには慣れているヤマトは、あっけらかんと言った。


「それより良かったのか? あの人、怒ってたみたいだったけど」


 ミコトは、マルカを気遣うように優しい口調で尋ねた。


「いいの。ここの人たちは、私の身体のことに慎重すぎなんだもん!」


「それに、マルカのボールが取られちゃったみたいだけど……」


 ヤマトは申し訳なさそうに言った。


「あ……それは……ううん、気にしないで。

 ボールはどうにかして取り返せばいいし、それに、あなたたちがまたここに来て、私にそのボールを使わせてくれれば良いじゃない!」


 ヤマトが持っているボールを指して、マルカは精一杯の明るい表情で言った。

 その表情は、罪悪感に押しつぶされそうな今の気持ちを、どうにか押さえて絞り出した笑顔のようだった。


 マルカは、そんなに簡単に嘘をつけるような子ではない。

 出会ってまだほんのわずかな時間しかたっていないが、今のマルカの表情を見たら、兄弟にはそれが分かってしまった。


 ――きっと、マルカがクレアいう人についた嘘は、本当はとてもいけないことだったのだろう。しかしそれでも、マルカは嘘をついた。

 それほどまでに、ヤマトとミコトと3人で、もう一度バスケがしたいと思ってくれたのだ。


 そんなマルカの意思を、最後にもう一度だけ確認しようと思ったミコトは、真剣な表情で彼女に問いかけた。


「マルカ、本当に大丈夫なのか?」


「……うん、大丈夫!」


 真っ直ぐミコトの目を見て答えたマルカのその顔は、太陽みたいに輝く笑顔をしていた。

 その意思を確認し、兄弟は、お互いに顔を見合わせ笑顔を浮かべた。


「わかった! じゃあまた3人で一緒にバスケしようぜ!」


 ヤマトは頭の後ろで手を組んで、にかっと笑いながら元気に言った。


「そうだな。オレたちまだ当分、月にいるから。いつでも大丈夫だ」


 ミコトも優しい表情で、マルカを安心させるように言った。


「うん、約束よ。じゃあ明日の朝6時に門の前で待ってるから。絶対来てね!」


 そう言ったあと、マルカは再び『ぜったいね』と言ってから、走って建物の中へと去って行った。

 マルカを見送ってから、ヤマトとミコトはそのまま施設を後にした。

 その日は、兄弟2人でドリブルやパスの練習をしながら夕方まで過ごした。

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