第57話 滴(しずく)

 ここは地獄。

 皆も知っての通り、この地獄には生前の世で罪を犯した者共が運ばれてくるのである。

 針の山地獄に血の池地獄、火炎地獄や阿鼻あび地獄ぐらいは聞いたことがあるだろう。そのどれもが、罪の種類と大きさに応じて何千年も繰り返し続くことになるである。


 その中に、『したたり地獄』というものがある。

 読んで字のごとく、様々な液体が罪人めがけて、一滴一滴と滴り落ちてくるというものであるのだ。

 それは生前の行いによっても異なるわけで、実に色々な液体が滴り落ちてくる。



 「ほう、お前は生前、何人もの人をあやめたというのだな。ならば、お前にはこれを滴らせることにしよう」

 そう言うと、鬼はその男の首筋にと、タラッタラッと「血」の一滴を垂らし始めた。

 男はその一滴が当たるたびに、苦痛の表情を浮かべ震えながら悶絶をする。これが永遠と続くというのである。


 次の男が、鬼の前へと連れてこられた。

 「ほう、お前は環境に害があると知りながらも、汚染水を垂れ流しにしておったのか。ならば、その汚染水でお前の身体を清めるとよい」

 そう言うや、泥濁でいだく色した汚染水を滴り落とす。その一滴が男の身体へと触れるたびに皮膚がただれ、肉の腐ったようなにおいが漂う。

 「か、勘弁してください・・・」


 鬼はさげすむようにと、男の顔を見降ろす。

 「お前が生きていたとき、他の生き物たちも、皆いまのお前のように言っていたことを知るのだな・・・」



 その様子を不安そうに見ていた今度の男は、自分の方から鬼に声を掛ける。

 「鬼の旦那。俺は生前、今の奴のような仕事にもついていなければ、ましてや人殺しもしていません。俺がやって来たことは、結婚詐欺ですよ」

 「なるほど、結婚詐欺というわけか・・・」

 

 「となれば、滴らせるものなんて何も無いと・・・」

 「試してみるか?」

 男の言葉をさえぎるように、鬼はその男を座らせる。


 「その場所より動くことは、まかりならんぞ!」

 男の首筋には、一滴の透明な液体が滴り落ちて来た。男はそれを黙って受け止める。

 「んっ? 何やら少しばかり温かいが・・・」

 

 「温かいか?」

 そう、鬼が問う間もなく、その液体は冷たいしずくへと変化していく。

 「ひっ! つ、冷たい!」


 「ほう、今度は冷たいか?」

 震える男に鬼が続ける。


 「では、それをめてみるが良い」

 男は首筋より流れ落ちる液体を、手に取って舐めてみる。

 「うん? 少ししょっぱいような?・・・」

 ところが、途端に男の脳裏には、様々な女性たちの一生が鮮明に蘇るようにと映しだされる。

 

 「や、やめろ。俺にそんなつもりはなかったんだ! し、死ぬな、何も死ぬことは無いだろう。お前はまだ若いじゃないか! 本当にだますつもりはなかったんだよ・・・」

 男は頭を抱えながら目を見開き、荒い息を繰り返す。


 「どうじゃな、お前に騙された女の涙の味は? それと共に、女が抱えた苦悩の機微を味わうがよい・・・」

 鬼はその液体の滴らせる速さを少しだけ緩めた。


 「ただはたして、お前にはいつまでその苦しみに耐えられるかが心配だがな・・・」

 

 

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摩訶不思議短編集 鯊太郎 @hazetarou1961

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