第32話 急報

1545年10月。


十月に入ってすぐの事、栃尾城(とちおじょう)に春日山城(かすがやまじょう)から急報が届いた。

やって来た使者は一睡もせず非常に急いで来たのか全身にびっしょりと汗をかき、目の下にはクマが浮かび上がっており、着ていた服はだらしないほどに乱れており、まさに満身創痍の様相である。


急な知らせがもたらされた栃尾城ではあったが、実際の所まだまだ身の軽い景虎はすぐさま使者を大広間へと通した。


「拙者、弥彦(やひこ)桔梗(ききょう)城が城主、山岸(やまぎし)光祐(みつすけ)が男(むすこ)。山岸(やまぎし)秀能(ひでよし)でございます」


深々と頭を下げながら言う彼は山岸殿の男(むすこ)の山岸秀能。

山岸光祐と言えば長尾家の中でも重臣であり、現代にも残っている弥彦神社の戸内職(とないしょく)を務めていた程の人物。それほどの人物の男(むすこ)が使者として赴くとは余程の大事という事である。


だがやはりまだ使者という大役に慣れていないのか、それとも伝えるべき事があまりにも重大なのか、忙しなそうにウズウズしているのがその雰囲気からも良く分かる。


「ご苦労。私はこの栃尾城が城主の長尾(ながお)景虎(かげとら)である。配下から聞いたが実に急ぎの報という事であるため直接通したが、さっそくその内容を聞こう」


どっしりと大広間の最も上座に座する景虎が目の前で頭を垂れている山岸殿に向けて言葉を掛けた。

山岸殿は下げた頭をそのまま、決して頭を上げることなく答えた。


「春日山城内にて越後上杉(えちごうえすぎ)が家臣、黒田(くろだ)秀忠(ひでただ)が謀反。長尾(ながお)景康(かげやす)様並びに長尾(ながお)景房(かげふさ)様他数名を殺害。その後長尾(ながお)晴景(はるかげ)様を襲いましたが道中、直江(なおえ)景綱(かげつな)様ら重臣の活躍で撤退。現在黒田氏の居城である黒滝城(くろたきじょう)で籠城しております!」


「何っ、それは本当か!?」


長い伝達内容を一切噛まずにスラスラと話す山岸秀能の姿は何処かの国の執政官を思わせる程に凛々しい。


一方その山岸秀能殿の知らせを聞いた景虎は一瞬で顔を青ざめると、怒鳴り散らしているのではないかと思わせるほどの大声を知らせを持って来た山岸秀能殿の後頭部へと浴びせた。

普通であれば怒声を思わせるほどの大声を浴びせられれば一瞬でも怯んでしまうだろう。しかし流石使者を任せられる程に信頼された山岸秀能殿。微動だにせずじっと目をつむったまま報告の続きを話そうとタイミングを計っている。


「黒田秀忠と言えば越後上杉家の老臣として古くから守護家に仕えて来た黒田家の当主だぞ!越後の国内でも有数の名家の者。その黒田秀忠が何故!?いや、それよりも兄上。晴景様は無事なのか!?」


あまりにも急な知らせだったからだろう。普段冷静なはずの景虎もこの時ばかりは狼狽えている。

兄弟が死んだ、そう聞かされたら普通は誰だって驚き一瞬何を言われたか分からないのかもしれない。言葉ははっきりと聞いたととしても、理解が追い付かないのかもしれない。

頭の中で何度も何度も反芻しようやく理解する頃には心が動揺し何をしていいのか分からず狼狽える。


景虎は今まさにその一連の流れを沿っているのかもしれない。


「はっ。黒田秀忠の謀反も長尾晴景様が居られた部屋には届かず、また直江景綱様などの奮戦により無事に春日山城を出られました」


「そ、そうか。無事なのか……良かった」


「誠にございます。どうやら黒田秀忠はこの越後の情勢や主家越後上杉家の現在の扱いに嫌気が差し、独立を企てた様でございます。現在長尾晴景様は黒田秀忠勢を黒滝城に押し込め、残党もいないという事により春日山城内の安全も確保された為に再び春日山城に入りました。桃井(もものい)義孝(よしたか)様や柿崎(かきざき)景家(かげいえ)様、直江景綱様らとも協議を重ね、即刻黒田秀忠を成敗するべし、との結論に至りました。つきましては景虎様にはその大将として出陣せよとのことです」


「私が大将を、か」


「その様にとの命でございます。つきましては私、山岸秀能も余力として此度の戦いに参加させて頂きます。また実弟(おとうと)の村山(むらやま)与七郎(よしちろう)も余力として参加させて頂きたく、長尾晴景様からも既に了承を得ております。つきましては長尾晴景様の奏者(そうじゃ)として実弟(おとうと)村山与七郎に命を出して頂きたく」


そう言って伏していた頭をより一層深く伏した。


村山与七郎と言えばこの時代では長尾晴景の近臣として名を連ねるほどの家臣。

正直この緊迫した状況で近臣を付ける事の危険性を理解していないとは思えない程には、頭が回る状況分析が出来る長尾晴景という人物が意図してやった事。もしかしたら何か別の考えがあるのかもしれない。


景虎は最初の頃の狼狽えた姿とは打って変わって、山岸秀能の話を聞くうちに徐々に冷静になっていき、遂にはじっと目を閉じて話に集中している。山岸秀能の話が終わってもなお、未だに景虎は先程聞いていた姿勢から変化がない。


どれくらい経ったのか。一分が十分に、十分が一分に、時間間隔が狂った大広間では景虎の次の言葉を今か今かと待ちわびている。


ようやく景虎が話した時それは酷く穏やかで、しかし芯のある強い決意が感じれた。


「……分かった。兄上や桃井義孝殿が決めたという事、それすなわち長尾家の総意。この長尾景虎、謹んでお受けいたそう」


「ありがとうございます」


「山岸秀能殿。その方の此度での戦いぶり、期待しているぞ」


「粉骨砕身この命を懸けても、景虎様の為亡き景康様らの仇を討たせて頂きます」


使者としてではなく戦に出る一人の将としての熱い決意。山岸秀能の心の底からの言葉に景虎は一つ満足げに頷くとすくっと立ち上がり声を張り上げた。


「誰か筆を持て。謀反者に天罰を与える時ぞ!」


越後に数多ある謀反の中で景虎の踏み台となる最初の謀反鎮圧戦が始まった。

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