謀反鎮圧編
第31話 見殺し
1545年、春。
栃尾城(とちおじょう)に入城してから一年。この1年は多くの敵と戦った一年だった。
最初の戦いとなった景虎の初陣、栃尾城の戦い。あの戦いは正直出来過ぎていた戦いであり、俺の事前情報があったからこそ完璧なまでの準備が出来た。
史実でも僅かながら情報があった栃尾城の戦いだったが、しかしその後の戦いは正直情報が無い。だからこそ準備に時間を掛ける事は初陣の時より少なく、実際戦いになった時に負傷者や犠牲者を出してしまった。戦の度に城内に増えていく怪我人の姿に景虎だけではなく本庄(ほんじょう)実乃(さねより)殿や金津新兵衛(かなづしんべえ)殿、小島弥太郎(こじまやたろう)殿など多くの将が心を痛めた。
痛々しい姿を目にした多くの栃尾城の兵たちの士気はどんどん下がってしまうだろう、そう思ってしまっていた。だが現実は違った。
初戦での景虎の圧倒的なまでの勝利。それが士気の維持に一役も二役もかってくれ、その後の戦いでも十分な戦闘をすることが出来たのだ。
御蔭でこの一年の戦闘では負けなし。犠牲者や負傷者を出しはしたが、それでも連戦連勝を繰り返し栃尾周辺では最早景虎の事を若輩者、名ばかり郡司(ぐんじ)と思って侮っている者などいない程にまで武名を高めている。
中郡(なかごおり)の乱れを正し郡司として維持するだけではなく、下郡(しもごおり)にいる揚北衆(あがきたしゅう)への牽制となり府内長尾(ふないながお)家の守護代としての地位を安定させる。
越後国(えちごのくに)の事実上の国主、守護代(しゅごだい)長尾(ながお)晴景(はるかげ)の策はここで見事に成功していた。
話は変わるが、多くの人は人を見殺しにした事は無いだろう。
目の前で困っている人がいたら助けようと力を貸すし、今にも死にそうな人がいたら救急車を呼んでいる間に心臓マッサージや人工呼吸をするかもしれない。
つまり助けを求められたら、余程の事が無い限りは誰かを助けるのに手を貸す。
これが多くの日本人の特性とも性質とも言えるだろう。
俺が何故そんな事を思っているのかと言うと、俺はこれからとある人物たちを見殺しにするからである。
この戦国の時代の遥か未来からやって来た俺。簡単に言うとタイムスリップ……だと思っている。もちろん並行世界とかSF的な事も考えられない事もないけど。
未来からやって来た、ということは今後に起こる出来事を知っているということであり、現在は1545年。この年の秋には大きな謀反(むほん)が起きる。
越後守護として本来権威を持つのは越後上杉えちごうえすぎ)家ではあるが、現在その越後上杉家の当主である上杉(うえすぎ)定実(さだざね)は府内長尾(ふないながお)家の傀儡と化し、本来の権威は持っていない。
しかしそれでも府内長尾家の現当主である景虎の兄、長尾(ながお)晴景(はるかげ)が病弱で求心力が低いという事で僅かながらだがその権威や権力の回復があった。
つまり現在の越後国(えちごのくに)には僅かながらの力しかない守護家『越後上杉家』と実質の支配者である守護代家『府内長尾家』という二つの家が存在するのだ。
越後上杉家を虐げるという形で。
そんな状況だからこそ本来越後国の最大の支配者たる越後上杉家の人間が不満を抱いたとしても不思議ではない。そしてその予感は的中する。
越後上杉家の老臣『黒田(くろだ)秀忠(ひでただ)』が謀反を起こし、景虎の兄である長尾(ながお)景康(かげやす)と長尾(ながお)景房(かげふさ)両名を殺害するのだ。
因みに景虎は四男で晴景、景康、景房、景虎と続く。
黒田家はあくまで越後上杉家の家臣であり、長尾家の家臣ではないという事で常日頃から守護越後上杉家を蔑ろにする守護代府内長尾家に不満を持ち、溜まりに溜まった鬱憤が限界に達した黒田秀忠は謀反を起こす。
それが今年の十月なのだ。
そう。つまり今年の十月に景虎の兄である景康、景房の二人は死ぬ。
俺はその事実を知っているし、それを防ぐ手立てを見つける事も出来る。行使出来るかどうかは俺の説得する力による所が大きいし、何の身分も権力も持たない俺の言葉をどれほど信じてくれるのか、という不安点もあるけれども。
だが俺はその事実を隠す。そして二人を見殺しにする。冷徹や非情と取るか、余儀なし止む無しと取るかは人それぞれだろう。
助けられるはずの命を見捨てるのだから。
俺だって助けられるのならば助けたい、しかしそれをやってしまえば俺の目的が大きく遠のくことは間違いない。今はその目的の為にまず長尾(ながお)景虎(かげとら)という人物を越後の覇者にしなければならない。
もしも景康や景房が生きていたとしたら、晴景の次の当主候補に浮上し景虎が当主になる事がほぼ不可能となってしまう。
だから彼らには死んでもらおう。景虎に越後国を支配してもらう為に。
というよりも正直、事実上の国主として振舞っている長尾晴景様すら会った事が無いのに、景虎の兄である長尾景康や長尾景房などもちろん会った事などない。完璧に赤の他人だ。
赤の他人である二人を見殺しにした所で正直心に何も響かない。
血が溢れる人の死体を見て眩暈(めまい)も吐き気も無く、寧ろ大学時代に解剖していた蛙や鼠(ラット)、犬や牛などど同列にしか感じない気持ち。味方であれば命を懸けて戦ってくれてありがとう、と感謝の気持ちは出れど敵にはその感情すら出て来ない。
これは俺の感情が希薄なのか、はたまた命が軽いこの時代に感化され感覚が狂ってしまったのか。
きっと誰に聞いてもこの答えは出ないだろう。それでも俺は前に進まなくてはならない。
既に俺の両手は血で染まっているから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます