第20話 出立

まだ夜も明けきらぬ早朝、俺はとある人物を訪ねた。


俺をここまで無理やりの様に連れて来て、問答無用で評定にまで参加させた張本人。長尾(ながお)景虎(かげとら)である。


こんな時間に人を訪ねるなど非常識にも程があるとは自分でも思う。しかし俺は、もう迷わないと決めたのだ。いや、決めたというよりも気付いたのだ。

自分の本当の気持ちに。


第一景虎に俺が何故気を配らなくてはいけないのだ。

いつもいつも迷惑ばかりかけられていた俺からの細やかな仕返しである事は内緒である。


「それでこんな朝早くから、お前は一体何の用なんだ」


態々一人部屋を用意されていた景虎は部屋の中で白い単衣(ひとえ)のまま、布団を端に寄せながら若干の苛立ちを見せながら話しかけてきた。


普段の俺であれば、こんな時間に来てしまって申し訳ないな、等と思ったりもしただろう。しかし今の俺にはそんな些細な事を気にしている時間も余裕もない。いつもの仕返しをしたいなという思いが少しはあったが、それよりももっと重要な事があるからだ。


俺は他の人よりも少し自分の事を客観的に見る事が出来る。そんな俺だからこそ自分の欠点も分かってしまうのだ。

何か目標を立てて頑張ろうと思っても明日から、明後日からとズルズルと先延ばししてしまう事だって何回あったか分からない。それくらい俺は決心しても鈍ってしまう事が多々あった。


だからこそ少しでも早く伝えなければ、きっとこの決意は鈍ってしまう。

再び本当にいいのかと悩み始めてしまう。


自分の欠点を理解しているからこそ、少しでも早く行動に移さなければならないのだ。


「景虎。俺を雇う気はないか」


敬称もつけない言い方で俺は景虎に言った。


今までの俺と景虎の関係で言えば例え二人きりの会話であったとしても様付けで話をしていたし、金津殿や小島殿など景虎の家臣など他人に対しても様付けをして会話をしていた。

しかし今回は違う。


お互いもうずいぶんと大人になってしまった。


元服も済ました景虎はもうすっかり大人となり、そしてその地位も確かなモノとした。だが同時に多くの国内の柵(しがらみ)に囚われてしまい自由が利(き)かなくなってしまった。

虎千代だった時は何か悪戯をしても気にするのは和尚様の機嫌だけだった。時には拳骨という愛のムチもあった事が昨日の事のように思い出される。

しかし今では事実上の国主でもある兄・長尾(ながお)晴景(はるかげ)の顔色を窺い、国人衆達の顔色を窺い、時にはご機嫌を取らなくてはならない時だってある。もちろん晴景の顔色とは病弱なため健康かどうかを確認する意味でだが。


景虎は少し驚いた様な表情をしたが、それも一瞬の事。

すぐに眼光鋭い表情へと変え俺の言葉の真意を探るように視線を巡らせている。


「お前からそんな事を言うなんて驚きだな。今まで再三に渡って私がお前に働きかけても頷かなかったのに……どういう心境の変化だ?」


「なに、自分の心と少し向き合ってみただけさ。ただそれだけさ」


そう、俺はきっと心の何処かでそれを感じていたんだ。ただそれを見ようとしなかっただけ、見て見ぬふりをしていただけなんだ。

日本人が弱いとされている大衆圧力に屈したように俺が俺がと前に出て注目を浴びて、周りに反対されてもたった一人で何かを変えようとなんて出来なくて。周りに合わせるように生活をして出来るだけ敵を作らない当たり障りのない言葉を紡いで本音を隠して。


でもそれじゃあダメだという事がようやく理解できたんだ。


欲しいものは周りに何と言われようとも、例え格好悪くても、人に笑われようとも掴み取らなくてはならないんだ。


「まあ、何があったかなど正直どうでもいいのだ。前にも言ったが、お前が力を貸してくれるという、ただそれだけで十分だからな」


本心からそう思っているかのように言う景虎の表情には一切の疑念がない。寧ろ嬉しさや安堵感といった表情が手に取るように分かってしまうほど、その気持ちが表に溢れ出ている。


「改めて、面と向かって言われると照れるな」


「これは珍しいものを見るな。、お前も照れる事なんてあるのだな。これはいい発見が出来た」


「そういう言い方は酷いんじゃないか?寺にいる頃だって結構笑ったり怒ったり、感情豊かに過ごしていた気がするんだがな……」


「それは雪(おまえ)の勘違いじゃないか?私の記憶ではいつも詰まらなそうに世界を見ていて、何処か心此処に在らずの様な子供だった気がするぞ。お前が輝いていたのは悪巧みを考えて実行している時だけだったからな」


「景虎の中の俺はどれだけ根暗な人間だったんだよ……」


自分が思っていたよりも相手の印象が悪い時がたまにはあると思うが、それがまさか幼少期から過ごしていた友から聞かされるとは思ってもいなかった。相手から否定の言葉を聞かされても平気だと考えていたのだが、実際に目の当たりにするとこれは結構ショックを受けてしまう。


「所詮は幼少の頃の印象さ、気にするな。それよりも今私は雪(おまえ)が力になってくれると言った事、それがどんなに嬉しいか分かるか?親しき者など両の手で数えられる程度、しかも殆どは私よりも年上の人物ばかり。人生の“師(し)”とは成れても“友(とも)”には成れない。だからこそ私は“友”である雪(せつ)、お前の協力が何よりも嬉しいのだ。」


そう言って先程よりも一層の輝きを放つ景虎の微笑み。その顔は虎千代の頃の無邪気さを感じさせる。


だがこうも相手に喜ばれる事など今まで生きてきた中で一度もなかった俺にとっては純粋に嬉しいが、正直言って照れてしまってどう答えていいのか分からない。

わずかに微笑むので精一杯だが、それでも一言だけ言わずにはいられなかった。


「こっちこそ待たせて悪かったな。でも…………待っていてくれて、ありがとう」

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