第12話 脇道

1543年8月16日。


入道雲とも呼ばれる積乱雲が空の向こうに見え始め、次期に通り雨をもたらすであろう夏の風物詩。夏の海の絵を描く時、よくこんな縦に長い雲の絵を描いた記憶がある。

アブラゼミがジージーと泣き叫び、メスに自分の存在を精一杯にアピールするこの季節。


林泉寺のとある一室では一つの説教とも尋問とも言える話し合いが行われていた。


「全てはお主の思惑通りになったという事であろうかな、雪よ」


言葉の端々に棘がある言い方で、静かに言葉を繋ぐ和尚。つい数か月前にも同じような事があったようなデジャヴを感じる。

いや、実際にあったのだが……。


「思惑通りなんてヒドイですよ和尚様。私はただ虎千代様の夢を、ほんの少しばかり応援しただけですよ。ほんの少しだけ」


「越後に戦乱を持ち込むような事をして置いて応援と言うか?何故儂に相談せなんだ。お前と儂の仲じゃ。親子とは言えん程の歳は離れて居るし血の繫がりも無い、しかしそれでも儂はお前に家族程の情は抱いておったのだぞ?」


そう言う和尚の瞳はとても寂しそうで、とても悲しそうで、触れてしまえば一瞬で砕け散ってしまいそうな程に脆く見える。


戦国の世にいきなり放り出されて右も左も分からない俺に対して、いつも何かと気にかけてくれていた一番の理解者が和尚様だった。俺自身の自我は確かに乳飲み子の頃は無かったし、当初は本当に俺に前世か未来かとも言えるような記憶がある事に本当に困惑したものだ。それでも和尚様は何も聞かずに俺にこの時代の常識と教養を教えてくれ支えてくれた。

隠し事をする事、その事に対して最初は気後れしたし喋ってしまった方がいいのではないかとも考えた。しかしそれでも俺は話さない事に決めたのだ。


人の事を信用するなど現代よりも到底困難なこの時代。一緒に修行している兄弟弟子や寺男であっても心から信用してはいない、いや信用できないのだ。

下剋上は当たり前、相手を蹴落としてでも上に上がろうとする精神。そんな中だからこそ壁に耳あり障子に目あり、常に警戒心は保っておかなくてはならないのだ。


確かに和尚様はそう言った意味では唯一信用している相手とも言えるが、もし何かを話していた時、人払いをしたとしてもそれが聞かれてしまったら。もし何かしらの不利益が和尚様に掛かってしまったら流石の俺もここまで育ててくれた和尚様に対して申し訳なく思ってしまう。どっかの選民主義の意識を持っているような人物に聴かれてしまったら、最悪打ち首の斬首刑になってしまう事だってあり得る。


人の命が軽い時代だからこそ、そう言った事には注意しなくてならない。


「……物いへば、唇寒し、秋の風」


「……何じゃ、その句は?」


「とある有名な俳人の句ですよ。本来の句の規則ではない道徳的な寓意(ぐうい)を含んだものですが、脇道に落ちた者には良い句でしょう?」


「句の意味は何となくは分かるがの雪よ。脇道に落ちてもまた戻れる、仏道とはそういったものじゃぞ」


「確かに、また戻る事は出来るでしょう。ですが私はおそらくこの先も同じように脇道に落ちる。……いえ、寧ろ脇道を歩く。そういう事になるはずですよ」


歴史を知っている、それは確かにこの時代に置いて圧倒的なまでの他者に対するアドバンテージになるだろう。しかし俺がこの時代にやって来た、という事、そして約7年もの間本来存在しない俺という存在と修行した虎千代という存在。これはきっと良くも悪くもきっと何かしらの影響を及ぼしているに違いない。


歴史を変えよう、等と大それた事を俺は考えはしないし考えない様にしている。


歴史が変わる、それはきっと考えているよりも恐ろしい事だ。

全ての人には親がいる。父親と母親が居るからこそ今の自分がいる。だがもしも、その両親が出会わなかったら、結婚しなかったら、自分はきっと生まれて来なかったはずだ。それは自分と言う存在が居なかったという事、消滅してしまうという事。

つまり自分と言う存在が今にも消えてしまうのではないか、そう言った恐怖が俺を襲ってくるのだ。だからこそ、俺は極力歴史を変えたくはないし、変えようとも思っていない。



でも基本優柔不断で頼まれたら面と向かって嫌とは言えない日本人特有の気質もまた持ち合わせている俺は、きっと土下座されれば断る事なんて出来ないし、寧ろ協力させてくださいと言ってしまうかもしれない。

その時にどんな選択をするのか、自分で自分の事が分からない。言えもしない不安が胸に募っている。


「それには納得してしまうの。雪は良くも悪くも人とは違うからの、ハハハッ」


「どういう意味ですか、それは……」


声を出して笑う和尚様に対し苦笑いしか出て来ない。

和尚様の中の俺は一体どんな印象を与えているのか、一度じっくり話し合う必要がありそうだ。


そんな事を考えていると、普段は滅多にこの部屋では聞こえない人の足音が聞こえてくる。段々と近づいてくるその足音は部屋の前でピタリと止まり、障子の端から一人の小僧の顔が覗いてくる。

俺よりもこの寺での生活が短い、幼げな小僧の顔がそこにはあった。少々の緊張の仮面を付けながら。


「お話し中失礼致します。春日山城より金津(かなづ)吉舊(よしもと)様が参りました」


「金津(かなづ)様が?はて……」


どういった理由で林泉寺にわざわざ足を運んだのか、和尚様の顔には皆目見当も付かないような表情する。


だがこの時俺はふと、何故だか昔した約束を思い出していた。


虎千代と交わした、あの雪の日の約束を。

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