第13話 思惑

林泉寺の応接間とも言える一室には既に春日山城からの来客である、金津(かなづ)義舊(よしもと)が上座で座布団に座って待っていた。


この時代は武士の身分は高い。

加えて金津(かなづ)義舊(よしもと)という将はこの越後国(えちごのくに)でも相当格の高い家の者であり、それは守護代である長尾家すらも凌ぐほど。それほどの人物を下座に置くなど持って他。

おそらく金津(かなづ)義舊(よしもと)という将であれば下座でも文句は言わないだろうが、壁に耳あり障子に目あり。すぐにそんな不敬は広まるだろうから何も考えていないような脳筋な将であればすぐに打ち首だ、等と言い出すかもしれない。

面倒毎になりそうな事は極力しない、それがこの時代の長生きのコツだ。


天室光育和尚と俺はそんな金津殿の向かいになる様に座る。


今年の7月に藺草(いぐさ)の収穫を手伝ったが、これはそんな藺草(いぐさ)を乾燥して作られた新米ならぬ新藺草(しんいぐさ)とも言える新しい畳がこの部屋には敷き詰められていた。

新しい畳特有の青臭さ。嫌と言う気は生まれずに、寧ろ好ましいとも感じてしまうこの自然のままの青臭さ。

現代で草刈り機で土手の草刈りをした後の様な爽やかさ、それに似た芳香が部屋を包んでいる、まさに自然の芳香剤である。


鼻先をくすぐる香りを感じながら、和尚はいつもの様な雰囲気のまま金津殿に話しかけた。


「お久しぶりで御座います、金津様。それにしても突然の来訪。本日は如何なさいましたか?」


和尚様は軽く頭を下げた程度、会釈程の止めると旧知の友とも言える程の間柄に向けるような笑みで金津殿に笑いかけた。

いや、事実和尚様と金津殿は旧知の間柄なのかもしれない。だって和尚様は何度も春日山城へと足を向けているのだから、その過程で何回か城内であっていたのかもしれない。


「突然の訪問すみません天育光室和尚。実は本日はそちらの雪殿を一目拝見したいと思い、失礼かとは思いましたが訪問させて頂いた次第です」


「ほう、雪をですか。それはまた何故(なにゆえ)に……」


金津殿の言葉に額に皺を寄せ訝し気な表情を浮かべる和尚様。和尚様が不自然に思うのも当然の事だろう。

この世界に置いて、俺こと雪という存在は非常にチンケな存在である。


父も母も居ない農民ですらない、金津殿や虎千代いや景虎などの家格の高い者にとっては取るに足らない有象無象(うぞうむぞう)の一つでしかないはずだ。一応育ててくれたのが天育光室という名僧ではあるが。


天育光室という禅僧は非常に高僧であり、曹洞宗と言う戦国時代に置いては非常に多くの戦国大名が菩薩寺としている寺の宗教になっている宗派の名僧である。

そんな人物であるからこそ、いくら国人衆の当主や領主であっても、いや金津殿にとっては主家の菩薩寺であるからこそ無礼な態度は取れないのであろう。


因みにこの時代の曹洞宗とは多くの戦国大名に人気がある。それは政(まつりごと)に関与しないからである。


浄土真宗(じょうどしんしゅう)というものがある。これは多くの人が小学校で習う一向宗(いっこうしゅう)とも呼ばれ一揆(いっき)を全国各地で引き起こしたことでも有名である。では何故一揆を引き起こしたのか。

それは彼らに僧兵(そうへい)とも言える軍隊が存在し、相手を力ずくで押しつけ蹂躙するだけの力があり、そして何よりも多くの僧が俗物に塗(まみ)れていたからに他ならない。つまり地位も名誉も、金も女も全て欲しい。まさに山賊とも言える様なクズが多かったのが一番である。

詐欺とも言える『死ねば極楽浄土に行ける』という言葉を信じ、死をも恐れぬ死兵とも言えるような軍団に多くの戦国大名が苦汁を味合わせられている。


しかし曹洞宗はこの浄土真宗の様に政(まつりごと)には関与しないし、寧ろ距離を一定に保っているともいって言い。

有名所では前田(まえだ)利家(としいえ)や浅井(あざい)長政(ながまさ)、島津(しまづ)義弘(よしひろ)などが有名ではないだろうか。


「実は昨日(さくじつ)の事、景虎様との会話でこの寺での思い出話に花が咲きましてね。幼少期の頃の横暴ぶりを大いに反省しておりました。とても、とても……ね」


「そうですか、景虎様が」


「やはり為景様が亡くなったのが大きな転機になったのでしょう。確かに景虎様は為景様に愛情は他の方々に比べ少なかったのかもしれません。愛情を掛けられなかった時反発をすることもありましが、それでも虎御前様のお陰か、それとも仙桃院様のお陰か。今では立派な将としての気骨が感じられます。全ては為景様がお亡くなりになった時近くにいることが出来なかった事が余程堪えているようでしたから」


「確かにここに来たばかりの頃は反抗心の塊の様な子でしたからな。私も何度か為景様に直接景虎様には僧は無理だと申し上げたのですが、一向に首を縦には振って下さらなんだ。今になって思えばそんな性格を変えたかったのやもしれませんな」


「そうですね。そして最後は自らの命を持ってして景虎様に将とは何なのか、それを教えて逝ったのかもしれません」


懐かしむような穏やかな表情の金津殿。それは昔からの友に向けるような優しい顔だった。


少しの間思い出に浸った金津殿と和尚様。そんな二人の間の沈黙を破ったのは金津殿の思いもかけない一言だった。


「ですが、私は為景様のお力だけだったとは思えないのです」


「と、申しますと?」


「最後の決め手は為景様の死と言うものだったのでしょう。しかしその過程には天育光室和尚様のお力や……」


そこで言葉を区切ると今まで和尚様に向いていた視線を脇に控えていた俺へと向けた。


「雪殿のお力が大きかったのではないか、と思うのです」


そう言って笑った。


顔は笑っているのに、瞳の奥には鈍い光が灯っていた。

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