第3話 当日夕方まで

 病死と違って、交通死亡事故は病院の発行する死亡診断書ではなく、監察医の発行する死体検案書が発行されるとのことでした。そのため、主人は警察署に搬送されることになりました。

 主人の体を綺麗にして貰っている間、私たちは再び待合室で待機することになりました。その間に私の弟夫婦が駆けつけてくれました。二人がいなければ、私たちは途方に暮れたことでしょう。

 そして、主人の会社の方も駆けつけて下さいました。実はこのとき、いえ、もしかしたら着いてすぐに説明されたのかもしれないのですが、その時は頭がいっぱいで聞き流していたのかもしれません。

 警察の方は、事故後、約1時間ほどしてからでしょうか。私に連絡を入れる前、主人の携帯の電話帳からまず最初に【母】と登録してある私の母に連絡したそうです。ですが、母は視覚障害者で、外出時は携帯を持ち歩かない、もしくは電話を取らないので連絡がつかない状態でした。

 そして、次に着信履歴から会社の方に連絡を入れたそうです。出勤しない主人に何度か連絡を入れられていたので、一番着信の多い先というか、直前の着信に電話を入れたそうです。そこから私と、地域の交番にある名簿の緊急連絡先として登録してある弟宅に連絡が入りました。

 主人の携帯の電話帳に、私は名前で登録されています。ですが、警察の方にはそれが家族の名前なのかの区別はつかなかったんでしょうね。嫁、妻等で登録していればすぐに私に連絡が入ったのかもいしれません。

 子どもはともかく、配偶者はそれとわかる表記が良かったのかなと、今更ながらそう思っています。


 話を戻します。

 弟夫婦と言葉少なに会話をしている間に準備が整い、いったん病院の霊安室へ移動することになりました。先に私たちが通され、暫くすると主人が運ばれてきました。弟夫婦が主人に会うのはここが初めてになります。

 そして、少し席を外していた長女が運ばれてくる主人を垣間見て、眉をしかめていました。聞くと、黒い袋に包まれて、まるでゴミを運んで来るみたいだったと。入院患者さんや他の人目を避けるためなんでしょうが、やりきれない思いでした。これはどこの病院も同じなのか、私にはわかりません。

 そこでまた暫く警察側の準備が整うのを待ち、主人は警察車両で警察署に搬送される事になりました。医師と看護師さんは深々と頭を下げて主人を見送って下さいました。

 そして、ふと思い出しました。そういえば、十数年前、末期癌だった主人の父もこの病院で亡くなり、同じ場所から出発したなぁ……と。なんとも言えない気持ちになりました。

 私と子供たちは息子の車で、弟夫婦は自分たちの車で主人の乗った警察車両の後に続いて病院を出発。比較的所轄署に近い場所だったので、さほど時間もかからず到着しました。


 二階の小部屋に通され、今後の経緯等を聞きましたが、なんというか、右から左に流れていくというのでしょうか。担当警察官の方のお名前も聞いたのに覚えていないという状態でした。

 監察医の体が空いたときに、再度主人の体の状態を見て貰う。早ければ夕方、遅くても明日の朝までかかる。CTや場合によっては開腹すると聞いて、また痛い思いをさせるのかと。亡くなった人間が痛みを感じるわけがないのに、そんな事を思いました。

 そして、このとき、改めて事故の概要と加害者の住所氏名年齢を聞かされ、推測される加害者の刑事処分を聞かされたのですが、正直、嘘だろうと思いました。


 七年以下の懲役もしくは禁錮、または100万円以下の罰金。執行猶予がつく場合もある。免許は取り消しになると思う。


 人の命を奪っておいて、そんな軽い刑罰ですむのか?

 一方通行の道を転回して進路妨害したのに?

 信じられない――。


 ただただ、もう、信じられない。そんなに軽いの? 執行猶予がついたら、そのまま普通に生活するわけ? それだけがグルグルしていました。

 同じ警察署内に加害者がいるというのも、なんというか。感情的にはごちゃごちゃでした。


 そして、悲しむまもなく、私たちは次にしなくてはならないこと、つまり監察医の診断がすむだろう夕方までに葬儀会社を決めないといけないという問題に直面しました。

 幸いというか、なんというか。この辺りは義妹が数カ所問い合わせてくれました。これが私と子供たちだけだったら何も出来なかったと思っています。弟夫婦はこの後も、葬儀が終了するまで私たちを支えてくれていました。

 その間、私は主人の兄に連絡を入れたのですが、長兄は嘘だろう、信じられん。あの慎重な奴がバイクで? なんで俺より先に逝くのだ、と。そして、次兄への連絡を請け負ってくれました。

 実は主人は今はもう乗っていませんが、大型二輪の免許を持っています。よく一緒にツーリング等をした長兄曰く、もの凄く慎重な運転をする、警察官に優良ドライバーだと褒められたこともあるのだそうで。

 私はその当時のことを知りませんが、確かに車の運転で事故を起こしたことはないですね。バイクにしろ、車にしろ、運転の好きな人でした。だから、本当に最後に事故でなんて、悔しいとしか言えません。


 もの凄く長く感じたような、短かったような待ち時間が過ぎ、葬儀会場へ搬送。そこでようやく号泣する母と合流しました。

 あとはもう、葬儀の段取り、価格、花はどうするか、祭壇はどうするか、棺は? 骨壺は? お寺さんは? オプションはどうするか等々。主人を送るための準備をしなければいけません。

 ここでも、なんというか、聞いてたのに聞いてないような。

 そうですね、はい、じゃあ、それで。なんかその程度の受け答えしかしてなかった気がします。

 子供たちは学校や職場に父が亡くなったことを告げ、数日間の忌引きを貰ったり。

 悲しいのに、やらなくてはいけないことが多すぎて、どこか麻痺したような、でもしっかりしないと、やらないと。

 もう、それだけしか頭にありませんでした。

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