(2)

◎◎



 仕事でもなし、婚期を逃しかけている私が異性と会う訳でもなし。

 いろいろと諸事情を勘案した結果、結局私は、着飾ることを諦めた。

 プリーツの利いた薄い桜色のロングスカートに同色で濃いめのレザージャケットを羽織って、黒の細いロングマフラーを巻いただけというテキトー極まりない恰好で、家を出る。

 ……ヒールを履いてみせたのは、未練というよりは最後の抵抗だった。


 カツカツとアスファルトを削りながら歩みつつ、街並みを見渡す。

 永崎は市街地すらも海に近い。

 だから、その早朝は旧い倫敦ロンドンのように霧煙きりけぶる街と化す……のだけれど、この時間帯にそんな風情は存在しない。おてんとうさまは天高く昇り、さんさんと日光を振り散らかしている。

 ……この格好は、すこし暑かったかもしれない。

 そんな後悔に囚われつつも、私は最寄りの駅で路電に乗る。市街地の要所、その殆どに張り巡らされているこの路面電車は〝チンチン電車〟の愛称で親しまれ、市民の便利な足として使われている。坂ばかりどころか坂しかないとまで酷評されるこの街は、ただでさえ車の量が多く渋滞など日常茶飯事。交通ルールの順守も最悪。無駄に充実したバスなどより、よほど路電の方が、勝手がいいのである。

 偶然込み合う時間帯を回避できたの、運よく座席に座ることが出来た私はひと息を吐き、窓の外を眺めていた。


 流れゆく景色。

 囀る鳥の絵が描かれた壁面。

 行き交う活気ある人々。

 愛し合う様を人々に見せつけるような恋人たち。

 新技術開発に沸き、特許の主眼も念頭に入れているという瀬田コーポレーションの看板――ああ、この会社も紅奈岐財団の関連企業だったか――


 物思いと共に、そんないくつもの光景が流れ去る中、目的地に向かう途中で、私は気になるものを目撃した。

 未だモデルが誰であったのか諸説ある、巨大な祈念像がある公園。その東口方面の一角が、見知ったテープとブルーシートで覆われていたのである。


 黄色地に黒文字のテープ。

 立ち入り禁止――KEEP‐OUTの文字。


 警察御用達のバリケードテープによって、規制線が敷かれていたのだ。


「…………」


 私はショルダーポーチからスマートホンを取り出し、メールや着信履歴を確認するが、何の連絡もない。

 これがもし、非常事態であれば何を置いても駆けつけなければならいのだけれど、御手洗部長からの連絡どころか同僚からのメール一つないのでは判断に困る。

 私は刑事としては恐らく勤勉だが、呼ばれてもいないのに現場に顔を出すタイプの人間ではない。

……というよりも、不可能犯罪の専門家と言う厄介な肩書を背負ってしまったことで、私が現場に引き出されることをタブー視する者も多数存在するのだ。

 ある意味で厄介者。

 その分を弁えているつもりの私は、部長に後で詳細な連絡をくれるよう手早くメールを打つにとどめておくことにした。








 ……路電の中でメールを打つのは、いささか行儀が悪かったなと、送信し終えてから後悔した。



◎◎



 ミセスドーナツは1855年創業の老舗ドーナツチェーン店だ。

 全国規模……いや、正確には米国発祥なので世界規模と言うことになるのだけれど、その創業者にちなんでコック帽を被った女性のデフォルメイラストが、ブランドのロゴマークになっている。

 世界規模なので、当然外国文化の入り口と誉れ高い永崎駅にはチェーン店が入っており、常に盛況を極めている。1971年の日本オープン当時から引き継がれた伝統の店舗である。

 そんな由緒正しいミセスドーナツ(通称ミセド)のごった返す店内に、衆目を一身に集める〝黄金〟がいた。


 全身を包むのは、高級にしてクラシカルな紳士服。

 双眸の片割れを覆うのは、銀の鎖の片眼鏡モノクル

 普段はシルクハットの下にある金髪は、いまは惜しみなく衆目に曝され。まるで月光に金粉を混ぜたように冷たく美しい。

 優雅にカフェ・オ・レを嗜む口唇にはあるかなしかの微笑みが刻まれていて、その桜貝のような色合いもあって周囲を魅了し止まない。

 頬の色は血色がよく、紅顔の言葉が相応しいだろう。

 何よりその瞳は、この世の如何なる財宝よりもまばゆく輝くその黄金色の瞳はあまりに美しく――



 そんな、愛することに畏怖すら覚える、異次元的な黄金色の少年が、大衆的なドーナツ屋に、場違いに、あまりに場違いに存在していた。



「我が母国が発展させた咖哩カリー――それを魔改造し改悪し冒涜せしめたこの国には多くの失望があるが……しかし、米国とは違いこの店を大衆に根付かせたという点では評価できる。特にこの――レディー、なんと言ったかな、このドーナツは?」

「ふ、フレンチクルーラーよ……です」

「そう、フレンチクルーラー。これは素晴らしい菓子だ。独特の食感に、甘みも申し分ない。後味も爽やかで……そうだね、これで紅茶が美味ければ、僕が本社ごと買収していたことだろう。実にもったいない店だ」

「そ、そうね……そうですか」

「ふむ……レディー、君は実に呑み込みがいいな、気に入ったよ」



 ――どこぞの頭の悪い女刑事とは好対照だ。



 場違いにもほどがある黄金――森屋帝司郎が、あまりにも似合う嘲侮の表情で、そんな事を言った。

 というか、


「なにをしているんです、ミっちゃん?」


 件の魔少年(なんでいるんだこの野郎?)と同席し、見た事もないぐらい顔を真っ赤にしながらもぞもぞと体をくねらせ、彼の質問に逐一相打ちを打っているのは私の親友、西堂蜜夜その人だった。


「み、壬澄!? なんでここに!!」

「なんでここにって……いや、うーん、そんな反応されましても……」


 テンプレートと言えばテンプレートな感じで大いに狼狽する親友。

 乙女だ、恋する乙女の顔をしていやがる。12~3才そこらの美少年に対して本気で女の顔をしている。駄目ですねこいつ、はやく何とかしなきゃ。

 私は極大の疲労感に襲われて突発的に溜め息をつきながら二人へと歩み寄り、それから美少年の方へ言葉を投げた。


「なにをしているんですか、森屋帝司郎?」


 呆れを隠して、厳しい声でそう問えば、彼は先ほどまでの台詞などどこに行ったのかと言う麗しき笑みを浮かべ、「おや?」と首を傾げて見せる。

 その様はあまりに美しく、絵になりすぎて腹が立つ。

いちいち芝居がかかっていることも腹が立つのだが、毎回胸がキュンキュンしてしまう自分にも腹が立つのだ。

 そんな事を私に思われているなど知ろうともしない(知ったところでどうとも思わないだろう)魔少年は、相変わらずの歌劇的な態度でこう応じてきた。


「これはこれは。いつぞや僕の講義に耳を傾けたレディーではないか。取るに足りない君の名前は忘れてしまったが……はて、どうしたのかね? 今日もまた、僕の講義を聞きに来たのかな?」

「戯言に耳を貸すほど私は優しくありません。単刀直入に言います。森屋帝司郎、あなたには紅奈岐美鳥殺人の容疑が掛っています。署まで御同道願います」

「フッ。それは任意だろう? に関して、逮捕状を現行法では取れやしない。そう片意地を張るものではないよ、淑女?」

「……失礼」


 躊躇なく、私は彼の紳士服――そのポケットに手を突き入れる。

 その蛮行に、だが彼は微笑み、腹が立つほどされるがままになっている。

 苛立ちを極力内心に封印しつつ手を引き抜くと、そこにはシーリングされた小さなナイロン袋――いわゆるパケが握られていた。

 中身は……結晶状の白い粉だ。


「これは?」

「さて、身に覚えがないな。痛みどめとかではないかな?」


 楽しそうに彼は笑い、私を見詰めてくる。心拍数が跳ね上がる。それでも視線を逸らさない。真っ直ぐに視線を返し、怯むことなく、躊躇うことなく、灼けつくような光を放つ金色の瞳を直視し続け、私は告げる。



「あなたには違法薬物単純所持の嫌疑がかけられています。これは薬事法違反の可能性を示唆するもので、署に置いて検査が必要と考えます。もし、御同道願えない場合、少年課、或いは刑事部捜査四課に身柄を引き渡す可能性もありますが……みっともなく補導されたいですか、乳離れもできねーガキがマザーファッカー?」



「――――はっ!」


 彼は、に笑った。


「いいぞ、僕を前にしてすばらしい胆力だ。その横暴さ、卑劣さ、刑事として申し分ない。身分証たるバッチを示しもしない所まで含めて気に入った。――いま名前を思い出したぞ」


 先程までの優雅さを放棄し、剥き出しの喜悦を覗かせて、彼は笑い、私を見る。

 ぞっとするほど美しい眸に、一片の悪意が混じっている。

 珍しい玩具を愛でるような声で、彼は穏やかにこう言った。


「ミス・ミスミ、気を鎮めたまえ。僕は今回、

「…………」

「そして今回、今日この度いまに限って言えば――僕は君達、警察の味方をするつもりでいるんだよ」


 ……そのセリフを、素直に信じることは難しかった。

 この少年が如何に危険な人物化、私はあの島で起きた事件によってよく知っていた。身を以て理解していた。

 それでも。

 それでも引き下がったのは――、この程度の手品では意味をなさいないと、この少年には遠く及ばないと、そう理解せざるを得なかったからだ。

 その瞳に燈る黄金が、あまりにも眩しすぎたのだ……

 だから。


「場所を、変えましょう」


 だから、私は未だ狼狽を続けている親友と、黄金の少年に提案した。

 この衆人環視は私にとって味方ではあったが、密談をするには場所が悪すぎた。




「いいとも。紳士は常に、淑女の提案に寛容だ」




 魔少年は、白々しくもそう言って微笑むのだった。

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