第二講義 ブラックバード=ダブルスタンダード
休日篇
(1)
比翼のブラックバードが
街の中にいましたとさ
片羽の名はジャック
もう片羽の名はジル
引き千切れ ジャック
作り上げて ジル
私を愛して ジャック
誰を愛するの ジル?
◎◎
『拝啓 斑目壬澄 様』
そんな出だしで始まって、
『切り裂きジャック事件の真犯人より 敬具』
そんな〆方で終わるその手紙を読み終えて、
「……ッ」
受け取った手紙を、そのふざけた告白文をクシャクシャに握り締めて、私は歯噛みし、吐き捨てた。
「くそったれ!」
……
現代の切り裂きジャック――ブラックバード事件――その、どうしようもない歪んだ愛の物語が。
◎◎
ある一件を機に、私について回るようになった不可能犯罪の専門家と言う肩書は、数ヶ月前に絶海の孤島で起きた超常犯罪により余計に私専用の肩書として機能するようになってしまった。
その結果、あっちこっち、県内県外を問わず私は出向する羽目になり、その先々で便利にこき使われてしまうようになった。専門家と言ったって、私は(まだ)二十代の小娘で(まだ)経験不足の下っ端に過ぎない。警部なんて肩書がついて回るから、あちらさんもそれなりに扱いに困る時もあるようだけれど、結局最終的には便利屋同然の扱いを受ける。というか、私が関わると事件が不可能化するなどと言われのない風評が付きまとい、あげく邪険に扱われる。
当然、日々のストレスは大変なものになるわけだ。
はっきり言って、毎日が胃痛の連続である。
胃痛がマッハである。
そんな憂さ晴らしには、ともかく飲むしかないと駄目な大人に教わった私は、結果として非番の前日はアルコール漬けになっている訳である。
……ええ、もう。
そりゃあ、自分が駄目人間街道まっしぐらな事など、他ならぬ私が一番わかっているのだ。
刑事たるもの非番とは自宅待機であり、こんな風に羽目を外していいものではない。常在戦場・臨戦待機の構えでいなければならない。それは解っている。
しかし、私は機械や侍ではないので、そんな堅実かつ潔い生き方はできないのだ。
で、あるわけで、スマートホンの着メロにしているワーグナーの『聖金曜日の音楽』が大音量で鳴り響いた時、私は中身の半分残った温い缶チューハイを片手に、空き缶の山が築かれたテーブルへと突っ伏して、カーテンの隙間から漏れる朝日にじりじりと照り焦がされている真っ最中だった。
「……うぅぅ」
眠気に眼をしばたかせ、二日酔いにガンガン痛む頭を抱えながら、私はロメロ映画のゾンビのような緩慢さで日光を避けながらスマートホンへと手を伸ばし、掴み取る。
ディスプレイをしばしばする目で覗き込むと、良く見知った名前が着信を告げていた。どうやら、居留守を使える感じではない。そもそもケータイで居留守することほど、難しいことも無い訳だけれど。
「……ぁい」
私は、死にかけの老人のような声で応答した。思うように回らない頭からすれば、まさに老人のような状態だったわけだが。
『――あんた、また飲んでたの? 非番だからって、そりゃよくないわよ』
開口一番、私にブッ刺さる正論が飛び出してくる。
正論。
そう、正論と言えば彼女だ。
彼女以上に私(これでもこの歳で、警部で不可能犯罪の専門家である)に、正論をぶつけてくる人間なんていない。御手洗部長ですらしない。
正直、その相変わらずの堅物加減には頭が下がる思いだった。
「はい……飲み潰れて、いま起床したところです。というより、起こされました無理矢理に」
『聞き捨てならないわね、あんたの過失を私のせいにしないでくれる?』
「……でも。でもですよ、ミっちゃん。お酒は。人類の伴侶なんですよ?」
『まずは人生の伴侶を見つけてからそんな無駄口を叩きなさい。この呑兵衛め』
「…………」
あのねぇ……。
「ミっちゃん。いくら親友だからと言って、言っていいことと悪いことがあると思うのですよ」
『あ、そう。ちなみにこれは言っていいことよ。でないとあんた、絶対婚期逃すもの』
ずけずけとあけすけにものを言う彼女に、私はとうとう反論する気力すら失った。
私の警察学校の同期にして、その年度を最も優秀な成績で卒業した自慢の友人だ。現在は永崎県警鑑識課現場鑑識第一係で現場鑑識を担当している才女でもある。
一見、その性格はキツめだけれど(実際キツくない訳ではない)だけれどそれは、大概の言葉が正論で構成されているからであって、私の様な中庸・日和見・付和雷同を人生の指針にしているような半端者だからこそ、キツく感じるだけなのである。
正論の塊のような人格。
それにさえ目を瞑ってしまえば、彼女は刑事としても鑑識としても、とても頼れる友人だった。
「……それでミっちゃん。なんでこんな朝早くから電話をかけて来たんですか?」
頼れる友人であることはさておいて、ふと疑問に思ったことを尋ねる。
非番の日、しかもその早朝からたたき起こされるような要件に、とんと心当たりがなかったからだ。
だが、そんな私のノンキな考えとは真逆に、帰ってきたのは特大の溜め息だった。
『はぁ……』
「え、なんですか、その……え?」
『朝早くって……もう午前11時よ』
「――うそ」
『ウソじゃないわ。私があんたにウソついて何の得があるのよ。これは歴然とした事実。今日、二人とも珍しく非番が重なったから私の買い物に付き合ってくれるって言いだしたのはあんたじゃない。どうせ遅刻してくるだろうと予想がついたから、釘を刺してやろうって電話したのよ。その電話に出るのに、二時間近くかかったわけだけれど』
「……あちゃー」
呆れ果てたようなミっちゃんの言葉に、私はぺちりと額を叩く。
あー、と意味のない言葉を洩らしながら部屋の中――色々と混沌としている――を見渡し、どうにか発見した電波時計を手に取り、そこに刻まれた時刻を確認する。
11時17分37秒。
ああ、これは寝坊助だわ。言い訳のしようがないですよだ。
「ねぇ、ミっちゃん。私って、ナルコレプシーの気があると思う?」
『睡眠障害、それも精神に関わる話は鑑識じゃなくて病院でどうぞ。その手のものは経験しないと共感も理解もされないのよ。それより、さっさと起きて準備して頂戴。待ち合わせは午後一時に永崎駅のミセスドーナツ。忘れないようにね』
じゃあ、と、短く言って、彼女は一方的に電話を切った。
「…………」
私は暫くそのまま呆けていたが、やがて起き上がり、だいぶ遅い朝食を何か口にすべく冷蔵庫へと向かった。
……結論から言おう。
冷蔵庫の中で原形をとどめていたのは熟したトマトだけだった。
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