(3)

◎◎



「あの白い――メリーさんはどうしたのですか?」


 私の行きつけの喫茶店――長年隠れ家的に利用してきた秘密のお店だ――に場所を移して、仕切り直しの第一声。私は彼に、そう問うた。

 それはちょっとした疑問。

 だけれど、何となく彼らは常に二人で一組と言う印象があって。

 そしてその印象は、直感よりも確信に近かった。だから、ひとり(厳密には蜜夜もいたけれど)であんな場所にいた森屋帝司郎に、私は違和感を覚えていたのだ。

 だというのに、


「ああ、メリーは今、別行動だよ。僕らは不断の関係だが、普段から常に行動を共にしている訳ではない。あれにはあれで、やることがあるのだよ」


 などと、あっさり言い放ちやがる。

 さらには返す刀で、私へと嘲笑まで投げてくる始末だった。


「そんなことよりミス・ミスミ。君は、聞けば独身で非番だというじゃないか。ボーイフレンドの一つとでも出かける用事はなかったのかね?」

「誰からそんな事を……」

「無論、ミス・ミツヨから」

「…………」


 恨みがましい眼で親友を見遣ると、彼女は冷や汗を垂らしながら顔の前で両手を合わせてぺこぺこと平謝りしてきた。どうやら口を滑らかしたのは事実だったらしい。

 はぁーっと、私は大げさにため息をつき、親友に苦言を呈する。


「ミっちゃんもミっちゃんです。どうしてこんな怪しさ爆裂級の少年に口を割ってしまうのですか」

「いや、美少年は正義よ、あんた。ショタは正義でしょ壬澄」


 ……こいつ、警察組織の一員と言う自覚はあるのだろうか?

 歯車社会の警察機構で、変態かつ口が軽かったら、それはもう、どれだけ正論が吐けようが出世なんてできないと思うのだけれど……

 漠然と親友の将来を(勝手に)悲嘆する私に、森屋帝司郎はやれやれと首を振りながら話しかけてくる。いや、原因おまえだからな?


「それよりも、だ。ミス・ミスミ」

「森屋帝士郎。私を呼ぶとき敬称を付けるのはやめてください。普通に壬澄、或いは斑目と呼んで欲しいです。敬称は、正直苦手です。というか、あなたの呼び方は癇に障ります」


 私が不快感も露わにそう言い放つと、彼はニヤニヤとした笑みを口元に浮かべ肩を竦めてみせる。


「おやおや、これは失礼を。しかし、僕は君よりも年下に見えないかな? 年長者を敬うのも紳士の務めだ。それが淑女ならば尚更に」

「それだけ偉そうな口を叩いておいて今更年少ねんしょうも何もないでしょう。加えて言えば女は若く見られることを一般的には望みます。ですから、私は気にしません。どうか普通に呼んでください」

「ふむ……?」


 私が予想よりも強固に拒絶したからだろうか、彼は一瞬面食らったように頬をかき、それから幾許かの間を開けて「では――壬澄と呼ぶことにしよう」と、そう言った。


「壬澄」


 彼が、苦笑とともに言い放つ。寛容さを求める声音だった。


「あまりミス・ミツヨを責めないであげてくれたまえ。これに関しては、僕が聴き上手であるという、その才覚が飛びぬけているだけなのだよ。彼女に過失があったわけでは、断じてない。僕が巧妙に聴き出した。それだけの事だよ」

「…………」


 まあ、それは予想していた。そうだろうと思っていた。

 恐らく口八丁手八丁、何より太陽の輝きをもかすむその美貌を総動員して、彼は西堂蜜夜を自らの虜にし、私の情報を聴き出したに違いない。

 そのぐらい、あの日みせたこの少年の能力をもってすればたやすいことだろう。

 私と同様婚期を逃しつつある蜜夜を恋の虜にするなど造作もなかったに違いない。

 問題は何故、名前すらろくに覚えていなかった私の個人情報を得ようとしたかだ。

こんな小娘(それこそ小娘だ)この少年にとっては取るに足りない存在であろうに。


「えっと」


 思い悩む私の、しかしその疑問に対する回答は思わぬ方向からやってきた。


「あー、壬澄。どうもね、この人はあんたに、頼みたいことがあるらしいのよ」


 親友が、そんなことを口にした。

 えっと驚いて彼女の方を振り向くと、蜜夜は頬をかきながら、困ったような笑みを浮かべている。

 というか、なんだその、ドラマかなんかで、いかにも親友ポジションの役者さんが問題事を主人公に持ち込むときに浮かべるような顔は。


「……あの、ミっちゃん。今日は私、あなたとショッピングをしに来たつもりだったのですが」

「……ちょっと顔、貸しなさいよ」


 首に手をまわされ、有無を言わせず帝司郎少年の反対側に連行される。

 小声で何ですかと問えば、なによと彼女も応じる。


「あんた私の親友でしょ? いいから協力しなさいよ」

「なんの協力ですか、なんの」

「あの美ショタとお近づきになりたいのよ、メアドとか交換したいの、他のアドレスでもいいけどとにかく今のうちに接点をガンガン作っときたいの! 人は愛の為ならなんだってできるわ! 愛こそが理性を超越する唯一よ!」

「……ミっちゃん、あれはどーみてもろくなものじゃないですよ、愛すべかざるものです。親友として忠告しますが深入りしない方が……」

「可愛いは正義!」

「…………」


 ぼそぼそと内緒話をしてみるものの、どうやらこの強情な友人を説得することは難しいようだった。彼女が口にする言葉は大概の場合正論だが、その正論がねじまがっていないとは、誰も保障してなどくれないのだ。

 なにより、この友人は自らの欲望に忠実だ。

 私は、はぁ……と、ため息をついて――それから頷いてみせた。


「解った。解りました。協力するから、きちんと説明してください」

「さすがはミスミン! 持つべきものは融通の利く友達だわ!」

「誰がミスミンですか誰が」

「いえーい!」

「……いえーい」


 歓喜した彼女が手を上げるので、私もそれに付き合う。ぱちんとお互いの手を合わせて鳴らし、そうして席に戻ると、いつの間にか件の少年は紅茶をたしなんでいた。

 森屋帝司郎は片手にカップを持ち上げ、口元へと運ぶ。

 その様は一枚の絵画のように美しく、しかし彼の表情は微妙に優れない。

 どうやらこのお店の紅茶程度では、彼を満足させることはできなかったらしい

 ……まあ、珈琲のお店だしね、ここ。


「話を戻すわよ、壬澄。森屋君は、ある事件について、あなたを頼ってきたの」


 要約する。

 つまりは、こう言う話らしかった。


 森屋帝司郎――彼の知り合いのホームレスが、不可思議な噂話を持ちこんできたのがことの発端だという。

 それは、この街――永崎に住むホームレスが、次々に襲われ、その手足を失っているという話だった。


「彼はいわゆる情報屋だ。だから、対価をはずめば相応の情報が入ってくる。結果、既に7人の被害者が出ていることが解かった」


 推定される最初の被害者が現れたのが半年前、その後は点々と散発的に事件は起こっている。被害者の共通点はホームレスであるという事、永崎に住んでいることの二点で、それ以外はばらばらだったという。

 年配の女性であったり、まだ若い男性だったり、恰幅のいい方だったり、痩せ細っている方だったり、お爺ちゃんだったり、いわゆるオネェと呼ばれるものもいた。

 彼らは、一様にこう繰り返す。


 突然襲われて、抵抗する間もなく、手を、足を、引き千切られたのだ――と。


「彼らはすぐに病院へと搬送され、治療を受け、一命を取り留めた。しかし、それを行った犯人が誰であるかは、まだ判明していないという話よ」


 していなという話よ、って……ミっちゃん、どうしてそんな事をあなたが知っているのですか?


「調べたのよ。鑑識課にはきちんとデータがあったし、捜査一課にだって知り合いはいるもの」


 いや、あのね、ミっちゃん。私、これでも捜査一課の人間なのだけど?


「不可能犯罪対策係とかいう胡散臭い閑職に左遷されたあんたが言っても説得力ないのよ。はぁ……私と同期の桜がこんななんて、ホント情けないわ」


 ……まあ、彼女にすればそれが本音だろう。

 科学捜査のエキスパート。鑑識課の若きエース、西堂蜜夜に不可能犯罪などと言う言葉を適用しようという方が間違いだ。

 彼女の聡明な頭脳は、どんな難事件にだって光を当てる。どんなに小さな証拠でも、どんなに隠匿された痕跡でも、一度現場に入った彼女の眼を逃れることはできない。

 西堂蜜夜が証拠だと言えば、それは絶対不変の証拠なのである。

 つまり――


「そう、この幾つかの事件が、ひとつの連続犯罪であるという推論を導くに足る証拠が、存在するのよ」

「……ミっちゃん。いえ、蜜夜。あなたは、その話をまさか、この少年に……?」


 もし、それを口にしているようなら、はっきり言って職務規定違反だ。最悪懲罰もあり得るし、友人だからと言う理由では見過ごすわけにはいかなくなる。

 だから私は、かなり真剣な表情で、厳しい声でそれを問うた。

 解答は――


「ふん、まさか」


 優雅な所作で、紅茶のカップをソーサーに戻した森屋帝司郎の口から、放たれた。


「いくら僕が君たち国家の走狗イヌたる警察からすれば目の敵になるような存在とは言え、レディーに無意味な負担を強いることなどありえない。断言しよう。僕はまだ、その証拠とやらを聞いてはいないし、何なら今すぐ退席してもいい。君たちの輝かしい未来を、可惜あたら暗雲垂れ込めるものにするつもりはない」


 僕は紳士だからね。

 そう言って彼は、普段から浮かべている軽薄な笑みではなく、冷笑的なそれを覗かせて見せた。それは、こちらの事など心底取るに足りないと、わざわざ聞き出すまでもないとする意思表示の、その表明のようにも受け取れた。

 彼は、きっと私たちを見降していた。

 蜜夜も、それを感じ取っていたのだろう。

 陶然としていた表情を一気に引き締め、私へと告げてくる。


「壬澄、私だって馬鹿じゃないわ。解っている。この美少年が、ただの美形のショタじゃないことぐらい理解しているわ。鑑識をなめないで、警察官である私をなめないで。解っている――この子からは、濃密な死臭がする――べっとりと纏わりつく、どうしようもない死の匂いがあるわ」


 その決して不細工ではない、それでも愛すべかざるこの少年を前にして霞んでしまうその顔を蒼褪めさせながら、彼女は言う。


「どうやらこの少年は、私の手には負えない。ミセドで話しかけられて、気が付いたらあんたのことをべらべらしゃべっていた。その時点で、ああ、立っているステージが違うんだって理解できたもの。私が知る中で、この少年の美貌と、その邪知に対処できるのは捜査一課の御手洗部長と」


 後は精々――あんたぐらいのものよ。


「蜜夜……」

「あんたがどれだけ否定しても、殺人曲芸集団事件を生き延びて、その容疑者凡てを死なせずに逮捕したという実績は消えるものじゃないわ。その過去にあんたがどれだけ苦しんでも、世間はそう見ない。だから、不可能犯罪対策係なんてものが出来る。あんたは、ある意味で希望なのよ」

「…………」


 希望とか、なんとか。

 そんな大仰なものを背負わされても私は困る。

 私はただ、死にたくなかっただけだ。殺されたくなくて――そして、誰も殺させたくなかっただけなんだ。

 だから――


「話を本筋に戻そう」


 何かを吐き出しかけた私の口は、森屋帝司郎の言葉で塞がれた。

 彼がすました表情で、紅茶を一つとやりながら、私たちへと言葉を投げる。


「この街で今、どうやら傷害事件が多発している。ターゲットはホームレスの四肢。例外なくそれは引き千切るという方法で奪われている。そして警察は、これが連続傷害事件という証拠を掴んでいる。いながらにして、斑目壬澄――。通常通りに勤務をしていれば、絶対に耳に入るはずの情報が、君には届いていないのだ」


 それは、あの御手洗総一郎が、意図的に情報をシャットダウンしているから。


「その意味が解らぬほど、君は愚かではないだろう、壬澄?」


 彼が、モノクルの奥でその瞳を輝かせ、私へと問い掛けた。







 ――ああ、答えはあまりに明白だった。







「あなたが絡んでいるからですね、森屋帝司郎。あなたがこの事件に関わろうとしているから、私をそれに巻き込もうとしているから、だから情報が遮断されている。つまりこの事件は」


Exactlyその通りだ


 私の言葉を待たず、少年が、悪魔的な笑みを浮かべた。


























「ナーサリークライムが関与した超常犯罪である可能性が高い」


























◎◎



 イタチごっこのようなものである。

 或いは卵と鶏論争。

 不可能犯罪が先にあって、それに私が関わるか。

 私が関わった事件が、すべてそのように不可能犯罪と認定されるか。

 あの日から、あの忌まわしい事件に巻き込まれてから、私の周囲はそのように変貌してしまった。

 その呪いのような特性に、魔少年――森屋帝司郎は目を付けたのである。


「僕は、犯罪とは人の手による芸術でなければならないと考えている。特に殺人。これだけは絶対に芸術以外の理由で行われてはいけない。人間が行う最大の罪だ、そうでなくてはならない。故に、その芸術を穢す超常犯罪――犯罪詩ナーサリークライムの存在を許さない。僕はね、壬澄。すべての超常犯罪を撲滅し、その全てをロジックに零落させたいと考えているんだ」


 だから、君を利用したい。

 名は覚えていなくとも、超常としか思えない強大な犯罪に人の身で立ち向かおうとした君を、その精神を僕は忘れていなかった。

 だから利用したいと、彼は言った。


「君達は同一に語るが、不可能犯罪と超常犯罪は明確に違う。超常犯罪は絶対にひとの手では再現できない。不可能犯罪は、至高にして思考の芸術だ。斑目壬澄。君が巻き込まれる犯罪は、高確率で超常犯罪だ。だからこそ、僕は君を利用した。超常犯罪を見つけ出し、あぶりだすための手段として」


 それが、僕の頼みだよ。


「だから、退席してもいいと言ったのだ。ここまで話して、これだけのことを告げて、それでもすべてを見過ごせるほど君は――あの日、真子島で見せた斑目壬澄の勇姿は陳腐ではなかった。君ならば、必ずこの事件の真実の到達するだろうと――。その願いを託すために、僕は君に会いに来たんだよ、レディー」


 何処となく寂しそうな笑みを湛えて、少年は――森屋帝司郎は、そう言った。

 その表情があまりにも寂莫と哀憫に充ち溢れていたから、私は彼の言葉を安直に否定することが出来なかった。

 うそ偽り、口先三寸のまやかしだと、否定する意思を持てなかった。

 だから、事件の独自調査、その同伴者として、彼を認めてしまった。認めてしまったのだ。

 故に――今回も切っ掛けは私だった。



 ブラックバード事件。

 或いは現代の切り裂きジャック。



 後にそう命名されるこの事件の登場人物として犯罪王が、そして私が名を連ねたのはこの瞬間からであった。

 そしてこれが、随分と先まで続く腐れ縁の、その最初の一歩になってしまったのである……

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