第32話 桂と里(それぞれの道)

 「お侍様、随分ずいぶんと立派な銃をお持ちのようで」

 船頭の一人が、桂が背負う六尺五寸ろくしゃくごすんの銃を見てそう言った。

 桂は別に気に止めることもなく、眼だけでその船頭を見上げる。

 しかたなくその船頭は、今度はチラリと里の方に眼を移す。


 「どちらまで行きなさるので?」

 これには桂が答える。

 「呂宋島るそんじゃ」

 呂宋島とは現在のフィリピンの当たりの島々を指す。

 この頃、海上交通として九州は長崎や薩摩さつまより琉球りゅうきゅうを経て、数多くの船が行き交っていた。

 つまりは、伊予を出立した後二人は九州へと渡り、次なる土地を求めてこの舟に乗り込んだというわけである。


 船頭は、もう一度里を見直すと、桂の前に膝をついた。

 「お侍様、それはいけませんぜ。見たところ、奥方おくがた様は身籠みごもっておられるご様子、呂宋島まではちと持ちますまい。それに・・・」

 「それに、何じゃ?」

 口ごもる船頭をにらみ付ける桂。

 「それに呂宋島には、国元くにもとより渡った者達が南蛮人どもの傭兵ようへいとなっては街を荒らし回っているとのこと。その中には、元々お侍だった者もいると聞きやす。そんな所に奥方様をお連れするのは如何かと・・・」


 「その傭兵とは如何なるものじゃ?」

 桂は船頭のえりを掴むと、そこに座らせた。

 「傭兵とは、南蛮人によって金や食い物などで雇われた兵隊のことでございます」

 「南蛮人なんばんじん・・・」

 桂は、かつて京の街で見かけた幾人ものそれを頭に浮かべた。


 舟は薩摩と琉球との間にある幾つもの島を見ながら、なおもゆっくりと進んでいく。

 空は抜けるように高く、その船の舳先へさきが上下するたびに、何処までも続こうかという真っ青な海が、いやでも桂の眼に飛び込んでくる。


 桂はしばらく一人考えを巡らせている。

 その姿が船頭にとっては近寄りがたいものに思えたのであろう、彼はあえてその次の言葉を継ぐことはしなかった。

 それでも、時より間違えて船の甲板に上がってくるを拾い集めては、また桂の前にと座り直すのである。

 「は焼いてもええし、あぶって出汁だしを取ってもええんじゃ」

 真っ黒に日焼けした船頭は、竹駕籠かごに入れられた飛魚とびうおを里の前に指し示す。


 「海を飛ぶ魚など、この眼で見るのは初めてでございます」

 眼を丸くする里に、船頭もほおを緩めた。とその時、急に桂が船頭に声をかける。

 「傭兵となるには如何したらよいのじゃ?」

 その顔に、今度は船頭の方が眼を丸くすることとなった。

 桂の眼がきらりと輝いたように見えたからである。


 これから渡る見知らぬ土地に悪党共が徒党ととうを成していると聞いてもまゆひとつ動かすどころか、笑みまでたたえているのである。

 その上身重みおもの連れまで従えているというのだ。普通の者ならば、一目散に逃げ帰るところであろう。


 「わかりやした。呂宋島へと渡りやしたら、南蛮総督そうとくのもとにお連れいたしやしょう。ただその前に、琉球に立ち寄り、お子だけは取り上げて下さいまし」

 桂は答える替わりに、里の方にひとつ頷いた。

 こうして、桂と里との間にできた最初の子は、琉球で生まれることとなった。名を青松あおまつという。

 そしてこれより二年の後、三人は再び舟で呂宋島を目指すこととなる。



 呂宋島に渡った桂は、その腕を生かし鉄砲隊による傭兵集団を作り上げた。

 それまでのようなやからや悪党共ではない。規律有るプロの射撃集団である。最初のうちそれは、南蛮人にとってもたいそう重宝ちょうほうされた。

 なにせどのような外敵に対しても連戦連勝、向かうところ彼らの敵となるものはなかったからである。

 しかしこれとて初めの内で、当時彼らの所有権者でもある南蛮人から見れば、むしろ彼らは外敵同様、いつ自分達に刃を向けるかも知れないという脅威きょうい以外の何ものでもなかったのである。

 桂らの鉄砲集団が活躍すればするほど、むしろ南蛮人との距離は少しずつ離れていった。


 またそれは、別の形でも現れた。

 傭兵集団の中には、南蛮人には頼らず自分達だけの村をおこす者達も出てきたのである。

 その中には現地の者達をも従え、逆に南蛮人が支配する街などから金品や食料などを略取するという行為に及んだ。

 ただこれも、考えれば当然の成り行きである。

 もともと呂宋島にいた原住民にしてみれば、近代的な兵器とともに一夜にして島を支配した南蛮人に対する畏敬いけいの念など微塵みじんもなかったからである。むしろ、彼ら支配者を追い払ってくれる異国の地から来た侍達に従ったとしても何の不思議もないことであろう。

 しかし、これらは結果的に彼ら自身だけではなく、桂らを窮地きゅうちに追い込むこととなった。


 桂が傭兵を指揮して出向いた戦の中には、原住民に混じって、同じ海を渡って来た者達が含まれるようになってきた。

 つまりは、桂は同胞に向かってその銃の引き金を引くことになったのである。

 桂にも迷いが生じる。当然志気は下がり、傭兵としての役割にも支障をきすようになってきた。

 彼らは次第に、呂宋島でその居場所を失うと新たな地を求め、今度はその兵団を率いてマルッカから更にシャムへと渡って行った。


 シャムとは現在のタイ王国に位置し、後に日本から流れ着いた山田長政ながまさが交易を足がかりに活躍したというその国である。

 最初長政は麻や絹、香辛料こうしんりょうなどの仲買なかがい商人として少しずつアユタヤ国王の信用を得ていった。

 また、この山田長政は優れた軍事的才能をもしていたため、この頃日本から渡った武士集団を統率し、たびたびシャムの内乱鎮圧ちんあつなどにもその功績を挙げたのである。

 

 このように当時のアユタヤ王朝下にあって、長政率いる傭兵集団が次第に頭角とうかくを現しはじめると、近隣諸国だけではなく、土地の者達も彼らを『東方から来た虎』と言って警戒した。が、その中でも一際恐れられた男がいた。


 その男は『慈悲じひ無き麒麟きりん』と呼ばれ、戦では長距離の狙撃を得意としていた。

 そして、常に長政の側にあっては、いつも眼を煌々こうこうと輝かせていたという。

 噂ではかなりの老兵で有るともいい、また闊達かったつな青年で有るともいう者もいる。どちらが本当のことなのか知る術もないことだが、射撃の腕だけは確かなものであったらしい。


 その男の逸話いつわが残っている。

 それは、山田長政がアユタヤ王国の南の地、リゴール国王に任命されたときのことである。

 王宮へ移動する途中、長政率いる日本人の武士集団二百余名は、旧国王を指示する反乱勢力二千に囲まれた。

 早速王宮まで応援の兵を差し向けるよう伝令を走らせたものの、援兵えんぺいが来るまでの二時ふたとき、両軍はまさに死闘を繰り広げることとなった。

 その中で、一際異彩ひときわいさいを放ったのが例の男であった。


 男はその長い銃を構えるや、覆い茂る樹木の間より姿も見せずに鉄砲を放つのである。

 一瞬の空気を切り裂く音のあと、敵兵が崩れ落ちる。恐れをなして立ち止まる者は、容赦ようしゃなく次の犠牲者となる。


 初め白兵戦はくへいせん状態にあった戦も、時が経つに連れ形勢が長政軍の方に傾いてきた。

 男はすでに百以上もの敵兵を撃ち抜いている。もちろん、男が指揮する鉄砲隊を含めれば、その数は計り知れない。

 結局、反乱勢力は長政らが王宮からの援兵を待つこともなく総崩れとなったというのだ。


 そんな日本人部隊によって支えられた長政も、一六二九年、リゴール王国の南に位置するパタニ王国との戦闘での怪我がもとで死亡することとなる。

 この戦闘の際、最後まで彼の傍らにあって銃を撃ち続けていた古老の男がいたことだけはそこにいる誰もが見ていた。

 だが不思議なことに、その後、その男を再びこの地で見た者は誰一人としていないという。

 はたしてこの男が、あの結城桂なのかどうかは分からない。

 しかし、後にも先にも三町以上も離れた敵の頭を狙撃できる人間はこの男の他はいなかったこともまた確かである。


 こうして長政の死後、皮肉なことにも日本人の武士集団は、その生みの親でもあるアユタヤ国王の手によってほうむり去られることとなった。

 同時に、その恐れられていた男のことも、いつしかその国の歴史の中で語られることはなくなっていった・・・


 

 一方、桂と供にシャムへと渡った里はと言うと、彼女は子宝にも恵まれ、桂との間には九人の子を授かった。

 さらにその子らがもうけた数多くの孫達の中で幸せに暮らしたという。

 今ではあるじの帰りを待ち続けることとなった二人の部屋には、遠い昔、桂から弓木の城で手渡された紅色のかんざしがひとつ飾られている。


 「お祖母ばあ様、丹後とはどのようなところでございまするか?」

 あの時、琉球で生まれた青松の子のりくが、里の耳元でささやく。


 里は遠く北の空を見上げると、目映まばゆそうに眼を細めた。

 「父上から聞いたのですか?」

 「はい」

 陸は真っ直ぐに里を見つめる。

 その青松も今ではその名を兼光かねみつと改め、日本人町のおさを務めている。

 もちろん兼光は一度も日本の地を踏んだことはない。幼い頃から里に聞かされた丹後での話を、その子の陸にも語ったのであろう。


 兼光の風貌はどこか桂を思い出させる。

 それだけではない。先を見通す能力などは、まさに彼譲りとも言えよう。

 ゆえに、アユタヤ国王配下のシャム軍によって日本人町が襲撃されたときも、その家族をいち早く避難させることができたのは彼の仕業しわざであった。

 その後、再び離れていた日本人が集まり、町興しの為に尽力したのもまた彼である。

 それからも、この日本人町は百年余りの間ひっそりとアユタヤの地に根付いていくこととなる。



 里は、今日も透き通るような青い空を見上げる。

 その空と海とが重ならないように、かろうじて白い波が境界線を作る。

 彼女は庭に置かれた椅子に腰掛けると、ナグのこうに火を点す。たちまち辺りはテイハボクの花香に似た香りに包まれる。


 「いつかはあの人と一緒に、また丹後へ帰りたいものですねえ・・・」

 後年こうねん、これが里の口癖であったという。

 そんな里は、九十二歳まで生きた。

 

 それはあたかも丹波の山中で、あの僧恵瓊えけいが語った言葉を守り通したようでもあった・・・





                                                                                                               了

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天翔る麒麟 鯊太郎 @hazetarou1961

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