第31話 別離

一方、追われるように丹後を後にした桂と一色右馬三郎範之いっしきうまさぶろうのりゆきらの一行は、秀吉が統括する播磨はりまを避け但馬たじまから美作みまさかへと渡り、その後毛利が支配する備中、備後を経て安芸あきへと入った。

 ここから目指す伊予いよまでは瀬戸内を舟で渡るだけである。


 途中、領内を行軍する一色家の一団を毛利方の斥候せっこうが荷改めをすることはあったが、あらかじめ安国寺恵瓊あんこくじえけいより達しが出回っていたのであろう、不必要ないさかいは一度も起こらなかった。

 そればかりではない。

 一行が三原の宿に辿たどり着いた時には、伊予へと渡る舟の手配もいつの間にか整っていたのである。


 「おそらくは、恵瓊殿の仕業しわざであろう」

 桂の言葉に、義兼もひとつ頷いた。

 当時、小早川隆景たかかげと供に毛利家の支柱とも言える安国寺恵瓊が、何故一色家に対し過分なまでの対応を示したのかは分からない。

 しかし、戦国の世にあって、最後まで己の生き様をつらぬこうとする一色家に、少なからず毛利家のそれを重ね合わせていたのかも知れない。 

 それ故、秀吉が天下を取った後、つまりは恵瓊が秀吉の傘下さんかに加わった後でも、彼は伊予に渡った一色家の末裔まつえいのことを最後まで秀吉には隠していたのである。


 それが恵瓊と言う男の生き様なのか、また秀吉に対する一服いっぷくの反抗心だったのかは分かろうはずもない。

 こうして、恵瓊という影の存在とこれまた幾つか時の偶然とが重なり合い、右馬三郎範之を藩主とする一色家は伊予国宇摩郡うまぐんへと辿り着いたのである。



 その後、年が変わる頃には外祖父河野通泰こうのみちやすの計らいもあり、新居郡にいぐんの旗頭でもある石川氏のもと、この地に一色家の新たな拠点作りを始めることとなった。


 最初の城は萩生はぎゅうの西、渦井川うずいがわの丘陵に建てられた。北側には瀬戸内海が広がり、城の麓より渦井川がそれへと流れ込んでいる。

 偶然であろうか、それは、今は離れし丹後の中山城の風景に酷似こくじしているものでもあった。北には若狭湾をのぞみ、その海へと由良ゆら川が流れ込むそれである。

 それに中山城は、亡き一色義道がその最後を迎えた場所でもある。必然的に一色範之はその城を中山城と命名した。

 こうして、一時いっときではあるものの一色家は新たなる安住の地を目指し、その第一歩を踏み出したのである。


 ところが、この頃になると、義兼よしかねは結城桂のことを気に掛けるようになっていた。

 この萩生の地においては、彼の居場所が見当たらないと言うのがその理由である。


 突然織田の世が終わり、まさにこれから羽柴秀吉の世が始まろうとしている今、丹後では鉄砲稼業を生業なりわいとしてきた桂は、この地において必要不可欠であるとは言い難いものでもあったからだ。

 そればかりか、範之直属の家臣からすれば、何ものにもおける桂の才はうとましくもあり、逆に危険な存在とも思えたからである。


 いち早くことの真相を察知した義兼は、桂に伊予を出ることを薦めた。

 もちろん、彼にしてみれば断腸だんちょうの思いであったに違いない。それでも義兼は、彼の心を押し殺し桂に言葉を繋げた。


 「桂、しばらくの間、里と供に他の土地でも見て回らんか。殿にはわしから言うておく」

 「やはりここには、わしの居場所はないようじゃのう・・・」

 聞いて義兼はハッとした。桂には回りくどい言い方をしても無意味だからである。

 義兼は言葉を改める。

 「そうじゃ、ここでは戦もなく、また範之殿の家臣らもそろうておる。わしは、むしろ桂の身が心配なのじゃ」


 「相変わらずの心配性じゃのう、冬馬とうまは・・・」

 確かに桂は、義兼を『冬馬』と言った。

 「今は良い。じゃが、数年もせぬうちに世は羽柴殿の天下となり、この四国にもその波が押し寄せて来るは必定ひつじょう。その時は如何する?」


 そう切り出した桂と義兼の間には、すでに身分の違いなど無い。義兼も以前の冬馬に戻った口調で桂に語る。

 「四国には長宗我部元親ちょうそかべもとちか殿がおる」

 空かさず、桂が口を挟む。

 「いかな長宗我部殿とて、あの織田の強さは冬馬も知っておろう。それを受け継ぎ、更に大きくなった羽柴殿に敵うと思うておるのか?」

 しばしの沈黙・・・


 「如何にも。四国を治めんとする元親殿を持ってしても、激流の如き羽柴殿の軍勢を押さえることはできまい」

 「では何故じゃ。戦となればわしの力も必要となるであろう・・・」

 「勝てぬと分かっておるからじゃ」

 冬馬がぼそりと呟く。

 首をかしげる桂に、冬馬が歩み寄りその肩を抱く。


 「勝てぬと分かっておるからじゃ。勝てぬ戦におぬしを送り、死なせとうは無いのじゃ」

 「冬馬・・・」

 冬馬が続ける。

 「今や一色家は石川殿にくみしておる。たとへ戦にて羽柴方と相対することになり敗れたとしても、食客しょっかくの身である範之殿までその責を問われることはあるまい。じゃが、おぬしは違う」

 冬馬は桂の掌を広げると、それを両の手で覆い包む。


 「じゃが、おぬしは一旦事が起これば、その命が尽きるまで戦うであろう。おぬしのこの手に赤い血が流れている限り、銃を握り続けるに違いないからじゃ」

 「それが、わしの生きるあかしじゃ」

 彼の手を握り返す桂に、冬馬は小さく頭を振る。

 「では、里は如何いたすのじゃ。わしらは供に互いの命を託し合い、ここまで来たのではなかったのか。今やおぬしの命は、おぬしだけのものでは無いはずじゃ」

 桂には、もう返す言葉が見つからなかった。



 次の日の早朝、まだ夜が明け切らぬ中山城の裏門を抜ける二つの影があった。ひとつは結城桂であり、もちろんもう一つは里である。

 二人にとっては見送る者も一人としていない、寂しい門出かどでである。

 里は城に向かい小さく頭を下げると、振り返らずに前を歩く桂の背中を追いかけた。


 ただひとつ、山頂より海岸へと抜ける道々には、足下を照らす為であろうか、幾つもの油提灯あぶらどうろうが立て掛けてある。


 「相変わらずの心配性じゃのう」

 桂の言葉に、里はそっと目頭を押さえた・・・


 海岸線を歩く二人が中山川を渡る頃、遠く東にある八堂山はちどうやまの山裾より朝日がおどるように上がってくるのが見えた。

 「冬馬、何としてでも生き抜くのじゃ」

 桂はその朝日を睨み付けるように口を開く。里は答える替わりに、桂の手をきつく握り締めた。



 しかしその願いもむなしく、それから二年後の天正十三年の春、桂が予見していたとおり時の覇者羽柴秀吉は弟秀長ひでながを総大将とする十万余の軍勢を長宗我部元親討伐とうばつに送り込んで来た。

 いわゆる『天正の陣』と称される四国攻めのことである。


 この戦に、一色家の武将として真っ先に向かったのは、冬馬こと義兼であった。

 あるいわ己の死に場所というものを悟っていたのかも知れない。


 「よいか、これから後は何事も穏便おんびんに済ませよ。けっして一時の気の迷いにてことを急いたり、また大波にあらがってはならぬ。しかと申し伝えたぞ」


 義兼は右馬三郎範之を支える赤澤伊周これちかや伊藤嶋之助しまのすけらに言い放つや、単騎石川氏の陣へとはせ参じた。

 赤澤らにしてみれば、何故自らは戦に出向く義兼が、彼らにそう伝えたのか分かろうはずもない。

 つまり義兼の中では、すでに勝敗は見えていたのである。

 しかし、食客として受け入れてくれた石川氏にも、また東伊予への労を買って出てくれた河野通泰こうのみちやすの為にも、一色の兵ここに有るを見せる必要があったのであろう。

 そのことを範之はじめ一色氏の家臣が気付くのには、いま少し時間がかかることとなる。

 

 一方秀吉方の小早川隆景たかかげ率いる中国勢は、伊予丸山城を攻略した後、余勢よせいを駆って東伊予へと雪崩れ込んで来た。

 これを食い止めるべく、義兼は石川氏とわずかな手勢を引き連れ奇襲を仕掛けたが、ついには一人として城へと戻る者はいなかった。

 はたしてこれが、義兼らしい死に方であったのか、それとも彼らしからぬものであったのかは計り知ることはできない。

 しかし、間違いなく戦国の世を生きた一人の若き英傑えいけつがその姿を消したことには違いなかった。


 次いで、一色範之が居城の中山城も包囲されたが、すんでのところで長宗我部元親が降伏したことにより、中国勢は反転し西伊予討伐に取りかかった。そのために、範之をはじめ、その城と兵とは無事ですんだのである。


 こうして、石川氏と供に四国方として戦った一色勢ではあったが、その後の秀吉統治下では、範之をはじめその子重次じげつぐも羽柴方青木一重あおきかずしげの代官としてこの土地を治めることになった。

 以降、東伊予における一色氏の流れは江戸時代を経て、幕末から今日まで続くことになる。

 その間、日清日露戦争や第一次、第二次世界大戦をはじめ、幾多の戦争にもその一族の末裔まつえいが従軍したのは言うまでもない事である。まさに一色氏の歴史は、いくさまみれの歴史と言っても過言ではない。

 しかし、これもあの戦国時代、一色義定が父義道の子右馬三郎範之を丹後より落としていたからこそ成せる技であったかも知れない。


 現在でも、日本全国に一色姓は一万人弱いると言われている。

 そのうち、約四割近くにあたる人々が当時の伊予、現在の愛媛県に在住しているというのもなるほどうなずける話でもある。


 何れにしても、紛れもなく遠い昔に伊予には一色一族が渡り住み、またその歴史の中に足跡そくせきを残してきたと言うことだけは確かなことのようである。

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