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蔵の中の青年にはモデルが実在するのです

貧しい小作農の十二番目の子供として生まれた彼女は、著しい身体的な特徴を持っていました。腹部に双子の片割れが宿っていたのです。寄生性双生児で、二本の足と指のある手が一本、突き出していました。

『曲藝團〜』に登場する別当青年には実在のモデルがいて、名前を一部拝借しています。ベティ・ルー・ウィリアムズ、それが実在する人物の名前です。

ベティさんは一九三二年(昭和七年)、米南部ジョージア州の片田舎で誕生しました。弟か妹か、双子は手足だけに見えますが、エックス線検査で頭部が姉の膨れた腹部にあることが判明しました。ただし片方には意思もパーソナリティもありません。

貧しい農家に世にも稀な畸型がいるという噂を聞きつけた人物が、さっそく両親と交渉し、ニューヨークに連れて行きます。見せ物にする為です。ベティさんが一歳の時でした。

そして、有名な興行師が引き取り、彼女は見せ物の畸型としてデビューします。拒むことは出来ません。まだ物心もつかない頃です。

見せ物になったベティさんは忽ち人気者になりました。小さな女の子は銀幕のスター並みに稼ぎ、報酬は週給で二百五十ドル。当時としては破格です。しかも大恐慌の混乱を引き摺る不況期であもありました。

彼女を診察した医師は長く生きられるとお墨付きを与えました。大きな健康問題もなく彼女は成長し、その人気も衰え知らずでした。不幸な身の上ですが陽気な性格で、美貌の持ち主だったと言われます。戦後、成人してからは週に千ドルを稼ぐようになりました。

言い寄って来る男も多かったようです。二十二歳の頃、ベティさんは婚約しますが、相手は資産目当ての悪い人物でした。彼女は恋をして、失恋します。

不幸は突然でした。ニュージャージー州の自宅で、呼吸器系の発作に見舞われ、急逝します。享年二十三。医師は長く生きられると断言していましたが、違いました。弟か妹の頭部は内臓を圧迫していたようです。

惜しまれる短い人生でしたが、彼女は莫大な遺産を残しました。生前、両親に二百六十エーカーの農地をプレゼントしています。これは東京ドーム二十個分よりも広い土地です。更に、ベティさんの兄や姉ら十一人が高等教育を経て、大学に入学しています。勿論、二歳の頃から見せ物で稼いだ妹の援助がありました。当時の米南部の黒人小作農が子供を大学に通わせるなど異例のことです。また資金援助だけではなく、兄や姉は賢かったのでしょう。ベティさんも聡明だったと想像します。


ベティさんの数奇な人生は、美談にも見えます。大勢の家族を幸せにしました。小作農は大農家になり、子供たちは最高学府に進学しました。これは間違いなく、良い話しでしょう。

一方、同じ頃かそれ以前、本邦では畸型の見せ物が禁じられ、ベティさんのような重大な障害を持つ者が、表舞台に立つことはありませんでした。何か日米で人権感覚の逆転現象があるようにも思えます。

この違和感の正体は何か?

米黒人差別の法体系であるジム・クロウ制度と関わりが深いと考えます。ベティさんは南部の貧しい農家に生まれた黒人の女の子でした。無法な人身売買とは異なるようですが、家族と引き離され、わずか二歳で見せ物になります。彼女が白人女性だったら、別の運命が待っていたと考えられます。

大恐慌前には四本足の白人女性がサイドショー芸人として活躍しています。綺麗なドレスを着て、豪華な椅子に腰掛けるだけの「芸」だったようです。しかし、ベティさんは半裸で見せ物にされました。写真ではいつも笑顔ですが、本音はどうだったのでしょうか?

美談か悲劇か、良し悪しを問うものではありません。しかし、ベティさんの物語には、立ち止まって考える余地があります。表向き、誰も大きな声で議論したりはしませんが、考察する必要があるはずです。

因みに『曲藝團』はそんな重いテーマを背負っているようにも見えますが、フェイクです。作者は途中ですっかり忘れて、なんだか違う方向に突き進みます。

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