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  • 第6章 閃光と影への応援コメント

    @jbvanhalさま

    こんにちは。
    「低音が歌う時代が来たんだ」「低音の革命だ」とありますが、それまでは低音楽器が中心になるような音楽は、あまり好まれていなかったということでしょうか? コントラバス協奏曲も、この時代に作られるようになったということですか?

    作者からの返信

    佐藤さま
    コントラバスがソロの協奏曲はあまり多くない≒前面に出しづらい楽器ということであったと理解しています。このエピソードは史実の断片から組み立てています。ディッタースドルフは、1760年代に同じ楽団でシュペルガーと顔見知りになっており、ディッタースドルフの代表作の一つともいえるコントラバス協奏曲を書いています。シュペルガーも生涯で18曲ものコントラバス協奏曲を書いてます。コントラバスを主役にした曲を書いてやろうという意欲がこの頃に芽生えたのではないかと思います。
    彼以前にもあったかもしれませんが、コントラバスをソロにした曲は稀少だったと考えます。
    ヴァンハルは1760年代にウィーンに来て、同じ年齢のディッタースドルフに師事しており、親密な関係もあったと推測されることから、ヴァンハルのコントラバス協奏曲(自筆譜がなく、伝ヴァンハル作ともいわれる)を作曲したのも、ディッタースドルフからウィーンでシュペルガーを紹介されて触発されて作ったのではないかと想像しました。
    ヴァンハルのコントラバス協奏曲は1770年なのか、1780年代なのか成立年が諸説あるようで、物語ではモーツァルトと会った後の1780年代と考えました。

  • 第5章 ハイドンとの邂逅への応援コメント

    @jbvanhalさま

    こんにちは。
    「音楽家は旅をすると変わる」という言葉に考えさせられます。当時は今のように世界中がネットを介して繋がってなどいませんでした。各国、各地方は、独特の文化をより強く保持していたのでしょう。その地に実際行って、はじめて実感できるものが今より多かったのだと思います。新たな文化を知ることは、自分の音楽の広がりや深みを変えていくきっかけとなるのでしょうね。人によっては、自分をより確信するきっかけになるのかもしれません。

    海外のヴァンハル協会のサイトを拝見しました。ヴァンハルを愛好する一般人や研究者が設立した協会なら、この小説に興味を持ってくれそうですね。日本でも、日本チェコ協会や日本チェコ友好協会、場合によってはチェコ倶楽部あたりが興味を持つのではないかと思いました。

    作者からの返信

    佐藤様
    いつもお読みいただきありがとうございます。
    ご指摘の点については、有名な下記のモーツァルトの言葉に表れていますね。

    旅をしない音楽家は不幸です。

    一方で、宮廷に奉仕する人生を選んだハイドンは(他者の影響を受けることよりも)独創的にならざるを得なかった。
    といった趣旨の言葉を残しています。

    日本チェコ協会、日本チェコ友好協会、チェコ倶楽部。なるほどよくご存知ですね。確かにこの辺にも関心持ってもらえるかもしれません。

    編集済
  • @jbvanhalさま

    こんにちは。
    ウィーンでヴァンハルと名を変え、出自を恥じつつも、演奏を始めると耳の超えたウィーンっ子をも黙らせるゆるぎない音を響かせられるのは素晴らしいですね。
    当時、ウィーンが音楽の都出会ったのは間違いないと思いますが、プラハはどのような扱いだったのでしょうか?

    作者からの返信

    いつもご愛読いただきありがとうございます。
    深く、じっくり読んで下さってうれしいです。
    ヴァンハルの人生については、謎が多く推測で書いている部分が結構あるのですが、物語の進行上の時系列と史実ははなるべく尊重しています。
    内面描写は私の推測です。
    18世紀後半のプラハも、間違いなく音楽界における重要拠点であり、しかも街の音楽への評価の確かさは、後年モーツァルトがウィーンでいまいち受けなかったフィガロが大ヒットし、ドン・ジョバンニに繋がるという実例が証明している様に思います。
    私が仕入れた情報では、優れたボヘミアの音楽家程より良い待遇やチャンスを求めてウィーンに集結したということ、あとはヨーゼフ2世の改革でプラハの音楽シーンに重要な位置を占めていた修道院等の宗教施設が影響を受けたことも背景にあるということです。
    物語では、まだ朴訥な青年ヴァンハルですが、ウィーンに出る時点で領主から目をかけられる程にはなっていて、より自信を持ってウィーンに乗り込んだのかもしれません。ここも推測に過ぎませんが。文献や資料によっては、彼が音楽で稼いだ金をためて、農奴の身分からの自由を買ったという記述もあります。何が本当の情報かは分かりませんが。
    尚、今回の作品については海外のヴァンハル協会https://wanhal.org/というところに「史実にフィクションを混ぜた小説を書いている」という連絡をしたところ、是非読みたいということだったので、英訳して原稿を送っています。日本人が彼に興味を持って物語にしていることを面白がってくれているのかもしれません。

  • 第1章 ボヘミアの冬への応援コメント

    @jbvanhalさま

    こんにちは。
    チェコ人はみな音楽家だ、などという言葉もありますが、貧しい農家にも、一丁のヴァイオリンがあったというのはまさにそれだなあと思いました。
    そこに生まれたひとつの才能が伯爵夫人に認められウィーン行きが現実のものとなったのは、もちろん運も大きかったのでしょうが、多くの人を引き付ける素晴らしい才能だったことの証拠でもあるのでしょうね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。謎が多い人物ですが、彼はボヘミアの農民しかも土地に縛られる農奴の出身と言われています。ご指摘の様に、その卓越した才能を見抜いた支援者、教師に引き上げられ、ついには領主から自由を獲得していったと想像されます。それだけ周囲が放っておけない才能だったということでしょうね。

  • 序章 静かな終わりへの応援コメント

    @jbvanhalさま

    こんにちは。
    まさかカクヨムでヴァニュハル(ヴァンハル)の物語に出会えるとは思っていませんでした。
    演奏会で名前を聞き作品に触れただけで、他の情報はほとんど知らないチェコの音楽家です。じっくり拝読させていただきます。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    モーツァルト、ハイドンと並ぶウィーン古典派の巨匠でありながら、殆どまともな評伝もなく、語られることも少ない彼について、史実を調べ、それを尊重しつつも史実では窺えない彼の内面や、同僚達との交流をフィクションにして空白を繋ぎ、彼の生き方を描きました。是非お読み下さい。