第16章 祈りの季節のはじまりへの応援コメント
@jbvanhalさま
こんにちは。
> 祈りとは、失われたものを抱きしめるための音楽なのだ。
なるほど、失われたものとは、決して死に別れたものとは限らないのですね。ともにこの世にありながら、もはやその歩みを重ね合うことのないものたち、それでも忘れることのできないものたちを惜しむ祈りもあるのでしょう。
作者からの返信
いつもご愛読いただきありがとうございます。
作品の言葉が、誰かの人生の言葉として響いたことが、作者として何よりの喜びです。
第15章 喪失の季節(モーツァルトの死)への応援コメント
@jbvanhalさま
こんにちは。
この時代は、暖房装置も今ほどしっかりはしておらず、感染症に対する知識もまだ少なかったでしょう。体が弱ると、冬の寒さは文字どおり命取りになったのでしょうね。ついにモーツァルトの早すぎる死がやってきましたか。彼の才能に魅了されただけでなく、そのきらびやかさに照らし出されることで、ヴァンハルは自分の影としての音楽をゆるぎなく見据えられたのかもしれないと感じました。彼の死はヴァンハルに大きな影響を与えたのだろうなと想像します。
作者からの返信
こんにちは。
ご愛読ありがとうございます。
モーツァルトの死の描写は敢えてあのようにしました。
便りがないのが元気な証拠。疎遠になったといよりもお互い仕事は順調だったのでしょう。
推測はいろいろとありますが、彼の最後の年は実に生産的であり、まさかこの年に亡くなるとは本人も思ってもいなかったのではないかと想像します。
あれほど望んでいたポスト就任も(前任者の順番待ちで、死の床についてからですが)見えていたということで、無念さもあったのでしょう。
以前読んだものでは、当時は病気は悪い血のせいということで、瀉血をし過ぎたのが体力を奪ったという説もあるようです。
ヴァンハルにとっては、あらゆる点で対照的であることが、自分の存在と響きあっていたのだと想像します。
モーツァルトがヴァンハルの作品を評価していたのは事実ですし、ご近所に住んでいたこともあったので、史実に明確な記録はありませんが、心情的にもかなりの衝撃はあったのだと思っています。
編集済
第16章 祈りの季節のはじまりへの応援コメント
何度かバニュハルの曲を弾いたことがありましたので、楽しく読ませていただきました。
知られざる作曲者ですが、弾いてみると楽しいですね。この作品でも意外な一面が見られました。ありがとうございました。
作者からの返信
ヴァンハルを演奏されたご経験のある方からのコメント、
とても嬉しく、同時に身の引き締まる思いで拝読しました。
いい加減な描き方はできない、と改めて背筋が伸びるような気持ちです。
私自身、彼の作品に魅了されたのがきっかけですが、
彼の音楽の軽やかさや、時に見せる意外な表情を、
物語の中でもそっと描けたらと願いながら書いております。
「知られざる作曲家」を知るために書きたかった作品でもあり、史実は尊重しつつ、断片的な情報を解釈し、その多い余白を埋めるに際して、ヴァンハルかくありや?
と思えるような作品をめざしました。
温かいお言葉をありがとうございました。
第14章 影の季節(光の余韻が消える頃)への応援コメント
@jbvanhalさま
こんにちは。
当時はいまより精神的な病についての理解は浅かったでしょう。肉体的にも限界まで追い詰めるような生活をする人も多かったかと思います。ヴァンハルの不調も、本人は病だと認めず、無理を繰り返していたのかもしれませんね。
あの奇跡の夜から七年、四人の偉大な音楽家たちはそれぞれに自分の音楽に向き合いつつ、歴史のうねりに揺られていったのですね。
作者からの返信
佐藤様
毎度ご愛読ありがとうございます。
当時の精神面の病への無理解は想像を絶するものだったのではないでしょうか。日本にも狐憑きという言葉がありますが、何か神秘的な原因や、本人の気質そのものと解釈されたり、寄り添って癒していこうという考え方はなかったのではと想像です。
ましてや、芸術家のインスピレーションと精神面の苦悩は表裏だったと思いますし、フリーランサーとして活躍していたヴァンハルには深刻な危機だったのではないかと思います。ですが、その危機を脱して末永く書き続けることができました。
史実では、精神疾患があったらしいという伝聞が伝わっているだけで、それが何が原因だったのか、どう乗り切ったのか分かりませんが、周囲の理解者、何かあった時に手を差し伸べてくれる彼の人徳や友人たちの助けや、彼自信の音楽を書く力で突破できたのだと解釈しました。宗教曲への献身も一説にはお告げを聞いたという伝聞もありますが、作品ではあのように解釈をしました。
余白の多い人物故に、深堀しようとするといくらでも考えられそうですね。彼が宮廷のポストを望むことなく、フリーで居たかったと考えるならば、メンタル不調はオファーを断る理由にもなりえたのかもしれません。
ここは深読みのし過ぎかもしれませんが。
第13章 光の夜への応援コメント
@jbvanhalさま
こんにちは。
これは、まあなんと贅沢な弦楽四重奏! 当時最高の才能たちが共鳴しながら集まり、できあがった音楽なのでしょうね。
モーツァルトはヴィオラですか。少し彼のイメージが変わりました。
作者からの返信
佐藤様
こんばんは。
ご愛読ありがとうございます。まったくもって奇跡のカルテットですね。
これが史実という驚き。
スタープレイヤーが揃い過ぎて、どうなることやら。という感じもありますが。
4人のそれぞれの作品を交代で演奏したとも言われています。
こんな企画もののCDもあります。聴きながら読み返すのも一興かもしれません。https://diskunion.net/classic/ct/detail/1008892432
モーツァルトがなぜ地味に見えるヴィオラを好んだのか?
受け売りの知識ですが、下記と言われています。
彼は、ヴィオラの“内声の陰影”と“人間の声に最も近い柔らかい音色”に深く惹かれていた。
そして、室内楽では自分がヴィオラを弾くことで、音楽全体を“内側から支配できる”という快感を知っていたから。
ヴィオラが活躍するK.364では調弦もして自らヴィオラを演奏したと言われていますし、弦楽クインテットにヴィオラを入れた傑作を残しているのも例証ではないでしょうか。
第9章 成熟の時代への応援コメント
@jbvanhalさま
こんにちは。
自分の中の影を排除したり否定したりするのではなく、影を持つ自分を受容したのですね。影と祈りとを抱え持つ、あるがままの自分を受け入れること。それは芸術家に限らず大事なことだと思いますが、成果と自分とが密接に結びついている作曲家にとっては、ことに切実だったのだろうと拝察します。
作者からの返信
佐藤さま
いつもご愛読いただきありがとうございます。
史実ではヴァンハルは、今でいうメンタルヘルスに悩んだ音楽家だったようです。伝聞の域を出ない話しか伝わっておらず、事実や内面は分かりませんが、奇行もあったという証言もあります。フリーランサーとして成るについては現在のアーティストが自分の持ち味や個性こそが自分の作品のアイデンティティの源であり、強味であるということに腹おちする迄の内面の葛藤のようなものがあったのではないか?と想像しました。
第6章 閃光と影への応援コメント
@jbvanhalさま
こんにちは。
「低音が歌う時代が来たんだ」「低音の革命だ」とありますが、それまでは低音楽器が中心になるような音楽は、あまり好まれていなかったということでしょうか? コントラバス協奏曲も、この時代に作られるようになったということですか?
作者からの返信
佐藤さま
コントラバスがソロの協奏曲はあまり多くない≒前面に出しづらい楽器ということであったと理解しています。このエピソードは史実の断片から組み立てています。ディッタースドルフは、1760年代に同じ楽団でシュペルガーと顔見知りになっており、ディッタースドルフの代表作の一つともいえるコントラバス協奏曲を書いています。シュペルガーも生涯で18曲ものコントラバス協奏曲を書いてます。コントラバスを主役にした曲を書いてやろうという意欲がこの頃に芽生えたのではないかと思います。
彼以前にもあったかもしれませんが、コントラバスをソロにした曲は稀少だったと考えます。
ヴァンハルは1760年代にウィーンに来て、同じ年齢のディッタースドルフに師事しており、親密な関係もあったと推測されることから、ヴァンハルのコントラバス協奏曲(自筆譜がなく、伝ヴァンハル作ともいわれる)を作曲したのも、ディッタースドルフからウィーンでシュペルガーを紹介されて触発されて作ったのではないかと想像しました。
ヴァンハルのコントラバス協奏曲は1770年なのか、1780年代なのか成立年が諸説あるようで、物語ではモーツァルトと会った後の1780年代と考えました。
第5章 ハイドンとの邂逅への応援コメント
@jbvanhalさま
こんにちは。
「音楽家は旅をすると変わる」という言葉に考えさせられます。当時は今のように世界中がネットを介して繋がってなどいませんでした。各国、各地方は、独特の文化をより強く保持していたのでしょう。その地に実際行って、はじめて実感できるものが今より多かったのだと思います。新たな文化を知ることは、自分の音楽の広がりや深みを変えていくきっかけとなるのでしょうね。人によっては、自分をより確信するきっかけになるのかもしれません。
海外のヴァンハル協会のサイトを拝見しました。ヴァンハルを愛好する一般人や研究者が設立した協会なら、この小説に興味を持ってくれそうですね。日本でも、日本チェコ協会や日本チェコ友好協会、場合によってはチェコ倶楽部あたりが興味を持つのではないかと思いました。
作者からの返信
佐藤様
いつもお読みいただきありがとうございます。
ご指摘の点については、有名な下記のモーツァルトの言葉に表れていますね。
旅をしない音楽家は不幸です。
一方で、宮廷に奉仕する人生を選んだハイドンは(他者の影響を受けることよりも)独創的にならざるを得なかった。
といった趣旨の言葉を残しています。
日本チェコ協会、日本チェコ友好協会、チェコ倶楽部。なるほどよくご存知ですね。確かにこの辺にも関心持ってもらえるかもしれません。
第3章 カール・ディッタースとの出会いとサロンデビューへの応援コメント
@jbvanhalさま
こんにちは。
ウィーンでヴァンハルと名を変え、出自を恥じつつも、演奏を始めると耳の超えたウィーンっ子をも黙らせるゆるぎない音を響かせられるのは素晴らしいですね。
当時、ウィーンが音楽の都出会ったのは間違いないと思いますが、プラハはどのような扱いだったのでしょうか?
作者からの返信
いつもご愛読いただきありがとうございます。
深く、じっくり読んで下さってうれしいです。
ヴァンハルの人生については、謎が多く推測で書いている部分が結構あるのですが、物語の進行上の時系列と史実ははなるべく尊重しています。
内面描写は私の推測です。
18世紀後半のプラハも、間違いなく音楽界における重要拠点であり、しかも街の音楽への評価の確かさは、後年モーツァルトがウィーンでいまいち受けなかったフィガロが大ヒットし、ドン・ジョバンニに繋がるという実例が証明している様に思います。
私が仕入れた情報では、優れたボヘミアの音楽家程より良い待遇やチャンスを求めてウィーンに集結したということ、あとはヨーゼフ2世の改革でプラハの音楽シーンに重要な位置を占めていた修道院等の宗教施設が影響を受けたことも背景にあるということです。
物語では、まだ朴訥な青年ヴァンハルですが、ウィーンに出る時点で領主から目をかけられる程にはなっていて、より自信を持ってウィーンに乗り込んだのかもしれません。ここも推測に過ぎませんが。文献や資料によっては、彼が音楽で稼いだ金をためて、農奴の身分からの自由を買ったという記述もあります。何が本当の情報かは分かりませんが。
尚、今回の作品については海外のヴァンハル協会https://wanhal.org/というところに「史実にフィクションを混ぜた小説を書いている」という連絡をしたところ、是非読みたいということだったので、英訳して原稿を送っています。日本人が彼に興味を持って物語にしていることを面白がってくれているのかもしれません。
第1章 ボヘミアの冬への応援コメント
@jbvanhalさま
こんにちは。
チェコ人はみな音楽家だ、などという言葉もありますが、貧しい農家にも、一丁のヴァイオリンがあったというのはまさにそれだなあと思いました。
そこに生まれたひとつの才能が伯爵夫人に認められウィーン行きが現実のものとなったのは、もちろん運も大きかったのでしょうが、多くの人を引き付ける素晴らしい才能だったことの証拠でもあるのでしょうね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。謎が多い人物ですが、彼はボヘミアの農民しかも土地に縛られる農奴の出身と言われています。ご指摘の様に、その卓越した才能を見抜いた支援者、教師に引き上げられ、ついには領主から自由を獲得していったと想像されます。それだけ周囲が放っておけない才能だったということでしょうね。
第17章 影の友のゆくえ(カール)への応援コメント
@jbvanhalさま
こんにちは。
月並みな言葉ですが、誰しも死を免れることはできないもの。先に逝くものはこの世に未練を残し、残されたものは徐々に迫りくる最後に恐怖を募らせてしまうものでしょう。
静けさの祈りを持つヴァンハルが鮮烈な輝きを発したモーツァルトやディッタースドルフを送り出したことに、つい、神の采配を感じてしまいます。
作者からの返信
佐藤様
いつもご愛読ありがとうございます。励みになります。
月並みどころか、正鵠を射ていると思います。
逝ったものと残ったものが限られた期間だけ重なり合い、響きあうことで、ウィーン古典派というものが形成されたのだとすれば、まさにそれこそ人智を超えた何かと思えてしまいます。18世紀の掉尾にカールが世を去ったのも不思議と言わざるを得ません。