第2話『いつもと違う』

 

翌朝、僕はいつもと違う感覚で登校することとなる。


 いったいこの気持ちは何なのだろう。

 嬉しいことがあった時の浮かれた気持ちのような、はたまた心配事があった時の焦りにもよく似た感覚のような、とりあえず言えるのは、いつもとは違う感覚。

 胸の奥が、微かにざわついている。


 そんなよく分からない感覚のまま、僕は今日も玄関の重たい扉を開けた。


 新しいとはお世辞でも言えないアパートの古びた扉。その重い扉からは、金属が擦れる耳障りな、今日も同じ毎日を繰り返すんだと思ってしまう、嫌になるいつもの音がする。

 

 『あの子は誰なんだろう』


 ふと、昨日出会った女の子のことを思う。


 『篠宮 花って言ったっけ』


 『独りぼっち......僕と同じ......』


 あの子は誰なのか。僕は何も知らないあの子のことを、ずっと気にしている。

 なぜこんなにも気になるのだろうか。


 僕は初めて他人が気になった。もっとあの子を知りたい。この思いは恋なんかではなく、ただ単純にあの子のことを知りたいだけだった。

 それなのに、なぜか“失くしてはいけない”気がしてならない。


 もしかして、自分と同じような人を見つけて、自分が独りじゃないと思いたかっただけなのかもしれない。


 うつむいたまま歩いていると、角に差し掛かった。

 

 『この角を曲がったら......』


 『この角を曲がったら?』


 いったい僕は何を期待していたのか。

 角を曲がった先には、一輪の花が咲いていただけだった。


 『行ってきます』


 心の中で道端に咲く小さな一輪の花に挨拶をして、いつものようにうつむいたまま、ゆっくりと、静かに、学校へ向けて重たい足を一歩ずつ運んだ。


 学校に着いたら、いつもと同じ。何事もなく、普段どおり、ただただ時が過ぎていくのを待つだけ。

 楽しいわけでもないが、別段憂鬱なわけでもない。

 そんなつまらない学生生活を送るのか、とも思うのかもしれないが、つまらないとすら思えない。

 そもそも、つまらないとは何なのか。退屈とはどのような感情なのか。

 楽しさをよく分からない僕には、退屈もよく分からない。

 時間など、ただ過ぎていくもの。そのくらいにしか考えていない。

 おそらく、こんなことしか考えられない僕の心を、世間ではつまらないと言うのだろう。


 予想どおりというのか、普段どおりといったものなのか、もしくは計画どおりというべきなのか、兎にも角にも、いつものように、僕は学校生活の一日を終了した。

 いつもと違うことと言ったら、今僕が軽やかな足取りで帰路についているということくらいだろう。

 

 弾むような、とまではいかないが、明らかにいつもとは違った軽やかな足の運びで僕は歩いている。

 

 『何にこんなふうに僕は動かされているのだろうか?』

 

 そんな感じで僕が向かう場所というのは、もちろん、あの花のもとであった。

 目的地に到着すると、あの花の前に、昨日とまったく同じ光景であの子がしゃがんでいる。

 

 『デジャヴ?』


 一瞬そんなことも考えたが、【デジャヴ】、いわゆる既視感なんかではなく、よく見るとその光景は新しい光景、おニュー(死語? もしくは死語予備軍)の光景。

 下ろしたての、まぎれもなく今日の篠宮 花だった。


 「また来てたんだね」


 「隼人も来たんだね」


 ん? なんか昨日と様子が違う気がするのだが......。


 「篠宮さんは、いつもここに来るの?」


 「花」


 「花?」


 「うん!! 花でいいよ。私のこと、みんなそう呼んでたから。これも何かの縁ってことで、隼人にも特別にそう呼ばせてあげる」


 いや、やっぱり違う。昨日とはまったくの別人になっている。


 誰だ。こいつは誰なんだ。


 綺麗で、温かくて、儚い女の子はどこに行ったんだ。


 『触れれば壊れそう?』 そんなことはない。


今のこの子は、触れたところで絶対に壊れない。壊れそうな箇所なんてどこにもない。

 そっくりな別人? いや、もしかしたら昨日、僕が触ったことで壊れた結果がこの子、新・篠宮 花なのかもしれない。


 そんなこと考えてもしょうがない。とりあえず訊いてみよう。

 動揺を隠して、冷静に、真顔で。


 「誰だ?」


 「はぁー? 酷いじゃない! 昨日会ったばっかじゃん! 私よ私、花!! 篠宮 花さんよ」


 ムスッとしながら腕を組む篠宮 花さん、改め 【花】。

 

 花の長いポニーテールが風になびく。


 いったい花には何があったのだろうか。


 「昨日とは違って、元気のいい女の子になっていたから驚いた。いったい何があったんだ? やっぱ僕のせい?」


 「何言ってるのよ、あんた? 私はいつもこんな感じよ! 昨日は......ちょっと......特別だったの!」


 特別? 特別を見れた僕は運が良かったのか、特別な花がいつもの花だと勘違いしてしまったから、やっぱり運が悪かったのか。

 きっと運が良かったのだ。そう思うことにしよう。

 だが、騙された感はどうしても残る。


 組んでいた腕を解くと、花は話し出した。


 「えっと......なんだっけ? いつもここに来るか、だっけ?」


 「あ、あぁ」


 「昨日が初めてだよ」


 初めて? なんでまた、こんな何もない所に来たのか。

 街から離れた田舎の中でも、一段と田舎の場所に用事があるとも思えないのだが。

 用事ならば、街に行った方が済みやすそうなものなのだが。


 「家がこの近くにあるの?」


 「ううん、家はあっち」


 と、花は白く透き通るような、綺麗で長い手で、遠くの山の方を指した。

 

 だいぶ遠いじゃないか。なおさら、なんでこんな所に来たのか、疑問は膨らむばかりだ。

 たしかに、街にある団子屋よりも、この近くにある団子屋の方が断然美味いし、そんな些細なことしか、こんな所には利点はない。

 

 「昨日今日と、なんでこんな所に来たの?」


 「昨日は、色々とあってね......」


 苦笑いというか、作り笑いのような、そんな不自然な笑顔ではぐらかされてしまった。

 その笑顔の奥に、何かを隠している気がした。


 あまり言いたくないのだろう。人付き合いが不得手な僕といえども、言いたくないのに、これ以上訊くほど空気が読めないわけではない。

 この話題はもうやめよう。


 「君のせいだから……」


 ボソっと、聞こえるか聞こえないかの声で花が言う。


 「えっ?!」


 「君のせいだからね!」


 今度は大きな声ではっきりと言う。


 「僕のせいって、何のこと?」


 「やめたの、君のせいだから!」


 「やめた? いったい……何のことを言っているの?」


 「辞めることをやめたのっ! いいから責任取ってよね!」


 話が一方的すぎて全く訳が分からないが、おそらく僕は、何らかの責任を強いられているようだ。

 【強いられている】ではなく、もしかしたら【誣しいられている】かもしれないが。


 そう言うと花は、「じゃっ、またねん」と、機嫌よく走っていった。


 辺りはもう、夕日が照らしていた。


 やっぱ変な人だ。


 「家に帰ろう」


 僕は小さく呟いた。


 ――けれど、なぜだろう。

 胸の奥のざわめきだけが、消えなかった。

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