第7話:ファーストコンタクト

第二幕

第七話:ファーストコンタクト


合格通知が届いた日のことは、よく覚えている。薄い封筒に、人生を変えるだけの重みがあった。ひんやりとしたプラスチックの感触がする免許証を手にした時、父は何も言わずに、ただわたしの頭を力強く撫でてくれた。母は、泣きながら赤飯を炊いた。


わたしのコックピットは、法的に宇宙(そら)へ飛び立つことを許可された。


そして、その日が来た。


夕食後、わたしは一人、二階の司令席に座る。昼間の喧騒が遠ざかり、夜の静寂が世界を包む時間。計器類のランプが、暗い部屋の中で星のように瞬いている。


初、交信へ。


メインシステムの電源を入れ、すべての計器がグリーンシグナルを灯すのを確認する。心臓が、肋骨の内側でやかましく暴れている。マイクを握る手に、じっとりと汗が滲んだ。


大丈夫。何度も練習した。これは、わたしを傷つけるための道具じゃない。世界と繋がるための、翼だ。


わたしは大きく息を吸い込み、マイクの送信ボタンを、祈るように押し込んだ。


「CQ、CQ、CQ。こちらはステーションYUME。どなたか入感ありますか。どうぞ」


声が、震えていた。


送信ボタンを離すと、スピーカーからは「サー……」というノイズだけが返ってくる。静寂が、永遠のように感じられた。


ダメだったのかな。電波は、ちゃんと飛んでいるのかな。


不安が胸をよぎった、その瞬間。


ザザッ!


ノイズの海が割れ、向こう側から声が聞こえた。


『――ピット! いま入れ! レッドシグナルだ! 聞こえてるか!?』


ノイズ混じりに、切羽詰まった男の声。英語かな? でも、それだけじゃない。金属が軋むような、甲高いエンジン音のようなものが背景に聞こえる。


そこへ、別の声が怒鳴り込んできた。


『うるせえ! 邪魔すんな!』


今度は、間違いなく日本語だ。荒々しい、怒りに満ちた声。


そして、ザーッという激しいノイズと共に、交信は途絶えた。


「…………え?」


わたしは、マイクを握りしめたまま、呆然としていた。紳士淑女の、穏やかな会話を想像していたのに。これは、何? 事故? それとも、何かの……。


かつてのわたしなら、恐怖で電源を切っていただろう。でも、今は違った。コックピットの計器が示す、安定した周波数。自分の手で修理し、構造を理解した、愛すべき相棒。


わたしは冷静に、聞こえてきた断片的な情報を頭の中で組み立てた。


ピット……レッドシグナル……エンジン音。日本語と英語の怒号。


間違いない。これは、カーレースだ。


ピットクルーが、ドライバーにピットインを指示している。レッドシグナル、それは何かの警告灯。故障か、あるいは燃料切れか。


そして、ドライバーはそれを無視している。勝ちに行くために、危険を承知で。


これは、遊びじゃない。命が懸かっているかもしれない。


わたしは、もう一度マイクを握り直した。今度は、もう声は震えていなかった。


「もう一度応答願います。 そちらの状況は? こちらステーションYUME。どうぞ」


呼びかけた先は、ノイズの海。


けれど、わたしはダイヤルから手を離さなかった。モニターの前に座り、ただ悪意のコールサインを待っていた、あの頃のわたしはもういない。


ノイズの向こうで起きている、リアルタイムのドラマ。その当事者たちの無事を、わたしは祈っていた。


そして、わたしは知ることになる。


この最初の交信が、わたしを全く予期せぬ、大きな事件へと導く、本当の「コールサイン」だったということを。

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