第2話 凍りつくお見合い
# 凍りつくお見合い
三日後の午後、エルフリーデは父に連れられて王都の一等地にある館を訪れていた。アイゼナッハ侯爵の屋敷だ。
「こちらがエルフリーデです」
父の紹介を受け、灰色の髪を丁寧に結い上げたエルフリーデは優雅にお辞儀をした。相手はアイゼナッハ侯爵家の次男クラウスで、ちょうど王子の取り巻きの一人だ。
「クラウスだ」
彼は冷たい青い瞳を細めて言った。彼の顔立ちは端正だが、どこか冷たさを感じさせた。
父同士が談笑する間、エルフリーデは窓辺に置かれた花瓶に目をやりながら考えていた。
王子の側近と婚姻関係を結べば、我が伯爵家にとって大きな利益になるだろう。だが……。
「さて、まずは若い者同士で話してみてはどうか」
父親たちが退席すると、クラウスはエルフリーデに向かい合うように座った。彼の指がテーブルの上で規則的に動き始める。思考中の癖なのだろう。
「ヴァイスブリンガー伯爵家は素晴らしい家柄です」
唐突に切り出した彼の声には熱意はなかった。
「特に近年の貿易拡大は注目に値します」
エルフリーデは薄く笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。アイゼナッハ侯爵家の騎士団の活躍も……」
「単刀直入に言いましょう」
クラウスの指が止まった。
青い瞳が冷徹に彼女を見据える。
「私にはあなたのような陰気な女性と婚約するつもりはない」
クラウスの言葉が部屋に重く響いた。エルフリーデは呼吸を止めたが、表情は崩さなかった。予想していたことだ。貴族社会で影のように生きてきた自分が選ばれるはずもない。
「なるほど」
彼女はゆっくりと紅茶のカップを持ち上げた。
「アイゼナッハ侯爵のご子息が求めるのは、華やかで社交的な女性なのですね」
クラウスの眉がわずかに上がった。
「理解が早いようで助かる」
「では」
エルフリーデはカップを置き、背筋を伸ばした。
「我々の話はこれで終わりということでよろしいでしょうか」
「もちろんだ。時間の無駄だった」
クラウスは鼻で笑う。
「正直なところ、私もそちらに興味はないのです。第二王子殿下をお諌めもできないような方」
エルフリーデの声は低く澄んでいた。部屋の温度が急に下がったような気がした。
クラウスの頬が一瞬赤くなる。
「何を言いたい?」
「王子殿下の側近であることに誇りをお持ちでしょう」
エルフリーデは淡々と続けた。
「けれど、主君が誤った方向へ進もうとしているとき、それを正すのも側近の役目ではありませんか」
窓から差し込む陽光が、彼女の灰色の髪を銀色に染め上げる。
「最近の殿下の行動については、ご存じのはず」
彼女の唇がわずかに歪んだ。
「国政よりも個人的な快楽を優先され、大切な婚約者の立場さえ脅かしていることを」
クラウスは歯を食いしばった。反論できなかった。エルフリーデの言うとおり、王子は最近、公務を蔑ろにする傾向にあったのだ。
「失礼させていただきます」
エルフリーデは静かに立ち上がった。
「我々はお互いに価値を見いだせないようです」
帰り道、馬車の革張りの座席に腰掛けたエルフリーデは、窓ガラスに映る自分の姿をぼんやりと眺めていた。
「どうだった?」
隣に座る父が穏やかに尋ねた。禿げた頭に恰幅の良い姿。どことなく呑気そうでいながらも、エルフリーデはこの父親が抜け目ないことをよく知っている。
「相性が悪いかと」
エルフリーデは簡潔に答えた。父は溜め息をつきつつも、意外そうな顔はしなかった。
「やはりな」
父は肘掛けに凭れかかり、外の景色に目を向けた。
「彼は頭が切れるが、情が欠けている。君の良さを理解できないだろうと思っていた」
「わたくしが陰気だからでしょうか」
エルフリーデの自嘲めいた言葉に、父は首を横に振った。
「いや」彼の目尻に優しい皺が寄る。
「君の聡明さが理解できないんだ。彼らは表面的な魅力しか見ようとしない」
馬車は街の喧騒を抜け、郊外へと続く並木道に入った。
「ところで、お父様」
エルフリーデは窓の外を見たまま口を開いた。
「最近の学園の噂をご存知でしょうか」
父親の肩が微かに緊張した。
「どの噂だい?」
「レオンハルト殿下のことです。婚約者のカレン公爵令嬢を差し置いて、ノイマン男爵令嬢にばかり心を傾けていると聞きました」
父は長い溜息をついた。
「知っている。既に社交界にも影響が広がっている」
「国の未来を考えると不安になります」
エルフリーデの言葉に、父は彼女の方を向いた。
「君も気づいたか」
彼の青灰色の瞳に真剣な光が宿る。
「公爵令嬢のお母様のことも……噂になっています」
エルフリーデは慎重に言葉を選んだ。カレンの母親、王妹ベアトリクス公爵夫人のスキャンダルは、学園内で公然と語られていた。
父親の顔が暗くなった。
「あの一件はまだ尾を引いているのだな」
「どういうことでしょう?」
「十二年前の春だ」父親は目を閉じた。
「シュテルンベルク公爵夫人ベアトリクスは失踪したのだ」
父の声は低く沈んでいた。
「男と一緒に逃げたと言われている。見つからないまま十年以上経つが……」
エルフリーデは息を飲んだ。
「真相は不明ということですか?」
「ああ」父は苦々しげに頷いた。
「だが同時に消えた男がいるのは確かだ。しかもその男は当時の宮廷画家だったとか」
「画家が王妹と?」
想像を超えた組み合わせにエルフリーデは眉を寄せた。
「当時は大変な騒ぎになった。国王陛下は激怒し、シュテルンベルク公爵家への信頼も失われた」
馬車の車輪が小石を弾き、二人の間に沈黙が落ちる。
「そのようなスキャンダルを背負った家系の娘が……」
エルフリーデは首を傾げた。
「どうして第二王子の婚約者に?」
父親は肘掛けを軽く叩いた。
「複雑な事情があるのだよ」
「政治的理由ですか?」
「半分は正しい」
彼は窓の外を見た。
「シュテルンベルク公爵家は王家との繋がりが深い。カレン嬢をレオンハルト殿下の婚約者にすることで王室の体面を保とうという計算があった」
「そしてもう半分は?」
父は苦笑した。
「国王陛下の意地かもしれないな。憎たらしい妹の忘れ形見を……王家に取り込もうとする矜持だ」
エルフリーデは父の横顔を見つめた。政治と感情が入り混じった王国の複雑さが見えた気がした。
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