銀の巫女の観察記録
@draemacho
第1話 青い炎 黄金の影
# 青い炎
陽が傾きかけた午後の校舎裏。そこには四人の令嬢が立ちはだかり、一人の少女を取り囲んでいる。エルフリーデは石造りの壁に背中を押し付け、息を殺してその光景を見つめていた。
「あなたのような方を公爵家のご令嬢と呼ぶのは冒涜ですわね」
真ん中に立つ茶色の巻き毛を持つ女が言った。その声には冷笑が滲んでいる。彼女アデルバート伯爵令嬢。エルフリーデと同じ階級だというのに、彼女の振る舞いはまるで女王のようだった。
「黒髪で青い瞳……本当にあの忌まわしい母親にそっくりですこと」
別の女が嘲笑した。公爵令嬢の肩が僅かに震えるのが見える。確かに、彼女の漆黒の髪と深い海のような瞳は、噂に聞く彼女の母親—王妹殿下に瓜二つだと言われていた。
エルフリーデは袖口を握りしめた。伯爵家といえど、公爵家よりは明らかに格下だ。それなのに、あんなにも堂々と公爵令嬢に非難を浴びせるなんて。
「わたくしは……」
公爵令嬢が何か言おうとした瞬間、中心の女が鋭く遮った。
「そんなだから、婚約者を下賤な女に奪われるのです。おーほっほっほっ!」
耳障りな笑い声が石壁に反響する。公爵令嬢の顔から血の気が引いていくのが分かった。彼女の手が無意識に胸元へ伸びる。きっとそこに第二王子からの贈り物でもあるのだろう。
エルフリーデは喉の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。
「まあ、可哀想に」茶色の巻き毛の令嬢が芝居がかった仕草で憐れむ真似をする。「でもね、これが現実よ。あなたみたいに無愛想で冷たい女は誰からも好かれませんの」
その言葉に他の二人も加勢する。「そうそう」「それにあの男爵令嬢は本当に可愛らしいんですもの」「みんな彼女に夢中ですわ」
それでも公爵令嬢は声を上げない。ただ黙って耐えている。
カレン・フォン・シュテルンベルク公爵令嬢は、風のように通り過ぎていく嘲笑の嵐が完全に消え去るまで、唇を噛みしめていた。茶色の巻き毛のアデルバート伯爵令嬢とその取り巻きたちが去った後も、彼女の指はぎゅっと白いハンカチを握りしめたままだった。
エルフリーデもまたひっそり去ろうとした。そのとき、微かな衣擦れの音がした。カレンが振り返ると、校舎の角から灰色の髪が見えた。
「そこにいらっしゃるのは……ヴァイスブリンガー伯爵令嬢ですか?」
名前を呼ばれたエルフリーデは驚いたように目を見開いた。美しく整った顔立ちとは裏腹に、普段は影のように静かな存在だ。彼女は躊躇いながらも、ゆっくりと姿を現した。
「申し訳ありません」
エルフリーデは深く頭を下げた。
「盗み聞きするつもりはなかったのですが、通りかかってしまいまして……」
カレン公爵令嬢は疲れた微笑みを浮かべた。
「いいのですよ。あの方々の声は誰の耳にも届くほど大きかったですから」
「あの、失礼ですが」エルフリーデは慎重に言葉を選んだ。
「本当によろしいのでしょうか?あのような扱いを受けて……」
公爵令嬢の青い瞳が一瞬揺らいだ。
「仕方がないことです。母が原因で王室に恨まれた過去がある以上、このような偏見は避けられません」
沈黙が二人の間に落ちる。
その言葉がエルフリーデの耳に重く響いた。王妹を母に持つ公爵令嬢が、しかも王子の婚約者が、なぜここまで卑屈にならなければならないのか。伯爵令嬢でしかない自分さえ、その理不尽さを感じずにはいられなかった。
だが、それは自分の領分ではない。エルフリーデは心の中で小さく呟いた。他人の争いに首を突っ込むのは賢明ではない。ましてや、公爵家と王子の婚約問題など、伯爵家程度の身分では関われることではない。
「そうですか……」エルフリーデは曖昧に応じた。「では、私はこれで」
立ち去ろうとした彼女の背中に、思いがけない言葉が投げかけられた。
「ヴァイスブリンガー伯爵令嬢」
振り返ると、カレンは夕陽に照らされた長い睫毛を伏せていた。
「今見たことは、どうかご内密に」
その声音には懇願ではなく、何か別のものが含まれていた。命令とも違う、不思議な響きだった。
「承知しました」
エルフリーデは再び頭を下げると、今度こそ歩き始めた。石畳の上に自分の影が長く伸びている。
# 黄金の影
数日後、エルフリーデは中庭を横切ろうとして、その光景に行き会った。廊下の向こうから、人波が自然と割れていく様子が見える。
黄金の髪と青い瞳—第二王子レオンハルトだ。その隣には栗色の巻き毛の男爵令嬢アメリア・フォン・ノイマン。甘い香りの漂う薄い桃色のドレスを纏い、王子の腕に軽く手を添えている。
レオンハルトの周りには常に六人の側近が付き従っていた。いずれも王家の威信を支える有力貴族の子息たちだ。彼らは完璧な秩序を持って王子の周囲を取り囲み、視線で通路を制圧していた。
エルフリーデは壁際へと滑るように移動した。胸の前に本を抱え、できるだけ小さく身を縮める。貴族社会で目立たない術なら心得ていた。
王子一行は優雅に通り過ぎていく。笑い声と香水の香りだけが風に乗って流れてきた。
男爵令嬢アメリアの顔は遠目に見ても可憐だった。薔薇色の頬に細い眉、大きく見開いた茶色の瞳は幼ささえ感じさせる。
だが、エルフリーデの観察眼は別のものを捉えていた。王子の腕に無邪気に絡む指先、周囲への媚びるような上目遣い。
カレン公爵令嬢とは正反対だ。凛とした佇まいを持ち、必要な時以外は口を開かないあの貴族の鑑と比べれば、この男爵令嬢は何もかもが未熟に見えた。
「まあ、また男爵令嬢が王子にべったりと……」
近くにいた女子学生たちの囁きが聞こえてくる。エルフリーデも同意せざるを得なかった。容姿の愛らしさだけで王子の寵愛を得るなど、王国の将来に関わる重大事ではないのか?
しかし同時に理解もしていた。政治的な駆け引きにおいて、感情の支配力というものは時に論理を超越することがある。ましてや若い王子にとって、日々の執務の息抜きになる存在ならば……。
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