禁欲のオッサン ーAIに初恋を喰わせてみた結果wwwー
@uzumeru
AIに初恋の想い出を喰わせてみた結果www
佐藤聡志(さとう さとし)はもう何年も小虎兎子(ことら とこ)のことが好きだった。高校一年の春、出会った時から。
「あの、何してるんですかー?」
小虎は、先輩に囲まれていた聡志の前に、何の躊躇もなく割って入った。
「ちっ…うっせぇな、あっち行ってろ」
「分かりましたー、おーい、せーんせー!」
「くそ女がっ…」
呆然としている聡志に、「大丈夫?」と笑う彼女は、春の女神のようだった。
小虎はいつも笑顔で、女の子にしては声が少し低かった。
「ことら」「らと」「とこ」等、色々な名前で呼ばれていて、特に「ラト」とよく呼ばれていた。
すれ違った時の汗と制汗剤の匂いは、聡志の心臓を甘く高鳴らせた。
でも告白なんてできるはずがなかった。
「ラト―!新しく出来た店行こうよー!」
「行こ行こ!」
ラトはクラスの中心にいて、聡志みたいな地味なやつが割り込む隙間なんてどこにもなかった。
博愛精神に溢れる彼女の優しさを時たま木漏れ日のように浴びながら、心の中で彼女のあだ名を呼ぶのがせいぜいだった。
無名の大学を卒業してから三年。聡志はフリーターで、ラトはもう大企業で上の人に目をかけられてるらしい。
SNSでたまに見に行くと、写真の笑顔や日常報告が相変わらず眩しくて、聡志の胸を締めつけた。
◆
ある夜、いつものようにスマホでラトの名前を検索して泣きそうになっていると、怪しいDMが来た。
『好きな子といちゃいちゃする動画、AIで作ります。顔は本人のままで、声も似せます。3万円でどうですか?』
送信元は「DeExMa_X」というアカウント。
アイコンは真っ黒。聡志は最初、詐欺だと思った。でもサンプル動画を見せられて、息が止まった。
本当にそっくりだった。知らない女の子の顔が、別の有名女優の体に乗っていて違和感無く動いている。
聡志は三日悩んだ。そして貯金を崩して送金した。
好きな子ーラトの卒業アルバムを送るのは流石に気が引けたので、顔、体格、声がそれぞれラトと似ている女優達の名前を挙げた。
DeExMa_Xは言った。『SNSへの共有はしないでくださいね。こちらも捕まりたくないので。自己破壊プログラムを仕込んであります』
当たり前だ、と聡志は心の中で返した。大好きなラトの可愛らしい姿を、衆目になんて絶対に晒したくない。
一週間後、届いたファイルは無機質に聡志が開くのを待っていた。
「Rato_Exclusive.mp4」
読み込みのマークが断頭台に向かう階段に見えた。
見たい。だけど、見たくない。手が震えてマウスに乗せた指が滑った。
画面に映ったラトは、制服姿のままだった。
高校のときのブレザーにリボン。少し幼い顔立ち。
目尻のほくろまで完璧に再現されている。
カメラに向かって微笑んで、ゆっくりとボタンを外していく。
「聡志くん……ずっと、私の事、見ててくれたよね」
AIが作ったラトが聡志の名前を呼んだ。
声は本物そっくりで、でもどこか甘ったるい。
聡志は泣きながら見続けた。
「もっと…見ていいよ」
ラトがスカートの裾を少しずつ持ち上げていく。誘うような挑発的な目線を向け、また聡志の名前を呼ぶ。
「私も聡志くんのことが好き……だから、こんなことしてるの」
嘘だと分かってる。
全部嘘なのに、聡志は画面のラトに応えるように名前を呼んだ。
「ラトッ、ラトッ……!」
全てが終わったあと、虚しさが襲ってきた。
でも、同時に妙な達成感もあった。
これで終わりだ。
これで想いは昇華できる。
そう思ったのに、翌朝目が覚めると、またDeExMa_XからDMが来ていた。
『追加で5万円で、もっと過激なやつ作りますよ。今度はあなたも出て、ちょっとした非日常で、仲良くイチャイチャしてるバージョン。』
聡志は震える指で返信した。
「……お願いします」
もう戻れないことは分かっていた。
自分と顔、体格、声が似た芸人の名前をいくつか挙げて、その日を待った。
◆
二本目は、まるで聡志の頭の中を覗いたような内容だった。
「Rato_2nd_SummerFestival.mp4」
読み込み時間を抜けると、そこは夏祭りだった。
浴衣姿のラト。白地に黒、灰色、銀色の金魚が泳いでいて、漣が立っている。
髪を編み込んでアップにしていて、うなじの汗が灯りを映して煌めいている。
クラスで回る金魚すくいを一緒にやって、ちょっとした雑談で笑い転げる。
焼きそばの屋台で「あっつ!」と舌を出すラト。
聡志が遠巻きに見ていたあの日のラトとそっくりだった。
夜店を抜けて、河川敷の暗がりに二人で座る。
色とりどりの花火が上がるたびに、ラトの横顔がその色に染まる。
水色と桃色が一番似合った。
「今日すっごく楽しかったね!」
ラトが聡志の肩に頭を乗せてくる。
聡志はぎこちなく腕を回して、ラトを抱き寄せた。
花火の灯りに紛れ、キスをする。人気のない暗がり。
ここは人が来づらい穴場のようだ。
浴衣の帯がゆるんで、ラトの無防備な場所に、聡志の震える手が吸い寄せられていく。
「ん……こんな所で……」
ラトは真っ赤になりながらも、受け容れた。
河原の草の上に浴衣と、持っていたタオルを敷いて二人は横になる。
ラトは部活で鍛えた筋肉が程よくついていて、その筋を汗が静かに伝った。
「可愛い、可愛いよラト……」
聡志が囁くとラトは恥ずかしそうに笑いながら、聡志を受け容れた。
ラトの可愛い声が湿り気を帯びていく。
花火がどぉんと上がる。
切迫と背徳をスパイスに、二人は夜を甘い色に染める。
ラトは聡志の首に腕を回して、泣き笑いみたいな顔で言った。
「ねえ、聡志……大好きだよ。ずっと……」
動画が終わったとき、聡志はもう何も考えられなかった。
ただDeExMa_Xに新しいリクエストを送った。
「次は……林間学校の夜をお願いします。」
送信ボタンを押したあと、聡志の脳裏に罪悪感と自己嫌悪と、ある『気付き』が過った。
自分が欲しかったのは、ずっと、「あの頃のラト」だったのかもしれない。
そして今、その「ラト」は、自分のパソコンの奥にだけ、永遠に青い姿で生きている。
実在のラトはこんなことを言わない。
汚すな。思い出を、自分の純情を踏み躙るなと、自分が遠くで叫ぶ声が聞こえる。
けれど、理想に殉じられるほど聡志は清廉でも余裕でもなかった。
ただひたすら、今日を生き抜く貴方に!とラベリングされたエナジードリンクを飲むように、偶像に縋った。
◆
三本目のファイルは、すぐに届いた。
「Rato_LinKanko_Night.mp4」
聡志はもう躊躇しなかった。
風呂上がり、布団に潜り込み、ヘッドホンを深く耳に押し当てて再生ボタンを押した。
画面は林間学校二日目の夜。山奥の古い旅館。
動画は、消灯後の真っ暗な廊下から始まる。
「……聡志、起きてる?」
小さな囁き声。ドアの向こうから、ラトの声。そこから始まる、ご都合主義な展開。
同室の生徒は皆眠っていて、ラトと聡志がいくら愛し合っても一向に気付かない。
けれどそれでよかった。聡志の心は半分夢の住人になっていた。風呂上がり、布団の中、ちょうど状況も似ていた。
違うのは、現実にはラトが居ないことだけだった。
そこから目を逸らすように聡志は画面の中のラトを食い入るように見詰める。
画面の中ちらちら映る腕に自分を憑依させる妄想をし、聡志は今日もそのAIAVに絶頂させられてしまった。
「なーにやってんだろうな俺…」
AIAVに自我はない。
「ただの絵なのに…」
だというのに、AIAVに股間を、射精を管理されている。
賢者モードでする後処理は憂鬱だった。
何を馬鹿なことをやっているんだろうという自嘲。下らないことに金を使ってしまったという後悔。それらを振り切るように、聡志はAIAV生成職人に連絡した。
『次は……卒業式の日の放課後。お願いします…これからも一緒に居ようねって……言い合うシーンを、入れて下さい』
送信したあと、聡志は静かに呟いた。
「……ずっと、一緒に居ようね……」
◆
四本目のファイルは、たったの二時間で届いた。
異常な生成速度だが、きっと何か便利な補助ツールを使いこなしているのだろう。
「Rato_Graduation_Day.mp4」
聡志には、再生ボタンが夢の世界への入り口に見えていた。
そこには何でもある。現実以外は。
画面は三月。卒業式が終わった直後の校舎。
桜はまだ蕾だったけど、風はもう春の色をしていた。
部活のメンバーと一旦別れを告げてきたラトが、屋上のドアをそっと開ける。
「……聡志、いた。…泣いてたの?」
「…だってさ、卒業したらラトと別の大学に行くから。」
実際の聡志はラトをラトと呼んだことはない。たまに話す時だっていつも『ラトさん』だった。距離を詰める勇気も理由も持ち合わせていなかった。
ラトも、少し泣いたあとだったようで、目が赤い。
屋上には他に誰もいない。フェンス越しに街が見えて、遠くで卒業生と在校生たちのざわめきが聞こえる。二人は自然と並んでフェンスに寄りかかった。
「寂しくなるね」
ラトが呟く。聡志は、黙ってラトの手を握った。
ラトはその手をぎゅっと握り返して、俯いた。
「ねえ、聡志。私……ずっと言えなかったことがある」
ラトが顔を上げる。涙が頬を伝って、沈みかけた夕日の閃光を宿している。
屋上の風が強くなって、ラトの短めの髪が乱れる。日光の残響が、細くてやや茶色っぽい髪を金色に輝かせている。
聡志はもう何も言えなくて、ただラトを抱きしめた。強く、強く。
制服越しに鼓動が伝わってくる。そのまま、もつれ込む。
屋上のコンクリートの上に、ブレザーを二枚重ねて敷く。
ラトの瞳が潤んで、聡志だけを見てる。
聡志もラトを見詰め返し、二人の影が重なる。
「別々の大学に行っても、私の事忘れないでね」
不安そうに囁くラトに、聡志は「忘れるもんか」と返す。
「これからも……一緒に居てくれる?」
「当たり前だ…!」
瞬間、ラトは小さく息を飲んで、聡志の肩に顔を埋めた。
屋上の風が吹き抜け、肌寒そうな音を立てているのに、二人の制服の隙間からは湯気が立っていた。
ゆっくりとした、けれど確かな睦みあい。
ラトの声は風に紛れて小さく漏れる。
「聡志……聡志……」
名前を呼ぶたびに体がゆらめいて、二人きりの世界、熱と夕暮れの残照に染まっていく。
二人同時に達してから、しばらく動けなかった。
ラトの形の良い猫のような目からこぼれた涙、そこに映る夕焼けが、少しずつ藍色、涼し気な色に変わっていく。
ラトは聡志の胸に顔を押し当てて、掠れた声で言った。
「……大好き」
「俺も、大好き」
ラトは嬉しそうに微笑み、聡志にーつまり、画面にキスをする。
動画はそこでフェードアウトした。
聡志は泣いていた。
叶わなかった、叶えたかった世界がそこにはあった。
しゃくりあげながら、DeExMa_Xに次のリクエストを送った。
「今度は……大学生になったラトをお願いします。俺のこと、待っててくれたって設定で」
送信してから、聡志はパソコンを閉じた。
現実のラトの姿がどんどん薄れていく。
代わりにここにいる、永遠に聡志だけを愛するラトが綺麗な世界で笑っている。
どうしてそっちが現実じゃなかったんだろう?
そんな虚しい問いが浮かんでは消えた。
◆
五本目のファイルは、深夜二時に届いた。
「Rato_17yo_Reunion.mp4」
明日も仕事がある。帰って来てから見ればいいはずだった。
だが聡志はもうその判断力を失っていた。
横になったまま、スマホで再生ボタンを押す。
画面は春。
桜はもう散り始めている。
画面の中の聡志の心音は煩いくらいに鳴り響いている。
駅前のファミレス。ガラス越しに夕陽が差し込んでいる。
ドアが開いて、チャイムが鳴る。
入ってきたのは、私服のラトだった。
髪は肩まで伸びていたが、中性的な魅力は失われることなく存在している。
服は見慣れない可愛らしいのもの。トラッドなシャツにショートパンツ。色付きのストッキングで、元から長い足が更に綺麗に見える。
ラトは店内を見回して、聡志を見つけるなり、目を丸くした。
「……聡志?」
声は低くなって、でもすぐに昔の笑顔に戻る。
駆け寄ってきて、向かいの席に座る前に、いきなり聡志の首に腕を回して抱きついた。
「元気だった?」
ラトの髪が揺れて視界を覆う。
現実なら甘いシャンプーの香りがしている所だったが、今の匂いは洗いそびれた布団の饐えた臭いだ。聡志は意識を画面に集中させる。
二人はすぐにファミレスを出て、駅の裏手の小さな公園へ。
誰もいないブランコの横のベンチに並んで座る。
ラトは聡志の手を握ったまま離さない。
「会いたかった。ずっと」
聡志は何も言えなくて、ただラトの手を握り返す。
夕陽が沈んで、街灯が灯り始める。
ラトがふと立ち上がって、聡志の手を引いた。「ちょっと来て」連れて行かれたのは、公園の奥にある古いトイレの裏。
人目につかない、コンクリートの壁に囲まれた場所。
ラトは聡志を壁に押しつけるようにして、キスしてきた。もう昔みたいにぎこちなくなんかない。舌が深く絡まって、息が熱い。
「もう……我慢できない。ねぇ……いいよね?」
聡志は頷くしかなかった。
会えなかった時間を塗り替えるように、二人は愛し合った。
「今度は……もう離さないから」
「大学卒業したら、一緒に住もうね」
動画はそこで終わった。聡志は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。そして、ゆっくりとDeExMa_Xにメッセージを打った。
「次は……社会人になったラトで。俺の部屋に来る設定で」
送信してから、聡志は静かに呟いた。
「……もう、永遠に終わらなくていい」
このラトは、ずっと聡志を待っててくれる。ずっと、好きでいてくれる。現実じゃなくても、構わない。ここにいるラトが、本物のラトだから。
◆
六本目のファイルは、朝の六時に届いた。
「Rato_20yo_DailyLife.mp4」
再生した瞬間、聡志は息が止まった。
画面は、見慣れた聡志の六畳一間だった。
そういえば、参考にしたいからと言われて、部屋の中の写真を撮影していた。
ちょっと掃除したとはいえぼろい内装は誤魔化し切れず、それらは忠実にAVの中で再現されている。
動画は展開する。
ドアが開いて、ラトが入ってくる。社会人。髪は肩を越えて、ゆるくウェーブがかかっている。ビジューのついたTシャツにシックなパンツスーツをあわせている。
パンプスを脱いだ足は足元までのストッキングを履いていて、買い物袋を持った手には薄いピンクのマニキュアが塗られている。
「ただいま~!」
ラトは買い物袋を置くと、出迎えた聡志の首筋にキスしてきた。
「今日は早いね。ご飯、もうできてるよ」
キッチンで二人で並んで料理する。ラトが玉ねぎを切ってる時、鼻水をずびずび言わせる音。涙を拭う仕草。全て生活感があって、まるで本物の人間のように『彼女』は動いていた。
夕飯のあとは、狭い風呂に二人で入る。湯気が立ち込める中で、ラトは温かく蕩けた顔で、微笑む。「今日もお疲れ様。明日も一日、お互いがんばろうね」
布団では隣り合って眠る。明日も一緒に居ることを信じながら手を繋いで。
動画はそこで終わった。聡志は、もう何も考えられなかった。
熱い涙を流しながら、静かにスマホを額に当てた。
仕事から帰ったら、毎日これを再生しよう。
もう現実のラトを探す必要もない。ここに完璧なラトがいる。
永遠に続く、完璧な同棲生活。聡志は静かに呟いた。
「……ずっと、このまま……」
画面の中のラトが、こっちをまっすぐ見て微笑んだ気がした。
「おかえり、聡志」
もうどこにも行かない。
「ただいま、ラト」
◆
七本目のファイルが届いたとき聡志は震えた。
頼んだ覚えがなかった。けれど、内容はたしかに聡志が求めていたものだった。
「Rato_Married_Loop.mp4」
再生すると、画面はもう完全に「未来」だった。
結婚式。白いマーメイドドレスがラトの長い脚を綺麗に引き立てていた。
ロングトレーンを引きずって、ラトが、どことなくラトと似た父親と一緒にバージンロードを歩いてくる。花束は鮮やかな青い薔薇のブーケ。
青い薔薇の花言葉は『叶わぬ夢』だったな、なんていう知識が頭を過る。
ラトのベールには小さな青い花の刺繍が散りばめられている。
ドレスには同じく青い花と、パールの飾りとレースのフリルが散りばめられていて、まるで海の中のようだった。
幸せに溺れる為の海。
「病める時も、健やかなる時も、この者を愛すると誓いますか」
「「誓います」」
聡志は思わずそう呟いていた。近付いてくる画面の中のラトに、口付けを返した。
感触は温かかったが硬かった。硝子だ。
愛する人との口付けを阻む壁がここにある。思わず画面を叩き割りそうになり、すんでのところで我に返った。
壊してはいけない。
ここは聡志の為の箱庭で、ここに幸福な一生がある。
朝起きて、ラトにキスして、ご飯食べて、愛し合って、隣同士で眠り、また朝が来る。
7本目を見た後に、6本目を見て、そうして眠りに就く。
夢の中でも永遠に続く、完璧な結婚生活が待っている。
聡志は静かに呟いた。
「……もう、死んでもいい」
夢の中のラトが、優しく頷いた。
「ずっと一緒にいようね」
◆
八本目のファイルは「Rato_Pregnant_Days.mp4」。
妊娠したラトとの幸せな生活。未来を信じて、ベビー服やベビーカーを買って、体調の悪いラトをはらはらしながら労わる。
子供の名前を考えては打ち消す。子供がより良い人生になるように。
「早く会いたいね」
「動いてる!」
「私がママだよ」
そう言って微笑むラトは、完全に母親の顔をしていて、聡志はラトの為に頑張ろうと思いながら、毎日仕事に行った。
家に帰れば大好きなラトと子供が待っている。それだけで、毎日耐えられた。
九本目のファイルは、「Rato_Birth.mp4」という名前。
聡志は震える指で再生した。
画面は病院の分娩室。蛍光灯が白く冷たい。
ラトはベッドに横たわり、額に汗がびっしょりで、髪が乱れている。
聡志の手をぎゅっと握りしめている。
「聡志……もう、来る……!」
助産師の声が響く。
「いきんで! 頭が見えてます!」
ラトは歯を食いしばり、全身を震わせる。
「……あああっ……!」
シーツを握りしめる手が力を込め過ぎて真っ白だ。
聡志はただ「頑張れ、ラト、頑張れ!」と繰り返すことしかできない。
そしてー
「おぎゃあ……!」
「産まれました!」
助産師が赤ちゃんを高く掲げる。小さな、小さな泣き声。
赤ちゃんは赤黒くぬめっていて、でも元気な声を上げ始めた。
へその緒を切って、すぐにラトの胸の上に載せてくれる。
ラトはもう涙でぐしゃぐしゃになりながら、震える手で赤ちゃんを抱いた。
聡志はラトの張り付いた髪を撫で、水を渡す。
「ありがとう、ラト」
ラトは涙を流しながら、聡志を見上げて微笑んだ。
「見て……可愛い、聡志にそっくり……」
赤ちゃんは小さな手でラトの指をぎゅっと掴んだ。
そこで動画は終わった。
聡志の網膜に、最後の1フレームが焼き付いたまま固まっていた。
聡志はゆっくりとスマホを持って立ち上がった。
ゆっくりと見回す。誰も居ない薄汚い部屋が、本当の聡志の全てだった。
足が震えて、今にも崩れ落ちそうなまま、這うようにして玄関へ向かった。靴を履くのももどかしく、裸足に、スニーカーの踵を履き潰して外へ出た。
冷たい朝の空気。遠くで、赤ちゃんの泣き声が聞こえた気がした。聡志は空を見上げて、初めて大声で泣いた。
「サラ……」
赤ちゃんの名前候補の内、一つ。いいなと思っていた名前を呼んだ。
サトシとラトの頭を取って、サラ。
いい名前だと、画面の中のラトは褒めてくれた。
現実には、画面の中のラトはいない。サラも居ない。
聡志は、朝日の中を歩き始めた。どこへ行くのか、自分でもわからない。
ただ、もう戻れないことだけはわかっていた。
画面の中で終わらせたくなかった。
きっとどこかに、本当のラトと、本当のはるとが待っているような気がした。
聡志は泣きながら、笑った。
「迎えに行くよ」
朝焼けの中聡志は走り出した。もう、二度と振り返らない。
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