第2話 最速の再婚と、勘違いの相続放棄


 翌日。  健太は朝一番に「役所に離婚届を出してくる」と言って家を出て行った。


 私はその背中を見送り、すぐに荷物をまとめ始めた。  実家にも連絡を入れ、とりあえず春斗と二人で身を寄せる手筈も整えた。


 段ボールに服を詰め込んでいると、お昼前にはもう玄関が開く音がした。


「うわぁ、広ーい! ここが今日からアタシたちの家?」


「だろ? 建て直してまだ5年だからな。新築みたいなもんだよ」


 甘ったるい猫なで声と、鼻の下を伸ばした健太の声。  リビングに入ってきたのは、派手なメイクをした若い女――浮気相手の里奈だった。


(離婚届を出したその足で女を連れ込むなんて……)


 呆れて物も言えない。


「おい、まだやってるのかよ? 早くしてくれよな」


 健太が私を見るなり、鬱陶しそうに手を振った。  里奈は私を値踏みするように鼻で笑う。


「ふーん、この人が奥さん? おばさんの割には掃除も行き届いてるし、すぐ住めそう」


「だろ。里奈も今日から俺の妻なんだし、ここが俺たちの城だ」


 ……妻?  今、「今日から」と言った?


「もしかして、婚姻届も出してきたの?」


 私が尋ねると、健太はニヤリと笑った。


「当たり前だろ。独り身なんて1秒でも短い方がいいからな。俺のこういう決断の早さ、お前も昔は『男らしい』って言ってただろう?」


 ……いいえ。  今ならはっきりわかる。それは決断力じゃない。  ただの『後先考えない馬鹿』よ。


 私は無視して作業を続けたが、健太はさらに追い打ちをかけるようにニヤニヤしながら近寄ってきた。


「おい、美咲。お前の両親に『あること』を伝えておいてくれ」


「……何を?」


 健太は下卑た笑みを浮かべた。


「この家、建て直す時にお前の実家に金を借りたよな。頭金代わりの1000万」


「ええ、そうね。お義父さんが頭を下げて、うちの両親が老後資金を貸してくれたお金よ」


「それな――もう返さないから。そう伝えといてくれ」


 ……は?


「借りた金は返しなさいよ。離婚したって借金はチャラにならないわよ」


「いやいや。借用書の名義、死んだ俺の親父だろう? 名義上、借りていたのは親父なわけ。息子だからって、親の借金を返さなきゃいけない義理はないの。わかんないかな?」


 私は呆れながら正論をぶつける。


「お義父さんは亡くなったんだから、息子のあなたが負債も相続して払う義務があるのよ」


「いーや、ねえって! だって俺――」


 健太は待ってましたとばかりに、勝ち誇った顔で叫んだ。


「親父の遺産の『相続放棄』の手続きをしてきたからな!」


「……え?」


「だから、法律上も俺に払う義務なんかないんだよ。残念だったな!」


 隣で里奈が「キャハハ! 健太すごーい! 頭いい!」とはしゃいでいる。


 ……ちょっと待って。  今、なんて言った?


「あの……健太、あなた、本当に相続放棄したの?」


「そうだ。裁判所行って書類出してきた。これで俺には、お前の実家に借金を返す義務は1円もない!」


 ドヤ顔で胸を張る健太。


 私はあまりの衝撃に、言葉を失った。  ……けれど、それは絶望からではない。


(こいつ……もしかして、とんでもない勘違いをしているんじゃないかしら?)


「あの、健太……そうなると、この家の相続も放棄してるわよね?」


 恐る恐る聞くと、健太はポカンとして首を傾げた。


「は? 何言ってんだ。この家は俺の物だぞ」


「……はい?」


「だから、親父の『借金だけ』放棄したんだよ。家には俺が住んでるし、俺は長男なんだから家をもらうのは当たり前だろ?」


 ……。  …………。


 ああ、神様。  世の中に、これほどまでの馬鹿が存在するのでしょうか。


 私は震える手でスマホを取り出し、検索画面を表示させた。


「健太。……これ、読みなさい」


 絶望のカウントダウンが、今、始まった。

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