第12話∶文化祭の準備と、あやかしクレープ騒動
十月に入ると、鎌倉の街は少しずつ秋の装いを深めていく。
だが、古都宮(ことみや)紬(つむぎ)が通う鎌倉市内の高校は、季節の移ろいなどお構いなしに、一年で最も熱い季節を迎えていた。
文化祭だ。
放課後の教室は、段ボールとペンキの匂い、そして生徒たちの熱気でむせ返るようだった。
あちこちから電動ドリルの音や、出し物の練習をする掛け声が聞こえてくる。
「紬ー! 小麦粉が足りないかも! 買い出しお願いしていい?」
「了解! あと生クリームの在庫も確認してくるね!」
紬はエプロン姿で教室を走り回っていた。
クラス2年A組の出し物は、『大正浪漫(ロマン)カフェ』。
袴(はかま)や書生服を着て接客し、レトロな雰囲気の中でスイーツを提供するという、女子人気ナンバーワンの企画だ。
当然、実家が喫茶店であり、料理上手で知られる紬は、調理班のチーフに任命されていた。
(忙しい……! でも、なんだか楽しい)
あやかしに怯えて過ごしていた去年の文化祭とは違う。
今は「守ってくれる存在」がいる安心感があるからか、紬は心から行事を楽しんでいた。
――はずだったのだが。
「……ねえ、なんかおかしくない?」
友人のミキが、不安そうに泡立て器を止めた。
「さっきボウルに入れたはずの卵が消えてるの。それに、看板のペンキも勝手に倒れるし……」
紬はハッとして、教室内を見渡した。
生徒たちの熱気に混じって、天井の隅やロッカーの影に、小さな黒い影がチョロチョロと動き回っている。
低級のあやかしたちだ。
文化祭という「祭り」のエネルギーに引き寄せられ、イタズラ好きの雑魚(ザコ)霊が入り込んでしまっている。
(マズい。このままじゃ調理どころか、カフェが崩壊する)
かといって、みんなの前でお祓いをするわけにもいかない。
紬が頭を抱えそうになった、その時だった。
「――おい。随分と騒がしいな」
教室の入り口で、凛とした涼やかな声が響いた。
クラス中の女子が、一斉に振り返り、そして息を呑んだ。
そこに立っていたのは、季節外れのモデルのような美青年だった。
さらりとした銀髪に、知的な銀縁メガネ(伊達だ)。秋色のロングカーディガンを優雅に着こなし、その手にはなぜか高級菓子折りの紙袋が提げられている。
「し、清水(しみず)さん!?」
龍神・清水龍(しみず りょう)だ。
しかも、完璧な「人間のイケメン」に擬態している。
「よう紬! 差し入れ持ってきてやったぜ!」
清水の後ろから、金髪の男子生徒がひょっこり顔を出した。
こちらはクラスメイトの転校生――西園寺(さいおんじ)琥太郎(こたろう)、こと白虎(びゃっこ)だ。彼は制服を着崩し、両手にコンビニの袋を大量に抱えている。
「え、誰あの人? 超イケメンなんだけど!」
「西園寺くんのお兄さん?」
「外国人かな? メガネ尊い……!」
教室中がどよめき、女子たちの目がハートマークになる。
紬は慌てて二人の元へ駆け寄った。
「な、ななな何しに来たんですか! 部外者は立ち入り禁止ですよ!」
「固いことを言うな。保護者兼、特別外部顧問として視察に来た」
「そんな役職ありません!」
「俺様が連れてきたんだよ。人手が足りねえって言ってたろ?」
琥太郎がニカッと笑い、コンビニ袋を机に置いた。中身は追加の小麦粉や卵だ。
清水はメガネのブリッジを中指で押し上げ(どこで覚えた仕草だ)、教室内を冷徹な視線で見回した。
「……ほう。随分と『鼠(ねずみ)』が入り込んでいるようだな」
彼には見えているのだ。食材を盗み食いしようとしているあやかしたちが。
清水は紬にだけ聞こえる声で囁いた。
「安心しろ。俺の料理番が困っているのを、指をくわえて見ている趣味はない」
◇
かくして、奇妙な助っ人二人を加えたカフェ準備が再開された。
琥太郎は持ち前の腕力で机や椅子を軽々と運び、男子生徒たちから「兄貴!」と慕われている。
一方、清水は――。
「おい、そこの装飾。1ミリ右だ。バランスが悪い」
「はいっ、清水様!」
「そこの生地、混ぜ方が甘い。ダマになっているぞ」
「す、すみません! ご指導お願いします!」
なぜか女子生徒たちのカリスマ的リーダーとなり、的確な指示を飛ばしていた。
そして、イタズラをしようとするあやかしに対しては容赦がない。
彼が指をパチンと鳴らすたび、見えない水弾が飛び、あやかしが「ピギャッ!」と悲鳴を上げて弾き飛ばされていく。
琥太郎もまた、荷物を運ぶふりをして、足元をすり抜ける小鬼の尻尾を踏んづけ、無言の威圧で追い払っている。
(すごい……。あんなにいたあやかしが、どんどんいなくなってる)
最強のボディーガード二人のおかげで、教室内はかつてないほどスムーズに回っていた。
平和が確保されたところで、紬は調理に取り掛かった。
今日の最重要ミッション、メニューの試作だ。
今回の目玉は二つ。
おかず系の**『ガレット風クレープ』と、デザート系の『モンブラン・クレープ』**。
「まずは、おかず系からいくよ!」
紬は熱したホットプレートに、そば粉を混ぜた生地を流し込んだ。
トンボを使って薄く、均一に広げる。この手首のスナップが難しい。
香ばしい匂いが立ち上ってきたら、具材を乗せる。
メインは、奮発して用意した**『鎌倉ハム』**のロースだ。
明治時代から続く伝統の製法で作られたハムは、脂が甘く、スモーキーな香りが食欲をそそる。
そこにたっぷりのチーズと、半熟卵を落とす。
ジュウウ……。
チーズが溶け、ハムの脂が滲み出す。
四隅を折りたたみ、正方形に成形すれば完成だ。
「試食、お願いします!」
紬が皿を差し出すと、休憩中の琥太郎が一番に飛びついた。
「おおっ、肉だ! いただき!」
彼は豪快にかぶりつく。
「んぐっ、熱っ……でもウメェ! このハム、すげえ燻製の香りがする! チーズの塩気と、半熟卵のトロトロが合わさって最強だ!」
「よかった! ボリュームも出るし、男子も喜びそうだね」
次はデザート系だ。
こちらは小麦粉とバターを贅沢に使った、しっとりとした生地を焼く。
焼き上がった生地に、ホイップクリームを絞り、その上に――。
「秋といえば、やっぱりこれだよね」
紬が取り出したのは、特製の**『マロンクリーム』**だ。
蒸した栗を裏ごしし、生クリームとラム酒を加えて練り上げた、紬渾身の力作。
これをモンブランのように細く絞り出し、頂上に甘露煮の栗をトッピングする。
仕上げに粉砂糖を雪のように降らせれば、見た目もシックな大正浪漫スイーツの完成だ。
「こっちは清水さんに……あ、あれ?」
見ると、清水は女子たちに囲まれて質問攻めに合っていた。
「清水さんは彼女いるんですか?」「好きなタイプは?」
清水は面倒くさそうに眉を寄せつつ、適当にあしらっている。
その姿を見て、紬の胸がチクリとした。
神様だし、住む世界が違うし、ただの雇い主と料理番の関係だ。わかっているのに、彼が他の女の子と話していると、なんだかモヤモヤする。
(……私、何考えてるんだろ。バカみたい)
紬は頭を振り、試作品のクレープを片付けようとした。
その時。
背後からスッと手が伸びてきて、紬の手からクレープを攫(さら)った。
「おい、俺の分はないのか?」
いつの間にか女子の包囲網を抜けた清水が、背後に立っていた。
彼はそのままクレープに口をつけた。
「あ、それ私の食べかけ……!」
「構わん」
パクリ。
清水が一口食べる。
甘いマロンクリームと、ラム酒の芳醇な香り。モチモチした生地の食感。
「……ん。悪くない」
清水の目が細められた。
「栗の風味が濃厚だ。それに、このクリーム……少し渋皮(しぶかわ)を混ぜたな? その苦味が甘さを引き締めている。大人の味だ」
「わ、わかります? さすが清水さん!」
自分の工夫に気づいてもらえて、紬はパッと笑顔になった。モヤモヤなんて一瞬で吹き飛んでしまった。
清水はふっと笑い、残りのクレープを紬の口元に差し出した。
「ほら、お前も食え。毒味は済ませた」
「えっ、あ、はい」
紬は赤面しながら、差し出されたクレープを齧った。
甘い。美味しい。
そして何より、彼と分け合って食べているという事実が、心臓をトクンと跳ねさせる。
「――っ」
慌てて食べたせいか、口の端にクリームがついてしまった。
拭こうとして手を伸ばすと、それより早く、清水の指が伸びてきた。
スッ。
彼の親指が、紬の唇の端を優しく拭う。
ひんやりとした指先の感触。
夕日が差し込むオレンジ色の教室で、時間が止まったようだった。
「……!」
紬が固まっていると、清水はその指についたクリームを、ペロリと舐め取った。
妖艶な動作。金色の瞳が、悪戯っぽく紬を見据える。
「……甘いな」
それがクリームの味のことなのか、それとも別の意味なのか。
紬の顔が、茹でダコのように真っ赤になった。
「ひゅ、ひゃいっ!?」
「くくっ。相変わらず面白い反応だ」
清水は楽しそうに笑い、紬の頭をポンポンと撫でた。
教室の隅で、琥太郎が「あーあ、見せつけてくれるぜ」と呆れ顔でハムクレープを齧っていた。
◇
下校時刻。
あやかしたちも一掃され、準備は無事に終わった。
茜色に染まる通学路を、三人で歩く。
二人の神様は、人間社会に溶け込むために今は気配を消しているが、その存在感はやはり別格だ。
「文化祭、楽しみですね。当日は琥太郎君も手伝ってくれる?」
「おうよ。まかない飯を倍にしてくれるならな」
「交渉成立!」
賑やかに笑い合う二人を見ながら、清水はふと空を見上げた。
秋の空は高く、澄んでいる。
だが、その遥か西の空に、不吉な赤黒い雲が渦巻いているのが、神の目には見えていた。
(……早ければ、神無月(かんなづき)か)
隣を歩く琥太郎を見る。
彼は元気に振る舞っているが、その霊核の奥底に、黒い呪詛の棘が食い込んでいるのを清水は見逃していなかった。
銭洗弁天での一件以来、その浸食は少しずつ、だが確実に進んでいる。
清水は視線を戻し、隣で微笑む紬を見た。
この平和な日常を、彼女の笑顔を、守り抜かなければならない。
たとえ、神々を巻き込む嵐が来ようとも。
「……清水さん? どうしたんですか、怖い顔して」
「ん? いや、なんでもない」
清水は表情を緩め、紬の手をそっと握った。
驚いた紬が振り返るが、彼は前を向いたまま離さない。
「帰ったら、夕飯は何だ?」
「えっと……栗ご飯にしようかなって」
「いいな。秋刀魚も焼け」
「もう、食べ過ぎですよ!」
繋いだ手の温もりだけが、迫りくる不安を打ち消してくれる。
祭りの前の高揚感と、嵐の前の静けさ。
鎌倉の秋は、甘く切なく、そして波乱を含んで更けていった。
(第12話 完)
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