第26話 孤立した研究者
「俺は智絵を殺した。自分の作った薬で・・・あれは未完成だった。感情とは、環境に適応した行動をして生きていくためのものだ。例えば、恐怖という感情を失うと、本来であれば危険だと認識できているものに反応できなくなる。智絵の身に起こったことは、おそらくそういうことだろう」
村田は足元を見つめるようにうなだれている。
「なあ村田。T1ってどういう意味なんだ?」
「“Tomorrow 1”――ただ一つ明日さえあればいい。・・未来なんて大きなものは求めないから・・そういう願いを込めたんだ」
冬也はどう答えていいのか分からなかった。
「上条は“不良品ではない”と言った。今でもその意味は分からない。あれは確かに未完成だった。人が摂取すれば感情は徐々に失われ、その行きつく先は俺にも分からない」
村田は顔を上げた。
「それで・・田辺くんが感染してるってどういうことなの?私にはいつもと変わらない田辺くんに見えたけど・・」
「外見の話じゃない・・いや、T1に最も関わった俺だからからこそ――人の感情の変化に、敏感になっているだけなのかもしれない。勘違いかもしれない・・だが、ここ最近の田辺くんはおかしい。それが環境の変化による影響か、この一連の災害の正体に関わることなのか?・・どちらにしろ、俺は研究所に行かなくてはいけない」
「そのために今向かってるんだろ?――」
冬也の表情には笑顔があった。ただそれは複雑なものだ。冬也にとって村田の話は半信半疑なもの。いや・・・おそらく疑いの方が大きい。ただ村田の才能も、これまで友人として隣にいた冬也は少なからず理解している。だからこそ、村田がこの現況を生み出した原因に関わっているのだと思うと、冬也は整理の付かない心境であった。
「ああ・・そうだな」
勿論、そんなことは村田にも分かっている。この微笑みが表面的なものであることを――
********
研究所に着いた時、朝日はすでに昇り――3人の顔には微かな疲労が見えていた。
「よし、あと一息だ――」
村田の言葉に、2人の反応は薄い。それもそのはず、目の前に見える建物の入り口は厳重に閉じられている。ここからどうやって中に入るのかと考えるだけで、軽くふらつきを覚えるほどには、体力など残されてはいなかった。
「これはおかしい――」
村田は少し考える様を見せた。
「どうしたんだ村田?」
冬也は問いかける。
「ここは24時間体制で警備されていた。ここまでの施錠は本来ならありえないことだ」
村田の指さす先にはシャッターで閉じられた入り口がある。
「監視カメラも完備され、前にも話した通り予備電力もある。さらに、中には災害に備えて、食糧庫も完備されている。予備の電力が底をついても1年は生きられる」
「どういうこと。お兄ちゃん?」
「家じゃないんだ。ここまで厳重に施錠してから外に出る奴がいるか?仮にゾンビに追われ逃げていたなら尚更だ――つまり、中にはまだ人がいる」
冬也も結衣も特に驚いた様子はなかった。
「中に人がいるのか?」
「おそらくな、外敵から身を守るために中に籠り施錠したんだろう。そう考える方が妥当だ」
村田は間違ってはいなかった。
――固く閉ざされた研究所。その一室にモニターを見つめる男の姿があった。
「何度見た所で誰も映りはしないだろ。月島――」
「加藤さん・・何か食べれそうなものありましたか?」
「あるように見えるか?」
「・・・やっぱり倉庫に行かないことにはどうしようもないみたいですね?」
カチッ・・カチッ・・・
月島は監視カメラの映像を切り替えながら、ブツブツと小声で話す。
「そうだな。“奴ら”さえどうにかできればな・・・」
2人の疲れ切った表情からは希望など見えない。
「永井はまだ出てこないんですか?」
「ああ、まだ研究を続けてる」
月島は「そうですか」と気のない返事をした。偶に顔を合わせては、もう意味さえ分からなくなった会話をする。希薄であるよりはマシなのだろうから。
「それ、楽しいか?」
ただ無言でモニターを見つめる月島に加藤は興味もない質問をする。
「これですか?いやーどうなんですかね?――他にやることもないですし、俺には永井みたいな”才能“もないですしね」
2人は軽く笑った。
「ああ、偶にネコとか犬が横切るんですよ――こないだなんか腰の曲がったゾンビが杖をひたすら地面に叩きつけてたんですよ。気づいたらいなくなってましたけど」
ここではこういった“会話”が何度も繰り返されている。
「そうか。また何か映ったらみせてくれよ。じゃあ俺はそろそろ永井の様子を見てくる」
「はーい。いってらっしゃーい」
そう言いながら、月島はまたカチカチと監視カメラの映像を見ている。
すると、月島の手が急に止まった。
「なんだ・・これ・・」
月島はモニターを凝視する。
「加藤さん!加藤さん!これちょっと見てもらえますか?――」
部屋を後にしようと扉を閉めかけていた加藤の手が止まった。
「どうしたんだ?!」
加藤はここ最近まったく聞くことなかった月島の大きな声に何事かと驚いた。
「ちょっとこれ見てもらえますか?――」
「ん?どれだ?」
加藤は月島の方へと近づき、モニターを覗いた。
そこには人の姿が映っていた。1人・・3人だろうか?
「これどこのカメラだ?」
「正面の出入り口ですっ、じゃなくて!俺が見てほしいのはそこじゃないんですよ。この人の顔よく見てくださいよ。見覚えないですか?」
「ん?――」
映像は鮮明ではなかったが月島は直ぐに気づいた。それは加藤にとっても同じだった。
「おい・・これって・・」
「はい!村田さんですよ!」
2人の表情に微かに生気が戻ったようだった。
「でもどういうことだ?なんでここにあいつがいるんだ?」
「決まってるじゃないですか?俺たちを助けにきてくれたんですよ」
映像には3人の人間が建物の周りをウロウロと見渡している様子が映っている。
「とりあえず。中に入れましょう」
「ここにか?万が一感染してたらどうするんだ?」
「仮に感染していようと、どうせこのままじゃ俺たちは助からない。だったら村田さんに賭けませんか?俺たちの運命を――」
月島は問いかける。
「久しぶりにお前の声を聞いたような気がするよ。科学者が運命だって?――そうだな・・もしダメでもまだやりようはある。よし分かった。村田を中へ入れるぞ」
それは2人にとって、久しぶりに見た――希望だった。
・・・・・
「それで?――どうやって中に入るんだ?村田」
「冬也?このシャッタ―何だが。どうにか壊せないだろうか?」
「これをか?流石にこれは無理じゃないか?車で突っ込めばできなくもないだろうがな」
「それしかないか・・・」
ただそれはリスクの伴う行動だと村田も冬也も分かっていた。結衣でさえも――
「どうするんだ村田」
「お兄ちゃん。入り口ってここしかないの?」
「ない。いや、厳密にはあるんだが、そこは基本的に施錠されている。そこはあきらめた方がいい」
「なら車で突っ込むか?――音で奴らが寄って来る可能性もある上に、車は廃車。それでもいいならだけどな」
「車の方は大丈夫だろ。頑丈にできてるはずだ」
これは自衛隊の車両だ。装甲も施されている。大抵の衝撃には耐えられるだろうと村田は考えていた。
「俺がやろう。冬也と結衣は辺りを見ていてくれ」
「分かった。気をつけろよ」
そして、村田が車の方へと歩き出したその時だった。
3人の背後で、シャッター開き始める音がしたのは――
「村田!シャッターが開いたぞ!」
冬也の声に村田は振り返った。
開かれたシャッターを確認した村田は辺りを警戒した。
これはどういうことなのか?
しかし、村田にはその答えがすぐに分かった。
「そういうことか――」
「どういうことだ?なんかヤバくないか?」
冬也は村田に問いかけた。
「ねえお兄ちゃん。なんかここ、おかしくない?」
結衣は強張った表情をしている。
「心配するな。大したことじゃない――あれを見てくれ」
村田はある場所を指さした。そこにあったのは監視カメラだ。
「つまり、中にいる誰かがあの監視カメラを使って俺たちを確認した後、このシャッターを開けたんだろう」
結衣は不可解な表情をしていた。
「世の中まだ捨てたもんじゃねえなーじゃあさっさと中に入らせてもらおうぜ」
「お兄ちゃん?なんかおかしくない?」
何故、閉ざした入り口を開けたのか?結衣は漠然と恐怖を感じていた。
「ここには食料もある。それにここを開けない限りは完全に外敵から身を守れる。俺ならこんなことはしない。それでもこのシャッターを開けた。誰かは分からないがそれだけの理由があったんだろう。まぁ良い予感はしないが――大体想像はつく」
「良い予感はしないって、どういうことだ?」
「入れば分かる」
結衣は中に入ることを反対したが、3人には他に道がなかった。
3人が建物の中に入るとそこには暗闇だった。広くもなく、小さくもないエントランスルームだろうか?正面には窓口らしきものが見える。
「散らかってるな・・」
村田は入るなりそう呟く。目が慣れてきたところで、当たりを見ると倒れた鉢植え。明らかに元々配置されていた場所から大きくずれた場所にソファーが倒れている。
他にも衣類や誰の物かも分からないカバンなどが散乱していた。
「村田・・これは・・」
「まあ、そういうことだろう」
「そういうことって?どういうこと――」
「ここで何かが起きた。それがゾンビによるものか何なのかはまだ分からないが、用心するにこしたことはない」
3人はそれぞれ武器を握りしめた。
「行くぞ――」
村田の合図で、3人は少しずつ闇へと進んだ。
“「村田先輩ですか?」”
その時だった。建物内にスピーカーから村田たちへと呼びかける声が聞こえた。
“「月島です。村田先輩。いやー驚きましたよ。モニターで監視カメラの映像を眺めてたら、まさか先輩が映るだなんて。思いもしませんでした」”
それはやけに楽しそうな声だった。
「おい村田!なんだこれ?」
「アナウンスだ」
「そうじゃねえよ。なんだって聞いてんだよ」
そんなことは分かってるという様に冬也はいらだちをみせた。
「月島は俺の部下だ。まさか俺たちを中に入れたのがあいつだとは俺も思わなかったが――」
“「先輩!ここには加藤さんもいます。後、永井も――俺たちは第二研究所のあるフロアにいます。詳しいことは直接会ってから説明します。とりあえずここに来ていただけませんか?――・・・あっ、そっちの声は聞こえないんでしたね。そこには感染者もいますが、ここは大丈夫です。先輩たちがフロア前に到着次第、入り口のロックは解除します。
――では、気をつけてください」
そう言い残しアナウンスは止んだ。
「だってよ――言いたい放題だな。ようはゾンビが怖くて外にでられねえから助けに来いってことだろ?」
「あいつは昔から何かあるとすぐ俺を頼る奴だったが・・・まあいい。ここをどうにかできればまた先に進める。田辺くんのためにももうひと踏ん張りだ!」
3人はまず第二研究所へと向かった。
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