第24話 追憶の欠片

「村田先輩!――」


白衣を着た男がこちらに近づいてくる。


「おはようございます――昨日どうでした?」


「おはよう。ああ昨日は特に得るものはなかったよ。面白い考えなのだろう。あの場にいた人たちにとっては・・・」


この男は上条と言って、大学の後輩だ。初めは馴れ馴れしい奴だと、関わらないようにしていたが、気づくと気軽に話すまでの関係になっていた。


「やっぱり先輩は違うなぁ~、平田教授は業界では有名な先生ですよ」


「そうらしいな、昨日初めて知ったよ」


学内にチャイムが鳴り響く。


「じゃあ俺は行くよ。倫理学の講義があるんだ」


「そんなものまで受けてるんですか?」


「大事だろ?倫理は――じゃあ行くよ」


村田は階段を駆けて行った。

その後ろ姿を死んだ目で見つめる上条――





「食べることが目的なら生き物を殺してもいいのか?――」


中村先生が生徒にそう問いかけた。


「殺しても問題ないと思います――」


1人の生徒は答えた。


「それは何故?」


「それが自然の摂理だからです。動物は生きるために他の動物を殺してきた。そこに善悪はないと考えるからです」


「なるほど、では例えば食べるためなら人を殺しても問題ないと?――んん?どうだね?」


「それは・・・」


生徒は困った顔をしている。


教授は顎に手を当て、ホワイトボードの前を行ったり来たりしている。


「ああっ!すまん!考え込むと周りが見えなくなるのが私の癖でね」


教授は笑って誤魔化した。


「君たちに答えは与えない。これはそう簡単に導き出していい問題ではない。来週までに深く考えレポートにまとめてくること――そうだなー私が思うに・・・」


中村先生は顎を触りながら右手の人差し指で、ちょんちょんっと唇を何度も触る。


「感情が大きな問題だ。これは飽くまでも私個人の意見だが。皆は自分の考えを文章にまとめてきてほしい。では今日はここまで」


その合図と共に生徒は支度を始める。

教授はホワイトボードに書かれた。「殺してもいいのか?」という文字を消しているところだ。


俺は席を立ち、教室を出ていく生徒の間を潜り抜け先生の所に行った。


「先生――」


「ああ村田くんか――どうしたんだね?」


「さっきの講義の内容について、お聞きしたいことがあるんですが・・」


「何だね?――」


「もし人に感情がなければ、殺しは正当化されますか?――」


教授はその問いを聞くと、初め眉間にしわを寄せ、村田の目をじっと見つめたがその後また普段の気の抜けた優しい表情に戻った。


「それはユニークな質問だね。ただ仮定の話にしても現実味がない。人は常に感情に支配され、感情に縛られて生きる動物だと私は思う――その質問に意味はあるのかね?」


「飽くまで仮定の話ですよ・・」


先生はジッと村田の目を見た後、何かを考えるような様子を見せた。そして、


「・・・――その質問には来週答えよう・さぁ、もう行きなさい」


「そうですか・・、分かりました。では僕はこれで失礼します」


バカな質問だと思っているのだろうか?そう思いながら、村田は教室を出た。


「感情――それをもし都合の良い形で排除できれば人はもっと成長できる・・・」


村田は生徒のいなくなった自分の足音だけが聞こえる廊下を一人歩いた。





「お疲れ様です。先輩!」


また上条が声をかけてきた。


「おまえ、他に友達はいないのか?」


「え?友達ですか?いますけど・・どうしたんですか先輩?元気ないですねぇ――」


「・・・まあいい、お前もう昼食は済ませたのか?」


「何言ってるんですか?それで先輩に声をかけたんじゃないですかぁ――食堂行きましょうよ!食堂!」


そう、これが上条なのだ。いつも唐突に話しかけてきては、勝手に話を進める。


前にこいつと同じゼミの生徒と話す機会があった。その時、「いつも上条はああなのか?」と尋ねた。すると彼女は最初、戸惑った。どうやら俺の質問の意味が分からなかったらしい。俺は再度、「いつも騒がしいのか?」と尋ねた。すると彼女はまたさっきほどと同じような表情をしてこう答えた。「何言ってるんですか?上条くんが騒がしいわけないじゃないですか!彼は普段静かで、あまり話さないんですよ」と。


それからだ。俺があいつに興味をもったのは――

と言っても、これは少し大げさな言い回しかもしれない。それまでよりも多少話すようになったという程度だ。


「そうだな。行こうか――」


――「上条は優秀だけど、あまり好きじゃないです」


これはこいつと同じゼミの生徒が言っていた。その生徒が言うには、上条は話しかけてもあまり返事を返さず、いつも冷たい目をしているという。ただよく教授と親しげに話しているのを見かけるらしく、見るたびに違う教授に変わっているということだった。そして中には上条のことを明るい性格で話しやすいという生徒もいるのだと、生徒は語った。そして、最後にこうも言っていた。


『あいつを明るいだとか話しやすいとか面白いって言う奴は大抵、何か秀(ひい)でたものを持ってる。優秀な奴が多い』と。

その生徒も確証がないので何とも言えないが、あまり好きではないと言っていた。


――つまり、あいつは人を選別して話しているということなのだ。


「先輩、倫理学って面白いんですか?――」


「どうだろうなぁ――倫理学の中村教授はテレビ局から取材が来るほどの先生だ。まあそれがどれほどのことなのかは分からないが、気になるならお前も受けてみろよ」


「受ける前に面白いかどうか知りたいから聞いたんじゃないですかー」


上条はカレーを食べている。俺はあまり匂いの付く食べ物は嫌いだ。学内では控えるようにしている。


「食べることが目的なら人を殺してもいいのか?――」


「何ですかそれ?――」


「倫理学だよ――」


上条はなるほどという様に、浅く頷いた。


「そうだなー僕なら、食べることが目的で殺意がないならいいと答えますけどね・・・」


「殺意?――」


村田は尋ねた。


「はい。殺す上で重要なのは殺意があるかどうかです。例えば、鋭く尖った石がそこにあるとします。すると急に突風が吹くんです。このくらいの石なら軽く飛ばすほどの――」


上条は手で石の大きさを表した。


「そしたら、その石は空中を舞って・・ん~そうだなぁー・・あの人!あの人の頭に刺さるんです」


上条は目で歩く女性を見た。


「あの女の子か?」


「例えばですよ?」


「分かってるよ!」とは言わなかった。


「それも、めり込んで絶命するほどに突き刺さるんです。そして彼女は死にます。僕はこれと同じことだと思うんですよ。食べるために殺すって――」


村田は少し考えた。


「でも。もしそこに感情があったら、それはもう食べるために殺すということとは違う。つまり感情がないなら、食べる目的で殺してもいい。あえて言うなら、感情のない行為。だからこそ殺してもいいんです。食べるためなら――」


それは村田がさきほど先生に伝えたかった事でもあった。


「人であっても同じです。まぁ、カニバリズム的な思想の持ち主であっても殺意なく人を殺す人がいるとは、僕は思えませんけどね。そういう人の考えは僕には分かりませんけど」


「・・・なるほどな」


村田は上条の説明について考えた。


「上条――人は感情に制御されて生きてるだろ?だから思考にも限りが出てくる」


「はぁ――」


上条は気のない返事をした。


「だがもし、その感情を都合の良い形で排除できたらどうだ?――例えば単純な話だが、緊張することに悩む人間から恐怖を排除したらどうなる?――深く考えなくていい」


「恐怖がなくなったら・・・」


上条は、ぽかーんとした表情をしている。


「例えば試合中に膝を痛めたテニスプレイヤーがいたとする。彼は常に膝を気にするため、思うような良いプレイが出来ない。だがそのプレイヤーから痛みをとったらどうなる?」


「痛みがなくなれば、いつも通りの動きができるんじゃないですか?痛いというだけなら・・」


「それだけのことだ。感情も同じだよ」


村田は目を輝かせながら上条に話す。


「すいません。村田さん――僕には村田さんが何の話をしているのか分かりません。確かに感情を村田さんがいうように上手くコントロールできれば便利だと思う。所謂(いわゆる)、昔から言われているような脳のリミッターを解除できるかもしれない。人も今より成長できるのかもしれない。でも、だからどうしたんですか?――」


村田は淡々と話す上条の言葉をただじっと聞いている。


「何の話をしてるんですか?――」


「・・・もしそうだったら楽しいのにと思ったんだ――これまで死に物狂いで医学の勉強をしてきた。このままじゃ病院に勤めて何も残せないまま俺の人生は終わると思った。だから俺は研究職を選んだ。ただ残りの学生生活も無駄にしたくない。卒業してから何かを始めているようでは何も変わらない。今できない理由なんてないんだ。俺は今すぐにでも何かを残したいと思った、だが、気づくと俺は後数ヶ月で学生生活を終える。お前はいいな。上条――まだ時間があるんだ」


上条は黙っている。


「いいじゃないか。たまには夢を語っても―」


「先輩・・・」


「そろそろ次の講義に行くよ。悪かったな。話に着き合わせて――」


村田は席を立った。


「先輩――僕にも夢はあります。馬鹿らしくて誰にも言えない夢が・・野望が・・・」


「お前は何のために俺に話しかけたんだ?――」


「え?――」


村田はまた席に着いた。


「俺は分かってるぞ。お前は話す相手を選んでる。自分にとって都合が悪いか・・必要のない相手とは口を利かない。それが上条、お前だ――」


「僕は・・・」


「お前は何故、俺に話しかけたんだ?――」


「先輩が優秀だからです」


授業を知らせるベルが鳴った。


「僕は優秀な人にしか興味がない。人と関わるメリットは、自分にないものを吸収できることと利用できることです。先輩は僕にないものを持ってる可能性があった。ただそれだけのことです――ですけど、それも僕もの勘違いだったのかもしれません。先輩、夢は必要です。でも、理想は理想でしかない。僕はあなたが悲観的な人だとは思わなかった。もう、お話しすることもないでしょう」


上条は席を立った。村田はこの大学でも名の通った優秀な生徒だった。それを上条が知らないはずはなかった。しかし、蓋を開けてみると、ただの人であった村田に上条は見切りをつけた。


「上条――」


上条は振り返った。


「まだ何かあるんですか?――」


これまでと一変した上条の態度に村田は全く戸惑わない。


「これは夢じゃない現実だ――」


「は?――」


上条は冷たい目で、村田の背中を見ている。


「俺は生み出した。感情をコントロールする術(すべ)を――」


「何を言ってるんですか?」


村田は振り返り、手に持っている物を上条に見せた。


――それは小さな容器に入った。無色の液体だった。

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