2-2.
――六月七日、午前七時頃、東京都武蔵野市。
武蔵野署の刑事、
「あ、この辺で大丈夫です。あとは歩いていくので」
「わかりました。では、お気をつけて」
「ありがとう」
事務的なやり取りを交わし、車から降りて、朝の日差しを浴びながら舗装された歩道を歩いていく。彼女とすれ違う者はない。まだ登校時間には一時間ほど早く、部活の朝練ももう少し早い時間からだろうか。車道とを隔てるガードレールの内側の植え込み。すれ違い、追い抜いていく車。店舗よりも住宅の方が多い。ただ歩いているだけで、膨大な情報量が科乃の頭に入ってくる。普段の閉め切られた部屋の中とは大違いだ。
目的地が近づいてきて、どうしても気持ちが浮ついてしまう。開け放たれている正門を通り抜けて、来賓用の入り口に向かうと、そこに一人の男性が立っていた。長袖のワイシャツ姿の体格のいい中年男性。近づくと、かすかに煙草の臭いが鼻についた。気にはしているようで、ほのかにミントの香りもする。が、消しきれてはいないようだ。恐らく、彼が担任の先生だろう。科乃が来る時間はあらかじめ決まっていたし、右も左もわからない編入生を迎えるのは、やはり担任の先生なのだろうと思ったのだった。
「おはよう。君が
「おはようございます。はい、わたしが新崎科乃です」
「担任の、
さすがにすべてとはいかないが、必要最低限の校内の施設を案内され、最後は職員室に辿り着いた。
「ホームルームの時にクラスの皆に紹介するから、一言、挨拶を頼めるかな」
挨拶、というのは自己紹介のようなものだと推測しつつ、どこまで話していいものか、何を話そうか、悩んで――すぐに決めた。わずか、瞬きをしてから次の瞬きまでの間の事だった。
「わかりました」
「じゃあ、行こうか」
職員室の壁に掛けられた時計を見ると、あっという間に時は過ぎていたらしく、ホームルームの時間まであと少しというところだった。徐々に騒がしさが増してきていたとは思っていたが、そんなに時間が経っていたことに、彼女は少々驚いていた。普段は時間を気にすることなく生活していたせいで、時間通りに物事が進むということに慣れていないというのもあるのだろう。
職員室のある二階から一つ上がり、三階の廊下を進んだ一番奥。そこが、科乃が編入した二年A組の場所。校舎の西側に位置し、突き当りは大きなガラス窓になっていて、夕方になると西日が射し込んで眩しくなりそうだ。
先に川島先生だけが教室に入り、クラスの生徒達へ諸連絡を伝えた後、教室の外で待つ科乃に合図を出した。その合図で科乃が教室へ入ると、途端に教室内にどよめきが沸く。大袈裟に騒ぎ立てたりはしないものの、高揚するクラスの雰囲気を一身に受けて、柄にもなく少し緊張してしまう。自分と同じ年頃の高校生とこうして対面する機会など、滅多にあることではない。科乃にとっては、生涯感じることの無いと思っていた瞬間なのだ。
「え、えっと……新崎、科乃です。編入したてでわからないことも多いですが、皆さん、よろしくお願いします!」
当たり障りのない挨拶で頭を下げると、彼女を歓迎する拍手喝采が降って沸いた。まずは第一印象で、おかしな点はなかったらしい。受け入れてもらえたことが素直に嬉しくて、自然と笑顔がこぼれた。
「新崎の席は窓側の一番後ろだ。何かわからないことがあれば、積極的に周りを頼っていくように。では、解散」
川島先生に指示された通りの席について、初めての椅子の感触、机の手触りを味わう。座り心地がいいとは言えないが、これはこれで味がある。学生にはこれが相応の物なのだろうと勝手に納得した。
荷物を整理していると、前の席と隣の席からほとんど同時に声を掛けられる。
「私、
と、隣の席の清楚な装いの黒髪の女子生徒。
「ワタシは
前の席からは、やや片言の日本語を話す長い茶髪の女子生徒。見た目では日本人とあまり変わらないように見えなくもないが、瞳の色がやや日本人離れしているだろうか。
「編入初日から授業で大丈夫? 前の学校でやってないとこあったら聞いてくれていいからね」
「ありがとう、岩藤さん」
どうやら彼女は世話焼き屋のようで、頼られたくて仕方ないらしい。
彼女らを皮切りにして、クラスの生徒がちらほらと科乃の席に集まってくる。編入生というのは物珍しいのだろう。充分目立ってしまっているが、変な目立ち方ではない。編入したてでは目立つのも当然のこと。数日もすれば収まるだろう。そんなことを考えていた。
「科乃ちゃーん、今日 放課後って空いてる?」
「え、まあ、空いてるけど……?」
髪を脱色した化粧も派手な女子生徒が、馴れ馴れしくもぐいぐいと迫ってくる。どことなく玲桜に似ている気がして、何だか拒めなかった。
「よかったらさぁ、歓迎会するから
吉祥寺は武蔵野市にあるこの近辺でも有数の繁華街で、若者が多く訪れる街だと事前情報で知っていた。ここに遊びに行くのが若者としては適切な対応なのかもしれないと、科乃は独断で街に繰り出すことに決めた。
「うーん、わかった。いいよ、空けとく」
「ホントぉ!? マジぃ!? じゃあ、予約取っとくから、放課後ね~」
そう言って史奈は、クラスの皆に、科乃ちゃんの歓迎会行く人~? と声を掛けてまわっていた。一体何人集めるつもりなんだろうと不安に思いながら、授業の時間まで、科乃は代わる代わる質問攻めにされていた。
――同日、午後一時頃。
昼休みになって、早々に教室を抜け出した科乃は、どこか一人になれるところでお弁当を食べようと思い、ついでに校内の散策も兼ねて歩き回ることにした。
(予告の日は北上高校の終業式。つまり、全校生徒が体育館に勢揃いする。そこで一人も漏らさず殺すつもりなら、方法は恐らくガス系か爆破が確実。放火の線もあるけど、確実性は前の二つよりは下がる。他に突飛な殺し方はあるかな。スプリンクラーを作動させて水浸しにし、電気を流して感電死、なんてこともできるはできるけど、ちょっと無理があるかな)
とにかく現場になるであろう体育館の下見に行くことにしたが、どこを通っていくのかわからない。学校の中で迷うなんて、彼女は思いもしなかった。仕方なく、まずは校内の構造を把握することから始めることにした。各階にどんな部屋があり、どの通路を通ってどこに行けるのか。よくよく歩いてみれば、そんなに複雑な構造ではない。
一階の北側の廊下の一番奥、自習室と書かれた部屋。ふと気になって、扉の窓から中を覗いてみれば、中には誰もいないようだった。ここなら静かにお弁当が食べられると考えた科乃が扉を開けると、窓の死角だったようで、中には一人の男子生徒が机に向かっていた。入り口で立ち尽くす科乃と目が合った彼は、不意に彼女に尋ねた。
「……新崎さん、明日って、雨降ると思う?」
「いいえ、降らないと思うけど」
毎日の天気は頭に入っているどころか、データと実際の空や大気の様子から自分なりの予測を立てていた彼女は、彼の突然の質問にも即答できた。
「ごめん、君、同じクラスの人、だっけ?」
自分の名前を知られているが、彼女は彼を見た覚えも自己紹介をされた覚えもなかった。いや、あったのかもしれないが、短時間であまりにたくさんの人と出会ったので思い出せないだけなのかもしれなかった。
「ああ、うん。僕は
「そっか。突然 天気のことを聞いたのは何で?」
「まあ、何となく、かな。教室は騒がしいでしょ? 静かに食べたいなら、ここで食べていきなよ。僕はもう行くからさ」
何だか気を遣われたみたいで、彼女は少しだけ自分が小さく見えてしまった。だが、彼の言葉に従って、とりあえずここでお弁当を食べていくことにした。不思議な人だ。所謂 天然というやつなのだろうか。それにしては鋭い。こんな学生もいるんだと、科乃は彼に少しばかりの興味を持ち始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます