第11話 共鳴する欠落(シンクロニシティ)

 その瞬間、世界から「静寂」が削除された。


 街中の至る所で、聞き覚えのあるメロディが鳴り響く。

 それは湊が好きだった古い洋楽の着信音であり、共有ドライブにアップロードされていた「あの日」のノイズだった。


 歩道に立ち止まったサラリーマンの端末。

 バスを待つ女子高生のタブレット。

 電器店のショーウインドウに並んだ無数の4Kテレビ。


 そのすべてに、僕が解き放った『湊の真実』が映し出されていた。


「何だこれ……消えないぞ!?」

「これ、あそこの崖じゃない? 誰か落ちそうになってる……」


 人々のざわめきが、巨大な波となって街を飲み込んでいく。

 隠蔽されていた十年前の記録。僕たちの震える声。美月の狡猾なささやき。そして――湊の最後の微笑み。


 リソースの「共有」は、残酷なまでの平穏をもたらした。

 街中に空いていた『真っ黒な穴』が、人々の視線というリソースを吸い込み、猛烈な勢いで埋まっていく。


 だが、それは「復元」ではなかった。

 書き換えられた偽りの街を、湊の記憶という『剥き出しの真実』が上書きしていく、侵食のプロセスだった。


 ……。


 ……。


「……あ、あ、ああ……」


 僕の隣で、大輝が喉の奥で震えた声を漏らした。

 彼の体が、まるで古いフィルムのように「二重露光」されている。


 今の、情けなく震える大輝。

 十年前、湊を冷たく突き放した大輝。

 その二つの輪郭が激しく重なり合い、境界線から火花のようなノイズが弾け飛ぶ。


「航平……止めてくれ。みんなが俺を見てる。みんなが、俺がやったことを……!」


 街中の人々の瞳に、大輝の「罪」が共有されている。

 誰にも見られないことで保たれていた彼の自尊心が、衆人環覧という暴力によって粉砕されていく。


 電話の向こうでは、美月の悲鳴が聞こえていた。


『嘘よ、こんなの! 私が、私が悪者みたいじゃない!

 ねえ航平くん、削除して。今すぐ私のデータを削除してよ!』


 彼女は、消えることよりも「暴かれること」を恐れていた。

 だが、パブリックに設定されたドライブは、もう僕の手にも負えなかった。


 システムは、この街に住む数万人の「認識」を燃料にして、爆発的に進化を始めたのだ。


 ……。


 ……。


「……すごいね、航平くん」


 背後で、柚月が感嘆したように息を吐いた。

 彼女の喪服の裾が、夜の風に揺れている。


「一人の人間を救うために、世界全体を『バグ』にしてしまうなんて」


「これが君の望みか? 柚月」


 僕は熱を持ったスマートフォンを地面に叩き付けた。

 画面は割れても、そこから溢れ出るデータは止まらない。

 空に浮かぶ月さえも、今や四角いピクセルの集合体に変貌しようとしている。


「私は、ただの観測者だよ」


 柚月は、僕に歩み寄り、その冷たい指先で僕の頬をなぞった。


「でも、これだけは教えてあげる。

 『みんなで分け合う』ということはね、航平くん。

 個人の境界線がなくなる、ということでもあるんだよ」


 彼女の指が触れた場所から、僕の視界が急速に「透明」になっていく。


 自分と、他人。

 真実と、嘘。

 湊と、僕。


 その区別が溶け、一つの巨大な「意識のゴミ箱」へと統合されていく感覚。


「見て。街が、一つの『生命体』になろうとしている」


 柚月が指差した先。

 駅前の広場に集まった人々が、同じタイミングで、同じ角度で、空を見上げた。


 彼らの瞳には、もう個人の意志は宿っていない。

 ただ、共有された湊の記憶を再生するだけの「端末」と化していた。


 そして――。


 その群衆の真ん中に。

 あの日、デリートされたはずの男が立っていた。


 ……颯太だ。


 彼はノイズを纏いながらも、確かな足取りでこちらを向いた。

 その口元が、歪んだ形に釣り上がる。


『……ありがとな、航平。

 全員が「僕」になれば、もう誰も僕を消せない』


 颯太の姿が、一瞬で街中の人々と重なり、増殖していく。

 数万人の颯太が、一斉に僕を指差した。


『次は、君の番だ。

 航平、君の中に残っている「最後の秘密」を、みんなに教えてあげてよ』


 僕の心臓が、警告音のような激しい鼓動を刻む。

 僕が十年間、自分自身にさえ削除し続けてきた、本当の「嘘」。


 崖の上で、最初に湊の背中を押したのは、一体誰だったのか。


 ……。


 ……。


 世界が真っ白に塗りつぶされていく。

 共有という名の全体主義が、僕という個体を消し去ろうとしていた。

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