第3話 悪役令嬢は、礼を言えない
その日の放課後。
王立学園の廊下は、授業を終えた生徒たちのざわめきで満ちていた。
私は資料を抱え、静かな方へと足を向けていた。
「……あの」
背後から、聞き慣れた声がする。
振り返ると、そこにいたのはクラリッサ・ルヴェリエ侯爵令嬢だった。
背筋は伸び、表情は硬い。
まるで決闘前の騎士のようだ。
「何かご用ですか?」
「……少し、話があるわ」
それだけ言って、彼女は歩き出す。
――命令ではない。
でも、逃げ道も用意していない言い方。
(相変わらず不器用)
私は何も言わず、ついていった。
人気のない回廊。
窓から差し込む夕陽が、床に長い影を落としている。
クラリッサは、しばらく黙っていた。
言葉を選んでいるというより、どう切り出せばいいか分からない様子だった。
「……今日の件」
ようやく口を開く。
「あなたが口を出さなければ、私は……」
そこで、言葉が止まる。
「断罪されていたかもしれませんわね」
私が続きを補うと、彼女は悔しそうに唇を噛んだ。
「……認めたくないけれど」
絞り出すような声。
「助けられた、わ」
視線は、私を見ていない。
壁の一点を睨みつけている。
(これが精一杯)
私は、あえて軽く受け取る。
「礼なら不要です」
「そういう話じゃないわ!」
思わず声を荒げてから、はっとして、クラリッサは咳払いをした。
「……あなたは、なぜ私を庇ったの?」
「庇ってはいません」
私は、即答した。
「正しくない展開を、修正しただけです」
クラリッサは、眉をひそめる。
「……何よ、それ」
「あなたが本当にやったことなら、私は止めませんでした」
淡々と告げる。
「でも、あなたは“嫌われ役”を演じているだけ」
「そんな雑な悪役に、未来を壊されるほど――私は甘くありません」
沈黙。
クラリッサの肩から、わずかに力が抜けた。
「……変な人」
「よく言われます」
短く答えると、彼女は一瞬、困ったような顔をした。
「……私」
声が、少しだけ低くなる。
「今まで、誰も信じてくれなかった」
その言葉は、独り言のようだった。
「怒っていれば、悪者でいれば、
そうしていれば……誰も近づかないから」
私は、黙って聞いた。
慰めない。否定もしない。
それが、彼女に必要な距離感だと分かっていた。
「あなたは……」
クラリッサが、ちらりとこちらを見る。
「私が“悪役”じゃない可能性を、最初から考えていた」
「当然です」
私は首を傾げる。
「人は、役割では測れませんわ」
また、沈黙。
けれど、今度のそれは、少し違った。
クラリッサは、ゆっくりと一歩、私に近づく。
「……勘違いしないで」
早口で言う。
「別に、あなたに懐いたわけじゃない」
「はい」
「ただ……」
少し間があって。
「あなたの近くにいれば、
無意味に責められることは、減りそうだから」
(はい、第一段階クリア)
私は心の中でだけ頷いた。
「合理的な判断です」
「でしょ?」
彼女は、わずかに胸を張る。
「だから、しばらく……その」
「一緒に行動するだけよ」
「構いませんわ」
私がそう言うと、クラリッサは一瞬だけ、安心したような顔をした。
すぐに、いつもの強気な表情に戻るけれど。
「……次に、あの平民が何か仕掛けてきたら」
「その時は?」
「あなたを呼ぶ」
それは、彼女なりの信頼の差し出し方だった。
「ええ」
私は微笑む。
「その時は、また“正しく”対処しましょう」
クラリッサは小さく頷き、先に歩き出す。
その歩幅が、ほんの少しだけ、私に合わせられていることに気づきながら。
悪役令嬢は、まだ懐いていない。
けれど、確実に――
孤独ではなくなり始めていた。
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