第5話 もう一つの顔③

キラキラと輝く夜景を見下ろしながら、車は山道を静かに下っていった。

胸の奥でざわつく不安は、隣で無言のままハンドルを握る東地先生のせいだと思う。


……え、なんで黙ってるんですか先生。

気まずい空気って、こういうのを言うんですよ?

まるで私が何か悪いことをしたみたいじゃないですか。


やがて車は、ライトアップが美しい公園の駐車場で停まった。


「少し、歩きませんか」


エンジンを切る音のあとに落ちた、低く落ち着いた声。

いつもより温度が低い気がして、私は小さく頷いた。


カップルたちが笑い合いながら通り過ぎていく。

その中を、私と先生は無言のまま並んで歩き始めた。


――なんで私は、こんな気まずい空間にいるんだろう。

厚美とそのまま帰ればよかったかもしれない。

先生とは気心が知れてると思ってたのに……私の勘違いだったのかな。


うつむいて息を吐いた瞬間、立ち止まっていた先生の背中にゴツンとぶつかった。


「あたっ……」


先生がゆっくり振り返る。街灯の光が、眼鏡の端に淡く反射した。


「古川さん。単刀直入にお聞きしますが――」


あ、来た。やっぱり本題。

点野さんが先生に話したんだろう。

機嫌が悪いのは、知られたくなかったから?


申し訳なさで胸がぎゅっと締めつけられて、私は勢いよく頭を下げた。


「先生がお祓い屋だって、聞いてしまいました! ごめんなさい!」

「点野君とお付き合いしてるって本当ですか?」


――……え?


同時に口にした言葉に、二人して固まって見つめ合う。

体感二十秒の沈黙のあと、私は恐る恐る聞き返した。


「……え? 誰が誰と、付き合うって?」


次の瞬間、先生は顔を押さえてその場に崩れ落ちた。


「……やられました……点野君……」


……え、どういうこと。

でもひとつだけ分かった。先生、完全に点野さんにしてやられた。


「じゃあ……先生がお祓い屋だって知ったから、怒って連れてきたわけじゃないんですか?」


「え? いつ知ったんですか?」


きょとんとした顔で返され、心の中で叫ぶ。

――えぇ!? さっきまで悩んでた私の時間、返して!


「今日です。先生が綺麗な女性と個室に入るのを見て……」

「あ! あれはクライアントさんです!」

「はい、点野さんに聞きました。そのときに先生がお祓い屋だって教えてもらって」


説明すると、先生の眉が情けなく下がった。


「ああ……そうでしたか。いずれ話そうと思っていたので、怒ってはいません」


「じゃあ、何に不機嫌だったんですか?」


先生は言いかけて、咳払いをひとつ。

それから私の正面に立ち、真剣な眼差しで言い直した。


「……もう一度お聞きします。点野君と、付き合っては……?」

「してませんし、その予定もないです」


そう答えると、先生の肩がわずかに下がった。

ほっとしたような微笑みが浮かぶ。


……点野さん。先生に一体何を吹き込んだんですか。

イタズラ心、要注意。


「先生、ベンチに座りません? 私、自販機で飲み物買ってきます」

「え? あ……僕が――」


言い終える前に私は小走りで自販機へ。

コーヒーとミルクティーを買って戻ると、先生が苦笑しながら受け取った。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


温かい缶の蓋を開け、一息ついたところで、私は改めて切り出した。


「……先生って、本当にお祓い屋なんですか?」

「ええ。口コミだけで依頼を受けています」

「へぇ……すごい。お医者さまがお祓い屋って、最強じゃないですか」


私の素直な感想に、先生はわずかに目を細めた。


「古川さん。ユタはご存じですか?」

「沖縄のお祓い屋さん、ですよね」


「僕の祖母が医師であり、ユタでもあったんです。

小さい頃から“見えてしまう”体質の僕に、お祓いの方法を教えてくれました」


「おばあ様、すごいですね」


「ええ。ただ……両親はまったく信じていませんでした。

“心霊現象なんて気のせいだ”と父に言われ続け……

医師になっても、見えるものは消えませんでした」


先生の視線が、缶コーヒーへ落ちる。

きっと唯一の理解者が、祖母だったのだろう。


「最初にお祓いしたのは、診療所に来た患者様です。

何をしても治らない体調不良。そこに“良くないもの”が見えてしまって。

試しにやってみたら、効果があった」


「すご……ドクターお祓い屋、爆誕ですね」


思わず口にすると、先生は声を立てて笑った。


「でも、僕でも祓えないものもあります」


笑みが引き、声が少しだけ低くなる。


「……生霊です」

「生霊って……生きてる人の念、ですよね」

「はい。好意や執着を持つ生霊は、僕では祓えないんです」

「うわ……モテるが故、ですね。イケメン怖い」

「そういうわけじゃ……ないんですけどね」


苦笑する先生。けれど、優しすぎるのも一因じゃないかな、と私は思う。


「じゃあ、どうして点野さんのお店で?」

「彼も見えるし、祓える人なんです。いつも助けてもらってます」


なるほど。だから店を“場”として使っていた。

個室、クライアント――全部繋がった。


先生は少し間を置いて、こちらを見た。


「それと最近、最強の浄化力を持つ人と出会いました」

「ほう」

「古川さん。あなたですよ」


「……は?」


え? 私? 霊感ゼロですけど!?


「古川さんの手を握ると、浄化されるんです。悪いものが退く」


先生が私の手を包む。

温度がじんわり伝わって、変なところが落ち着かない。


――ああ、だからやたら手を繋ぎたがったんですね!?


「先生……私を空気清浄機として使ってたんですね。許さん」


ジト目で言うと、先生は楽しそうに笑った。


「それだけじゃないんですが……もう一つ、気づいたことがあります」

「……何ですか」

「今言うと逃げられそうなので、時を待ちますね」


「……はぁ?」


くすくす笑う先生を見て、まあ機嫌が直ったならいいか、と私は肩を落とす。

まだ手は握られたままだ。

でも理由が“浄化”なら……まあ、いいか。たぶん。


「では、そろそろ帰りましょうか」


先生は私の手を握ったまま立ち上がり、ゆっくり歩き出した。

夜風が頬を撫でる。遠くの街の灯りが、金の粒みたいに瞬いていた。

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