第3話 訪問診療②


約束の十分前にクリニックへ着くと、

診察を終えた患者さんとすれ違いに中へ入った。

東地先生は申し訳なさそうに眉を下げ、私を迎えてくれる。


「こんにちは、古川さん。

ご無理を言ってすみません。今日はよろしくお願いしますね」


「お疲れさまです、先生。大丈夫ですよ、暇でしたから」


手をひらひら振ると、先生は少しだけ安堵したように笑った。


「移動は車になります。駐車場まで一緒に来てもらえますか」

「はい」


鞄を手にした先生と並んで歩き、商店街の外れの月極駐車場へ向かう。

そこに停まっていたのは、国産のコンパクトカーだった。


「利便性を重視してるので、小さい車ですみません……」

「いえいえ。車のことは詳しくないですけど、可愛い車ですね」


そう返しながらシートベルトを締めると、

先生はほっと笑ってエンジンをかけた。


――三度目に会った人とドライブ。

いや、往診。往診だ。

流れる景色を眺めながら、心の中で一人ツッコミを入れていると、

先生の声がする。


「新しいお仕事には慣れましたか?」


「はい。毎日充実してます。お守りを作ってると、時間を忘れるくらいで」


「そうですか。それは良かった。……いいご縁ができましたね」


微笑む横顔に、こちらまでつられて口元が緩む。


やがて車は都会を抜け、田園の広がる道へ入った。

その先――大きな和風の屋敷の前で、静かに止まる。


「……すごいお屋敷ですね」

「ええ。そうなんですよ。僕も、どうも落ち着かなくてね」


先生は苦笑しながらエンジンを切った。


門の向こうには整えられた庭園。池には鯉。

玄関先にも調度品がさりげなく置かれている。

二時間ドラマで相続争いが始まりそうな舞台。

庶民の私には、まったく縁のない世界だ。


玄関で出迎えてくれたのは、清楚で優しげな女性だった。

先生に丁寧に挨拶をして、ちらりと私を見ると、微笑む。


慌てて頭を下げると、彼女も柔らかく頷いた。


「おばあ様は、先生が来られるのを楽しみにしているんですよ」

「それは嬉しいことですね」


案内された部屋には、小柄なご年配の女性がソファに座っていた。

笑顔は穏やかで――けれど、どこか儚げだ。


「先生、お忙しいのにごめんなさいね」

「いえ。お元気そうで何よりです」

「それがねぇ……そろそろ主人が迎えに来たそうで」


――迎え? もう長くないってこと?

そんなふうには見えないのに。


ぼんやり考えていると、ご年配の女性がふと私を見た。


「はじめまして」

「あ、はじめまして! 古川と申します」


慌てて名乗る私に、ご年配の女性は微笑を浮かべたまま、ぽつりと言う。


「そうなのね……東地先生が頷かない理由は、このお嬢さんがいるからかしら?」

「……ええ。すみません」


……え? 私、今なにか関係ある?

二人だけで話を完結させないでください!


きょとんとする私をよそに、会話はそこでふっと途切れた。



診療を終え、屋敷を後にした先生は、車の中で小さく息を吐いた。

窓の外を見る横顔は、どこか張りつめている。


――やっぱり、何か訳ありなんだろう。

そう思っても、私は聞けなかった。


クリニックに戻り、コーヒーを淹れて先生の前に置く。

彼はまだ遠くを見ているようで、私はあえて何も言わず、カップだけ差し出した。


「先生、じゃあ私はそろそろ帰りますね」

「あ……すみません、ぼんやりしてました!」


先生が慌てて立ち上がる。

私が鞄を手に入口へ向かおうとしたとき、その声が引き止めた。


「……もし良ければ、少し時間をいただけませんか」

「え?」

「無理にとは言いませんけど……その、ご飯、一緒に食べませんか?」


泣き出しそうなほど困った表情。

“頼む”と言うより、“助けてほしい”に近い顔だった。


これで断れるわけがない。


「……喜んで」


私は微笑んで、そう答えた。

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