第15話 失敗作は、成功を見たことがなかった

 彼には、名前があった。

 だが、もう使っていない。


 呼ばれる必要が、ないからだ。

 始まりは、些細な願いだった。


「一度でいいから、やり直したい」

 それだけ。


 事故でも、復讐でも、正義でもない。

 人生の取り消し。


 彼は、工場で働いていた。


 単純作業。

 代わりはいくらでもいる仕事。


 それでも――

 彼なりに、生きていた。


 ある日、

 ボタンを一つ、押し間違えた。


 たった一秒。

 だが、その一秒で、

 機械が暴走し、

 一人の同僚が、死んだ。


 現場は、彼のせいになった。


 記録。

 監視カメラ。

 証言。


 全部が、

 彼を指していた。


(違う)

(でも、

 説明できない)

 裁判は、早かった。


 判決は、重かった。

 誰も、

 彼の顔を見なかった。


 ただ、

 「事故を起こした人間」として扱った。


 独房で、

 彼は毎日考えた。


(あの一秒が、なければ)

(戻れたら)

 その時、

 時間が、応えた。


 ――巻き戻った。

 彼は、

 事故の三分前に立っていた。


 震える手。

 汗。


 だが、

 今度は、間違えない。


 完璧に、操作する。


 ……結果は、同じだった。


 今度は、

 別の機械が故障し、

 同じ人間が、死んだ。


(もう一度)

 戻る。

(今度こそ)

 戻る。

(次は)

 何度やっても、

 結末は変わらない。


 死ぬ人間だけが、

 微妙に変わる。


 だが、

 誰かは必ず死ぬ。


 時間は、

 彼に“選択肢”を与えなかった。


 成功が、

 一度も存在しなかった。


 やがて、

 彼は理解した。


(俺は、確定している)

(何をやっても、失敗する)

 それでも、

 戻ることだけは、

 できた。


 救えない。

 変えられない。


 ただ、

 繰り返せる。


 やがて、

 彼は気づく。


(なら、壊せばいい)

 成功が存在しないなら、

 失敗も意味を持たない。


 彼は、

 他人の時間に、

 触れ始めた。


 小さく。

 浅く。

 他人の“確定”を、

 ズラす。


 結果、

 世界は歪んだ。


 事故が、重なり、

 時間が、割れた。


 彼は、

 初めて笑った。

「……やっと、反応した」


 世界が、

 自分の存在を、

 認識した。


 その頃、

 ユズルのような人間が、

 現れ始めていた。


 戻れば、

 成功できる者。


 正義を、

 成立させられる者。


 彼は、

 それを見て、

 確信する。


「俺は、失敗作だ」

 だが、

 だからこそ――。


「壊す役目は、俺にしかできない」

 交差点で、

 ユズルと目が合った時。


 彼は、

 少しだけ羨ましかった。


 成功ルートを、

 持っている存在が。


 だが、

 同時に、

 知っていた。


(あいつも、いずれ――)

(戻れなくなる)

 失敗作は、

 成功者を壊すために、

 生まれた。


 それが、

 彼の役割。


 世界が、

 そう定義した。


 彼は、

 夜の街に溶ける。


 名前も、

 未来も、

 捨てて。


 残ったのは――

 確定を壊す意志だけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る