第13話 よし、桐生!行くぞオオオオオオッ!!
チュンチュン、という小鳥のさえずり。
そんな爽やかな音で目覚める朝は、二度と訪れないのかもしれない。
「――桐生さーん! いらっしゃるんでしょう!?」
「――昨日の配信について一言!」
「――朝の生放送です! 中継繋がってます! 手を振ってくださーい!」
怒号。
絶叫。
そして、カーテンの隙間から差し込む無数のフラッシュの光。
「……最悪だ」
俺、桐生透は掛け布団を頭まで被り直して呻いた。
朝七時。
いつものように起きて、いつものようにコーヒーを飲み、いつものように会社へ行く――はずだった時間だ。
だが、今の俺に「いつもの日常」なんてものは存在しない。
昨日の「ダンジョン配信・Sランクモンスター瞬殺&ボス消滅事件」。
あの後、俺たちは駆けつけた機動隊になんとか保護され命からがら帰宅した。
だが、マスコミの追跡は執拗だった。
俺の自宅マンションは瞬く間に特定され、夜通し包囲され続けている。
「出れるわけないだろ……」
俺はそっとベッドから起き上がり、カーテンを数ミリだけ開けて外を覗いた。
地獄絵図だった。
マンションの前の通りを埋め尽くす人。
報道陣のカメラの砲列に加え、スマホを掲げた野次馬や配信者たちがひしめき合っている。
警察官が交通整理をしているが、焼け石に水だ。
「あ! 今カーテン動いた!」
「桐生透だ! いるぞ!」
目ざとい野次馬の一人が叫び、一斉に視線とカメラが俺の部屋に向けられる。
バシャバシャバシャバシャ!
閃光のようなフラッシュの嵐。
俺は慌ててカーテンを閉め、その場にしゃがみ込んだ。
「……詰んだ」
完全に籠城戦だ。
食料はあるか? カップ麺が二個。水はある。
だが、これでは会社に行けない。無断欠勤確定だ。いや、もう会社に電話することすらためらわれる。電話回線もパンクしているかもしれない。
とんとん。
その時、ベランダの方から音がした。
ノックの音だ。窓ガラスを叩いている。
マスコミか? いや、ここは三階だぞ。よじ登ってきたとは思えないが?
俺は警戒しながら、カーテンを少しだけ開けた。
そこにいたのは、黒いスーツを着た美女だった。
片手にコーヒーカップ、もう片手にタブレット端末。
カフェのテラス席にいるような優雅さで、俺の部屋のベランダに立っていた。
神崎凛。
国家ダンジョン管理局特務課のエージェントであり、俺の専属マネージャー(自称)兼、お隣さんだ。
「……」
俺は窓の鍵を開けた。
凛は「失礼します」と短く言って、土足のまま入ってきた――わけではなく、ちゃんと靴を脱いで入ってきた。律儀だ。
「おはようございます、桐生さん。よく眠れましたか?」
「……この状況で熟睡できる神経をしてたら、とっくにS級冒険者になってますよ」
「それはそうですね。ちなみに私は三時間ほど仮眠を取りました」
凛は俺の部屋の惨状を一瞥しても表情を変えず、持ってきたコーヒーを俺に差し出した。
「ブラックです。お好きでしょう?」
「……どうも」
受け取って一口飲む。
熱い液体が胃に落ちて、少しだけ落ち着いた。
凛は自分の分のコーヒーを啜りながら、タブレットを操作した。
「現状報告です。マンション周辺の報道陣は約二百名。野次馬を含めると五百名を超えています。近隣住民からの苦情件数はすでに三百件突破。警察はバリケードを張っていますが、突破されるのは時間の問題かと」
「俺は犯罪者か何かですか」
「似たようなものです。『時の人』というのは、公共の敵と紙一重ですから」
さらりと言う。
彼女はタブレットの画面を俺に向けた。
SNSのトレンドワードが表示されている。
1位:#透明人間
2位:#Sランク瞬殺
3位:#デコピン最強
4位:#桐生透
5位:#住所特定
「住所特定がトレンド入りしてる時点で、日本の治安が終わってる気がするんですが」
「同感です。ですが、これが現実です」
凛は眼鏡の位置を直した。
「さて、本題です。あなたは今日、どうされますか? 会社に行きますか?」
「……行けると思いますか?」
「通常手段では不可能です。玄関から出た瞬間、あなたは揉みくちゃにされ、衣服を剥ぎ取られ、マイクを口に突っ込まれるでしょう」
「ゾンビ映画かよ」
「ですが、行かないという選択肢もまた、リスクが高いです。無断欠勤が続けば解雇の理由になりますし、何より逃げたという印象を世間に与えます。一度ついた卑怯者のレッテルは、後々まで響きますよ」
凛の言う通りだ。
ここで引きこもれば、あることないこと書かれるだろう。「実はCGだった」「逃亡した」などと叩かれるのは目に見えている。
俺はため息をついた。
「……行きますよ。会社に」
「賢明な判断です」
「でも、どうやって? 玄関は封鎖されてるし、ベランダから飛び降りたら余計に騒ぎになる」
俺は『影王の指輪』を触った。
これを使って姿を消せば脱出は可能だ。だが、それでは「桐生透」が部屋から消えたことになり、さらに怪しまれる。
「ご安心を。特務課が用意したプランがあります」
凛がきりっとした顔で言った。
プラン?
嫌な予感がする。この人のプランは、いつも強引でろくなことがない。
「プランA。機動隊の装甲車を強行突入させ、あなたを回収する」
「却下。近所迷惑すぎる」
「プランB。囮を使う。私があなたの格好をして玄関から飛び出し、マスコミを引きつけている隙に裏口から脱出する」
「神崎さんが男装して俺の格好を? ……いや、体格差がありすぎてバレるでしょう」
「プランC」
凛はそこで言葉を切り、ニヤリと笑った。それは肉食獣が獲物を見つけた時の笑みだった。
「正面突破です」
「……は?」
「逃げも隠れもしない。堂々と玄関から出て、堂々と歩いて駅に向かう。マスコミには一言も答えず、ただの会社員として振る舞う。それが一番、彼らの意表を突く行動です」
「いや、意表を突いても物理的に囲まれたら終わりでしょう」
「そこで、強力な助っ人を用意しました」
助っ人?
機動隊以外にか?
凛が持っていたトランシーバーを取り出し、スイッチを入れた。
「……準備はいいですか? どうぞ」
『OKだぜ! いっつでも来いよ!』
トランシーバーから聞こえてきたのは、やけにハイテンションな、聞き覚えのある男の声だった。
え、これってまさか……。
「田中?」
『よう桐生! 朝から大変そうだな! テレビで見てるぜ!』
「なんでお前が……てか、どこにいるんだ」
『下だよ下! マンションの入口! 神崎さんに頼まれてさ「桐生透の最強の盾になってくれ」って言われたら断れねえだろ!』
盾。
一般人を盾にする気か、このマネージャーは。
「神崎さん、正気ですか。田中はただの一般人ですよ。マスコミに潰されます」
「いいえ。彼はただの一般人ではありません」
凛は真顔で言った。
まさか田中もまた、秘密が──?
「彼は大学時代、アメフト部のキャプテンとして鳴らした人間戦車です。そして現在は営業部エースとして、どんなクレームも笑顔で弾き返す鋼のメンタルの持ち主。さらに今回は、特務課の特殊装備対ショック・スーツインナー型を貸与しています」
そういう意味かよ。
「……何をさせてるんですか」
「さあ、着替えてください。桐生さん」
凛が俺のスーツを投げて寄越した。
「五分後に行動開始です。遅刻しますよ?」
俺は天を仰いだ。
普通の朝は、もう戻ってこない。
それを痛感しながら、俺は覚悟を決めてネクタイを締めた。
「よし、桐生!行くぞオオオオオオッ!!」
田中の野太い叫び声が、朝の住宅街に響き渡った。
オートロックのドアが開いた瞬間、俺たちの前に立ちはだかったのは、肉食獣の群れのようなマスコミたちだった。
「出てきたぞ!」
「桐生さーん! 一言だけ!」
「昨日の映像は本物ですか!」
フラッシュの集中砲火。
突き出される無数のマイク。
だが、それらは全て一人の男によって弾き返された。
「はいはい通りますよー! 一般通過社員が通りますよー! 道を開けてくださーい!」
「危ないですよー! 怪我しますよー! 押さないでー!」
田中だ。
彼が両腕を広げラッセル車のように人波をかき分けていく。
身長185センチ、体重90キロ。大学時代アメフト部で培った強靭なフィジカルと営業で鍛え上げた笑顔の壁。
さらに凛から支給されたインナースーツのおかげか、小突き回されても全く動じていない。
「すげえな、あいつ」
「彼は逸材です。後で特務課にスカウトしておきます」
「勝手にスカウトするな……」
俺と凛は、田中が切り開いた道を悠々と歩いた。
凛は俺の斜め前を歩き、近づこうとする不届き者を鋭い視線と、見えないように繰り出される肘打ちで牽制している。
「触らないでください。公務執行妨害で現行犯逮捕しますよ?」
氷の微笑み。
マスコミたちが「ひっ」と声を上げて道を譲る。
完璧な布陣だ。
俺たち三人は大統領のように駅までの道のりを突破した。
◇ ◇ ◇
そして、会社。
満員電車での凛と田中による鉄壁のガードを経て、俺は中堅商社の自社ビルに到着した。
自動ドアをくぐる。
冷房の効いた涼しい風が、汗ばんだ肌を撫でる。
これでやっと落ち着ける――わけがなかった。
「お、おい! 来たぞ!」
「桐生だ! 本物だ!」
「マジで出社してきたぞ!」
エントランスロビーがざわめいた。
出社中の社員たちが、一斉に足を止めて俺を見ている。
受付の女性も、警備員も、掃除のおばちゃんも、全員だ。
「……おはようございます」
俺は努めて平静を装い、社員証をゲートにかざした。
ピッ。
いつも通りの電子音。
だが、空気はいつも通りではない。
「おい桐生! 昨日の配信見たぞ! なんだよあれ!」
「Sランクモンスターワンパンってマジかよ!」
「お前あんな力隠してたのか!? 詐欺だろ!」
エレベーターホールに向かう途中、顔見知りの男性社員たちが詰め寄ってきた。
興奮、困惑、そして少しの畏怖。
今まで地味な底辺社員として接してきた相手が、実は化け物だったと知った時の反応だ。
「CGですよ、あれ」
俺は歩みを止めずに答えた。
「はあ? CGなわけあるかよ! 公式が認めてんだぞ!」
「じゃあ特撮です。最新技術の」
「無理があるわ!」
そんなやり取りをしていると、今度は女子社員たちのグループとすれ違った。
彼女たちは俺を見ると、キャアと小さく悲鳴を上げ、顔を赤らめた。
「やだ、本物……」
「今まで全然気づかなかったけど、よく見ると背も高いし……素敵かも」
「ねえ、後でサインもらえないかな?」
……掌返しがすごい。
先週まで俺の存在を認識してなかった人たちが、今はアイドルを見るような目を向けてくる。
「モテモテですね」
「うるさい」
隣で凛が小声で茶化してくる。
田中はと言えば、「いやー、うちの同期がすんません! サインなら後でまとめて受け付けますんで!」と勝手にマネージャー気取りで対応している。
こいつ……楽しんでやがる。
エレベーターに乗り込む。
満員だった箱の中が、俺たちが乗った瞬間に人込みが割れてスペースができた。
誰も俺の隣に立とうとしない。
唯一、凛だけが平然と寄り添い、田中が前で仁王立ちしてドアをガードしている。
チン。
目的の階に到着した。
営業部のフロア。
「来た……」
フロアに入った瞬間、百人近い視線が一斉に突き刺さった。
電話の手が止まり、キーボードを叩く音が消える。
完全なる静寂。
その中を俺は自分のデスクへと向かった。
一番奥の、窓際。
今まで窓際社員の象徴だったその席が、今は魔王の玉座のように見られている気がする。
ドカッ。
椅子に座る。
パソコンの電源を入れる。
ウィーンというファンの音だけが、静寂の中で響いた。
「あの……桐生くん?」
恐る恐る声をかけてきたのは、課長だった。
いつも俺に雑用を押し付けてくる、小太りの中年男性だ。今日はなぜか揉み手をしながら冷や汗をかいている。
「その……昨日の件で、部長がお呼びなんだけど……」
「今は無理です」
俺は画面を見つめたまま答えた。
「え?」
「始業時間です。まずはメールチェックと、先週の引き継ぎ資料の作成を終わらせます。それが終わったら行きます」
「あ、はい……そ、そうだよね。仕事熱心で素晴らしいよ……うん……」
課長はすごすごと引き下がった。
Sランクモンスターを消滅させる男に、残業を命じる勇気はないらしい。
俺はキーボードに手を置いた。
周りの視線は痛い。
ヒソヒソ話も聞こえる。
だが、俺は会社員だ。
給料をもらっている以上、働く。
それが、日常を維持するための唯一の手段だから。
「……よし」
俺は小さく気合を入れて、いつも通りの業務を開始した。
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