第二十一章 総力戦——すべての店舗が立ち上がる

五日目の朝。


 空の紫は、さらに濃くなっていた。


 瘴気の濃度は、日に日に増している。街では、瘴気病の患者が爆発的に増えていた。


 しかし——希望も、確実に広がっていた。


 王国全土の店舗から、報告が届いていた。


「南部支店、本日の来客数二百人。全員に対応完了」


「東部支店、在庫残り僅か。しかし、住民の士気は高い」


「宿場店、周辺の村々から避難者受け入れ中。食料も配給している」


 そして——村の本店からも。


「本店、異常なし。むしろ、村人たちが手伝いに来てくれている。昔、店長さんに助けてもらった人たちが」


 健太は、報告を読みながら、胸が熱くなった。


 ——俺たちは、一人じゃない。


 全国に散らばった登録販売者たち。彼らが育てた信頼。彼らが築いた絆。


 それが今、実を結んでいる。


 しかし、瘴気の王は、着実に力を増していた。


 六日目の夜。


 健太は、エルフィナから緊急の報告を受けた。


「封印が、限界に近い」


「どういうことだ?」


「希望は集まっている。しかし、瘴気の王の力も増している。このままでは——」


 エルフィナの顔が、険しくなった。


「——明日の夜までに、完全な希望の結晶を生成できなければ、封印は破れる」


「明日の夜……」


 あと一日。


 健太は、窓の外を見た。


 紫色の空。沈む夕日。


 ——間に合うのか。


 その夜、健太は仲間たちを集めた。


「状況を整理しよう」


 健太の声は、落ち着いていた。


「希望は集まっているが、まだ足りない。あと一日で、臨界点を超える必要がある」


「どうすれば——」


「一つだけ、方法がある」


 エルフィナが言った。


「希望を、一点に集中させる」


「一点に?」


「今、希望は王国全土に分散している。それを、一ヶ所に集めれば——エネルギー密度が上がり、結晶化の確率が上がる」


「どうやって集める?」


「……儀式が必要だ」


 エルフィナは、古い書物を開いた。


「古代の魔法文明には、『集合意識』を集中させる技術があった。特定の場所で、特定の時間に、すべての人が同じことを願う。その願いが、結晶化する」


「特定の場所?」


「古代遺跡だ。あの祭壇が、儀式の中心になる」


 健太は考え込んだ。


「つまり——俺たちが遺跡に行って、儀式を行う。同時に、王国全土の人々が、希望を願う。そうすれば——」


「封印を修復できる可能性がある」


「可能性、か」


「確実ではない。しかし、他に方法はない」


 計画が固まった。


 健太、エルフィナ、リーネの三人が、遺跡へ向かう。


 マルコは王都に残り、店舗の指揮を取る。


 ゴルドも残り、防衛に当たる。


 ロッソ卿は、ギルドの全力を投入して、人々への呼びかけを行う。


 聖教会は、全国の教会で、同時に祈りを捧げる。


 セラフィーナ姫は、王室から公式な発表を行い、全国民に協力を呼びかける。


「明日の夕刻、日没の瞬間。すべての人が、同時に希望を願う」


 健太は、全員を見回した。


「これが、最後の作戦だ」


 翌朝。


 健太たちは、王都を出発した。


 空はまだ紫だが、朝日の光が、わずかに差し込んでいる。


「間に合うでしょうか」


 リーネが、不安げに言った。


「間に合わせる」


 健太は、前を見つめた。


「俺たちがやるべきことは、やる。あとは——」


 彼は、後ろを振り返った。


 王都の街並みが、遠ざかっていく。


「——みんなを、信じる」


 遺跡への道のりは、苦難に満ちていた。


 瘴気は、遺跡に近づくほど濃くなっていた。呼吸が苦しく、視界が霞む。


 しかし、三人は進み続けた。


 途中、瘴気に冒された魔物が襲ってきた。


 紫色の体表。赤く光る目。かつては普通の動物だったものが、瘴気によって変異している。


「私が対処する」


 エルフィナが、前に出た。


 彼女の手から、緑色の光が放たれる。


 浄化の魔法。瘴気を中和する力。


 魔物たちは、光に触れると、悲鳴を上げて逃げ去った。


「大丈夫か」


「問題ない。しかし、魔力の消耗が激しい。温存しなければ、儀式ができなくなる」


「分かった。できるだけ、戦闘は避けよう」


 日が傾き始めた頃、三人は遺跡に到着した。


 入り口は、紫色の靄に包まれている。


 その奥から、禍々しい気配が漂ってくる。


「行くぞ」


 健太は、先頭に立って遺跡に入った。


 祭壇の間に着くと、瘴気の王がいた。


 以前より、さらに巨大になっている。


 体高は五メートルを超え、紫と黒の体表は脈動している。


「愚かな……また来たか……」


 瘴気の王の声が、響いた。


「お前たちの努力は、無駄だ……我は、もうすぐ完全に復活する……」


「まだだ」


 健太は、瘴気の王を見上げた。


「まだ、終わっていない」


「何を言う……封印は、もう破れかけている……」


「だから、修復しに来た」


 健太は、祭壇に近づいた。


「お前を、もう一度封印する」


 瘴気の王が、笑った。


 地の底から響くような、おぞましい笑い声。


「面白い……やってみるがいい……」


 エルフィナが、儀式の準備を始めた。


 祭壇の周囲に、特殊な薬草を配置する。静寂の石を、魔法陣の要所に置く。


 リーネは、健太の横に立った。


「店長さん」


「何だ」


「私、怖いです」


 リーネの声が、震えていた。


「でも——」


 彼女は、健太の目を見つめた。


「——店長さんと一緒なら、大丈夫な気がします」


 健太は、微笑んだ。


「俺もだよ。一人じゃ、ここまで来られなかった」


「店長さん——」


「終わったら、店に戻ろう。みんなで、いつも通りの営業をしよう」


「はい」


 リーネは頷いた。


「必ず、戻りましょう」


 日が沈み始めた。


 空の紫が、夕焼けの赤と混ざり合う。


 遺跡の外では、王国全土の人々が、同時に祈り始めている。


 教会の鐘が鳴り、人々が手を合わせる。


 街の広場で、村の中央で、家の中で。


 すべての人が、同じことを願っている。


 ——希望を。


 ——この世界を、救ってほしい。


 ——あの薬屋さんたちに、力を。


 その願いが、光となって、遺跡へ集まっていく。


 祭壇の魔法陣が、輝き始めた。


 白い光。金色の粒子。


 人々の希望が、結晶化している。


「来ている……!」


 エルフィナが叫んだ。


「希望が、集まっている……!」


 しかし、瘴気の王も、黙ってはいなかった。


「させるか……!」


 紫色の触手が、祭壇に向かって伸びてきた。


「止めろ……!」


 健太が、叫んだ。


 彼は——無謀にも——瘴気の王に向かって走った。


「店長さん!?」


「俺が時間を稼ぐ! 儀式を続けろ!」


 瘴気の王の前に立つ。


 巨大な影が、健太を見下ろしている。


「愚かな……ただの人間が、我に立ち向かうとは……」


「ただの人間でいい」


 健太は、瘴気の王を睨み上げた。


「俺は、薬屋だ。人を救うのが、仕事だ」


「人を救う……? 笑わせるな……お前たちは、みな死ぬ……」


「死なない」


 健太の声が、響いた。


「俺たちは、死なない。なぜなら——」


 彼は、後ろを振り返った。


 リーネが、エルフィナが、儀式を続けている。


 祭壇から、白い光が立ち上っている。


「——俺たちには、希望があるからだ」


 その瞬間、光が爆発した。


 白い光が、遺跡全体を包み込んだ。


 瘴気の王が、悲鳴を上げた。


「何だ……これは……!」


「希望の結晶だ」


 エルフィナの声が、響いた。


「王国全土の人々の希望が、一つになった。これが——」


 白い光が、瘴気の王を包み込んでいく。


「——お前を封印する力だ」


 瘴気の王は、もがいた。


 しかし、光から逃れることはできない。


「馬鹿な……こんなことが……」


「終わりだ」


 健太は、静かに言った。


「お前は、また眠りにつく。今度は——」


 彼は、祭壇を見た。


 魔法陣が、新たな紋様を形成している。以前より、複雑で、強固な紋様。


「——今度は、もっと長い眠りだ」


 瘴気の王の体が、光に呑まれていく。


「覚えておけ……我は……永遠には……封じられない……」


「知ってる」


 健太は頷いた。


「だから、俺たちが備える。いつか復活しても、また封印できるように」


「お前たちは……何者だ……」


「言っただろう」


 健太は、微笑んだ。


「ただの薬屋だ」


 光が収まった。


 瘴気の王は、消えていた。


 祭壇の上には、新しい封印が形成されている。以前より、ずっと強固な封印。


 そして——空の紫が、晴れていく。


 遺跡の外から、青い空が見え始めた。


「終わった……」


 リーネが、呟いた。


「本当に、終わった……」


「ああ」


 健太は、疲れ切った体で、祭壇にもたれかかった。


「終わった」

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