第二十章 瘴気の王降臨——絶望の始まり

瘴気の王の姿は、おぞましいものだった。


 三メートルを超える巨体。紫と黒が渦巻く体表。そして、赤く燃える双眸。


「愚かな……人間どもよ……」


 その声は、直接頭の中に響いてくるようだった。


「我を封じようとしたのか……無駄なことだ……」


 瘴気が、さらに濃くなっていく。


 周囲の石壁にひびが入り、床が揺れる。


「逃げろ!」


 健太が叫んだ。


「ここは危険だ! 外へ——!」


 全員が、出口へ向かって走った。


 瘴気の王は、彼らを追おうとはしなかった。


「逃げるがいい……しかし、無駄だ……」


 その声が、追いかけてくる。


「この世界は、我のものとなる……すべての生命は、我に絶望を捧げるのだ……」


 遺跡の外に出ると、空は紫に染まっていた。


 太陽が、瘴気の霧に覆われている。


 空気は重く、呼吸するだけで胸が苦しくなる。


「どうなっているんだ——」


 マルコが、空を見上げて呟いた。


「瘴気が、遺跡から溢れ出している」


 エルフィナが、険しい表情で言った。


「封印が破れたことで、抑えられていた瘴気が一気に解放された。このままでは——」


「王国全土に広がる」


 健太は、拳を握りしめた。


「どうする、店長」


 リーネが、不安げに聞いた。


「どうすれば——」


「まず、王都に戻る」


 健太は、決断した。


「そこで、対策を練る。今ここで立ち止まっても、何も解決しない」


 王都への帰路は、悪夢のようだった。


 瘴気は、すでに広がり始めていた。街道沿いの村々では、人々が倒れていた。


「助けて……」


「苦しい……」


 瘴気病の症状が、急速に悪化している。


「止まれない」


 健太は、苦しげに言った。


「今は、王都に戻ることが最優先だ。そこから、全体の指揮を取る」


「でも、この人たちは——」


「分かってる! でも、ここで立ち止まったら、もっと多くの人が死ぬ!」


 健太の声が、震えていた。


 苦しい選択だった。


 しかし、今は——先を急ぐしかない。


 王都に着いたのは、二日後だった。


 街は、パニック状態だった。


 瘴気病の患者が、街中に溢れている。病院は満員。薬は不足。


 そして——空は、紫に染まったままだ。


「店長!」


 王都店で、ラウルが待っていた。


「状況は把握しています。在庫は限界ですが、できる限り対応しています」


「よくやってくれた」


 健太は、すぐに会議を召集した。


 仲間たち。ギルドの幹部。聖教会の代表。王室の使者。


 全員が、深刻な表情で集まった。


「状況を整理しよう」


 健太が口を開いた。


「瘴気の王が復活しかけている。完全な復活までは、まだ時間がある——エルフィナの見立てでは、あと一週間ほど」


「一週間?」


「ああ。その間に、何とかしないといけない」


「何とかって——どうするんだ?」


 ロッソが、苛立たしげに言った。


「封印を修復しようとして、失敗したんだろう? 今さら、何ができる?」


「封印の修復は、まだ終わっていない」


 エルフィナが言った。


「綻びは広がったが、完全に破れたわけではない。今からでも、十分な希望を集められれば——」


「十分な希望?」


「そうだ。希望の結晶を生成するには、王国全土の人々が、同時に希望を持つ必要がある」


 全員が、顔を見合わせた。


「それは——無理じゃないか?」


「今の状況で、希望を持てと言っても——」


「だから、俺たちが動く」


 健太が立ち上がった。


「俺たちが、希望を届ける」


 健太は、作戦を説明した。


「すべての店舗を、避難所として開放する。瘴気病の患者を受け入れ、治療を行う。同時に、健康な人々には、予防措置を指導する」


「しかし、薬が足りない——」


「ギルドの在庫も使う。今は、利益を考えている場合じゃない」


 ロッソが頷いた。


「了解した。全在庫を開放する」


「聖教会には、全国の教会を通じて、メッセージを発信してもらいたい。『希望を捨てるな』と。『俺たちは、必ず瘴気の王を倒す』と」


「引き受けよう」


 審問官の代表が答えた。


「王室には、各地の領主に協力を要請してもらいたい。兵士を動員して、治安を維持する。パニックを抑える」


「姫様に伝えます」


 王室の使者が頷いた。


「そして——」


 健太は、仲間たちを見回した。


「——俺たちは、店に立つ。今まで通りに。いつも通りに。お客様を迎えて、薬を売って、相談に乗る」


「いつも通りに……?」


「そうだ。世界が滅びそうでも、俺たちは店を開ける。それが、俺たちにできる最大のことだ」


 リーネが、静かに言った。


「店長さんの言う通りです。私たちがパニックになったら、お客様はもっと不安になります。私たちが落ち着いていれば、お客様も落ち着きます」


「その通りだ」


 健太は頷いた。


「俺たちは、希望を売る。薬と一緒に、希望を届ける。それが——転生薬局の仕事だ」


 作戦が始まった。


 王国全土のドラッグストアが、避難所として開放された。


 薬が配られ、治療が行われ、予防措置が指導された。


 聖教会の鐘が鳴り、メッセージが発信された。


 「希望を捨てるな」


 「光は、必ず戻る」


 王室の兵士が街を巡回し、治安を維持した。


 そして——店舗では、いつも通りの営業が続いた。


「いらっしゃいませ」


「本日も、お越しいただきありがとうございます」


「お体の調子はいかがですか?」


 緑色のエプロンを着た登録販売者たちが、笑顔で客を迎えた。


 世界が終わりかけていても。


 空が紫に染まっていても。


 彼らは、店に立ち続けた。


 三日目。


 健太は、王都店で働いていた。


 客は、いつもより多い。しかし、パニックの気配はない。


「あの……薬師寺さん」


 一人の客が、健太に話しかけてきた。


「世界は、本当に大丈夫なんですか?」


 健太は、その客の目を見つめた。


 中年の女性。疲れた顔。しかし、目には——まだ光がある。


「大丈夫です」


 健太は、はっきりと答えた。


「俺たちが、何とかします」


「本当に……?」


「本当です。俺は——」


 健太は、一瞬、言葉を切った。


 そして、微笑んだ。


「——俺は、嘘はつきません」


 客の顔に、小さな笑みが浮かんだ。


「そうですか……ありがとうございます」


 客は、薬を受け取って店を出ていった。


 その背中を見送りながら、健太は思った。


 ——一人ずつだ。一人ずつ、希望を届ける。


 それが、俺にできることだ。

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