第4話 極端な愛情
列車が駅に停まる。
扉が開くと、スーツ姿のサラリーマンが現れた。
メガネの男は車内を見渡す。生気のない人々。
「はあ、私は、本当に死んでしまったのか。」
男は膝から崩れ落ちた。
「ちょ、お父さん、ここは自殺者が乗る列車で。自ら死を選んだんじゃ?」
亮が倒れ込んだけんいちを支える。
男は立ち上がり慌ててネクタイを整えた。息が荒い。
「ええ、申し訳ございません。取り乱して、しまいました。」
男はそういうと行儀良く席に座る。身なりを整えながら「ごめんなごめんな」と呟き続ける男に、美咲はイライラし貧乏ゆすりを始める。
「私、愛する妻と子どもがいるんです。それなのに、それなのに……」
けんいち。歳は49歳。
大学卒業後、大手上場企業に就職。
地道にキャリアを重ねて、若くして課長となり、部長候補にも選ばれた。
結婚をし、妻と、子どもが2人いる。
家族の幸せなために。養う為に。
それが彼のモットーであり、懸命に働く仕事人間である。
「ねえ、少し休んだら。ほら、子どももいるでしょ。」
妻の思いやりに気づいても、「仕事だから」と断っていた。
ある日、会社から一報が届く。
それは、転勤であった。
3ヶ月後、ベトナムへ。
夜遅くに家に帰ると、玄関に息子が立っていた。
「まだ起きてたのか。寝なさい。」
息子はもじもじしながら、
「お父さん、外国にいくの?いいなあ。」
と甘い声で言う。しかしけんいちは「仕事だからな。応援だし、すぐ帰れる。」と、息子を後にした。
仕事の為、それは即ち家族の為。大丈夫。これで家族が幸せならば。父親としてなんでもしてやる。
出国。
現地に到着し、プロジェクトの進捗を確認。
直ぐに段取りを行った。
しかし、期間が伸びに伸びて、費用も高まる一方。本社からの遠いプレッシャーもかかる。
家族との連絡も次第に遅れていく。
気づけば帰らぬまま2年は経っていた。
ある日の休日、レストランを出た時に現地のマネージャーにばったり会った。家族と共に、市場へ向かう途中のようだ。彼は私よりかなりの低賃金、子どもは7人いるという。それでいて幸せな顔を浮かべていた。けんいちは社交辞令をしその場を早足で去った。
休日なんて、何をすれば良いのか分からない。
思えば、日本にいた時も疲れて寝てばかりだった。
家族に何もしてやれなかった。
後悔が募る夜。
ごめん。ごめんよ。
翌朝、現地人により川から水死体が上がった。
列車の中の冷たい霧は、重くのしかかる。
「そうか。お父さん。あんた働きすぎだ。俺みたいに少し遊んでも良かったんじゃないか?」
亮はけんいちの隣に座り、肩を叩いた。
遥は、けんいちを羨ましそうに見る。
「お父さん、立派だったのに、勿体無いねえ。よく、よく堂々と働いてきたと思いますよ。」
亮はけんいちと抱擁し背中を叩く。
けんいちは「ありがとう、ありがとうございます。」と声を震わせる。
美咲はフッと鼻で笑う。
「あんたら2人ともバカなのよ。川に入ったって、それも言い訳がましいわ。でも羨ましいよ。あんたみたいな家庭、欲しかったな…」
美咲は言葉を濁し、車窓を眺めた。
変わり映えのしない車窓の景色。見るものを落ち着かせるような、心を覗き込むような真っ白さ。
遥とひなは、2人無邪気に会話をしていた。
そこに亮も加わる。
「お兄ちゃん、すきな遊びとかあるの?」
ひなが聞く。
「ああ、俺は遊びのプロだ。何でもやってきた男だ。」
遥は笑った。ひなは目を輝かせ、ふっくらした顔を出した。
「ふーん。男の子だから、ボール遊びとか?野球とか?」
「そうだな。ま、玉遊びといえばその延長先のことをな。ひなちゃんが大きくなって、美人になれば教えてやる。」
「美人になれるかな」ひなは遥と目を合わせた。ひなはすぐ俯いた。
「私太ってるし、虐められるし………」
皆視線がひなに集まる。
亮は少し黙った後、話題を変えるもひなは元気を失った。
「虐めてくるやつなんか、ぶん殴るくらいしろよ。」
美咲が言った。
ひなは驚きながらも、小さな声で、
「でも……そんな事したら、みんな私の物壊すし、隠すし、怖いもん。女子だって、せいりが移るとかいって無視するし、離れるし……」
そう言うとひなは、遥の腕に顔を埋めた。
すると美咲はカッーと唸った。
「それ、一番キモいね。だから、ひなはね、はるかと一緒なの。逃げる場所探せれば良かったのよ。そう美化すんなよ。」
亮がまあまあと仲介に入る。
「楽しい話、このイケメン兄さんとしようぜ。な。小学生の頃俺何してたっけなー。あぁ虫取りか。した事ある?」
「え、虫?嫌い。」
ひなはそっと顔を出した。
「虫取り………」
聞き慣れない声が車内に響いた。
その声は、佐藤であった。
皆の注目が集まる。
亮が佐藤に近づく。
「お兄さん、やっと声が聞けたね。」
あ、いや、と佐藤は車窓を眺めた。
霧の中、何かを探すように見つめる。
「………そうだ、虫取り。」
「???」
佐藤は立ち上がる。
「理想の世界、じゃないけど、俺の記憶にとべないのか?それなら………虫取りをした夏に行こう。」
亮は呆然とした。
「そんなんで、良いのか?」
亮の言葉に、佐藤はしっかり頷いた。
「あの日感じたあの感覚、感情。その正体を知りたい。俺の向かう世界は、感情が動いた時。俺はそれを知りたい。」
列車がブレーキをかけ始める。
「おい、何言ってんだ。折角お前、理想の世界にいけるんだぞ?」
美咲はそういうが、佐藤の目は真っ直ぐ扉を見つめていた。
列車が停まり、扉が開く。
佐藤は手を出し探るように霧に消えていった。
列車は走り出す。
皆呆気に取られ、沈黙になる。
「ま、人それぞれ幸せが違うんだろ。押し付けるようなもんじゃないからな。」
亮は笑った。
「私は、家族に会いたいな。」
けんいちがポツリと呟く。
遥は、けんいちを見つめる。
「けんいちさんの様な、素敵なお父さんが良かったな。」
「え、そう思うのかい?」
けんいちは驚いた。
ずっと父親失格と謝罪の言葉で頭がいっぱいだった。
「うん。こんな家族思いの父親、その愛情って子どもからしたら理解できない、けど、幸せだと感じる。そう思います。」
「………そうか。幸せに気づかないだけか。」
けんいちは始めて笑顔を見せた。
美咲はその様子を見て爪を噛む。
「あー、うぜえうぜえ。ねえ、一回私の話聞いてよ。」
美咲。歳は30。
彼女は大学在学中、1人の男と出会う。
ゆきお。2つ上の先輩で、2人は惹かれ合い、直ぐに恋人同士となった。
美咲は大学卒業後、イラストレーターとなり、研修後に挿絵やデザインの受注など忙しくなる。
ゆきおは2回留年し、美咲の家へ流れ込んできた。「大丈夫。安定するまで私頑張るから!」
フリーのイラストレーターとして、少しずつ名前が売れ始めていた頃。
ゆきおは無職に近く、美咲の稼ぎで生活。
美咲は「私が支えてるから、いつか恩返ししてくれる」と信じて、 貯金も共有口座に。
「ゆきおのためなら」と思って、自分の夢(イラストの個展)をセーブして働いた。
ある日、ゆきおが突然消えた。
部屋に戻ると、通帳は空っぽ。
パソコンの中の美咲のオリジナルデータも、すべて削除されていた。
ゆきおは、別の女性と密かに婚約していた。
美咲の稼ぎで借金を清算し、作品を盗んで出版社に持ち込み、自分の名前で契約。
美咲は「最近仕事が減ったな……」と思っていたが、
実は自分のスタイルを真似た作品が他名義で売れ始めていた。
さらに追い打ち。
ゆきおは美咲の実家に「美咲が借金まみれで俺にたかってた」と嘘のメールを送り、
家族との縁を絶たせた。
美咲のSNSには、拓也と別の女が幸せそうな結婚写真が上がる。
招待状が、美咲のアパートにわざと届く徹底的な悪意。
半年後、ゆきおの結婚式。
この晴れ舞台で、式中、美咲は2人の目の前に立った。黒いコートを脱ぐと下着姿。コートに仕込んでいたガソリンを撒き、焼身自殺をした。
燃える結婚式場。
死ぬ間際、頭に浮かんだのは、
ゆきおの優しい笑顔と、
「美咲のためなら、なんでもするよ」
という言葉。
「燃えてく、燃えてく。信じてたのに……全部、嘘だった」
美咲の心は、完全に壊れた。
「美咲さん………」
遥の言葉に美咲はそっぽ向いた。
「同情なんかいらないわ。無縁仏よ。みんな死ね。」
けんいちは美咲の話に、ハッと何か思い出した。
「美咲さん、もしかして式場が火災にあったというニュース、あなたでしたか。」
「サラリーマンは海外でもニュース確認お疲れ様ね。あらそう、報道されたんだ。みんな死んだ?」
狂気的な彼女の笑顔に、けんいちは、あぁと声を漏らした。
言葉を探してるようだ。
「どうなの?ねえ言えよ。」
「あ、いや………」
けんいちは覚悟を決め、美咲に目を合わせた。
「落ち着いて聞いてください。報道では、婿のストーカーが式場で放火したと。死亡者は、いなかったかな……」
美咲はけんいちの胸をガッと掴む。
美咲の乱れた黒い髪が、けんいちの顔を覆う。
「はあ!?どーいう事だよ!!」
「い、いえ!私も報道を見ただけでして……その、おそらく、そのゆきおさんのコメントがあり、それが被害者ぶってまして、あの、内容は避けますが………」
美咲は窓を殴る。そして床へ倒れ込み、罵詈雑言をぶつぶつ呟く。コートの黒さがより深く見えた。
列車は停まり出し、駅に着いた。
扉が開く。
「美咲さん?」
けんいちは声かける。
美咲は顔を上げる。
笑顔だった。
「けんいち、あなたは与え過ぎた愛。私は信じ過ぎた愛。私たちは欠けていたのよ。それだけじゃ足りないんだってね。」
美咲はけんいちの肩を掴み揺らす。
美咲は顔を下げて、ククッと笑う。
「あいつ、私の死まで利用して。あいつを一生苦しめる世界。ハハッ、それが私の理想。待っててね、ゆきお。今行くよ……」
彼女はフラフラ立ち上がり、ドアの外へ消えていった。赤黒い霧が彼女を包む。
憎しみが、恨みだけが彼女には残らなかった。
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