第九話「幸せの時間」
「……これっぽっちかよ」
「いいじゃないですか。あの子は、優しい山羊飼いのおじいさんに引き取られたんですから」
ルカは満足げだが、カミロはあからさまに不満げに渡された硬貨を摘んで小袋のなかに落とした。
中央王都は戦時中とは思えないほど華やかで、享楽に満ちていた。聖油工場の煙突が黒煙を吐き出し、その下では着飾った人々が笑い合い、露店からは食欲をそそる脂の匂いが漂う。
グンとブリューの愛くるしい姿はここでも注目の的だった。「触らせて!」と駆け寄る子供や女性たちを、ルカが「噛むから危ないよ」と制しながら、波を分けるように進む。
二人も初めて見る大都会に興味津々で、今にも迷子になりそうなほどキョロキョロと首を振っている。
ルカが掲げた「最強の矛と鎧」の条件は過酷だった。
「鋼鉄そのものの強度より、魔法の強化に耐えうる素材が必要です。ミスリル二十五、ダマスカス鋼七十五の合金。鎧はハガネですが、裏地にはエレクトラル百パーセントのメッキ。その下の鎖帷子は強度は不要ですが、純ミスリルで……」
五人はいくつもの工房を巡った。レオンハルトとカミロが実際に矛を振り、カミロが強化魔法を直接ぶつけて耐久性を確かめる。職人たちが「無茶を言うな」と呆れるのを背に、理想の一振りを求めて一日中歩き回った。
結局夜になっても目当ての一振りは見つからず、宿への帰りがけに一軒の酒場に立ち寄ったが、店主は入り口で首を振った。
「動物はお断りだ」
(神の子になんと無礼な……)
そんな想いが胸をよぎるが、今は目立つわけにいかない。一行は仕方なく引き下がり、犬の同伴が許された露店の席に腰を下ろした。
料理が運ばれてくると、グンとブリューが「早く食べたい」と膝を前足でトントンと叩いてせがむ。
「ほら、お前たちの分だ」
運ばれてきた肉を差し出すと、人間の味付けが気に入ったのか、その食欲は凄まじい。
「おい、食い過ぎだ。そんなに食べるとデブになるぞ」
カミロが途中で皿を引くと、二人はあからさまに甘えた鳴き声を上げて抗議した。
その光景を眺めながら、ルカはふと思った。
これから本格的に「仕事」が始まるというのに、あまりに気が抜ける。五人で揃って死に向かっているというのに、こんなに幸せでいいのだろうか。
その夜、一行は初めて「宿らしい宿」のふかふかのベッドに横たわった。
グンとブリューがベッドに上がりたそうに足を引っ掻くため、ルカに促され、結局五人は同じ布団の中に収まった。
レオンハルトは、隣で眠るグンの寝顔をじっと見つめていた。
あと十ヶ月もすれば、この日常とはおさらばなのだ。そう思うと、むしろ今のこの状況の方が不思議で、現実味がないように感じられた。
(幸せとは、ずっと楽しいことが続く毎日だと思っていたが、違ったんだな)
それは、ひどく退屈な時間だった。戦場のどこを探しても一秒たりとも存在しなかった、命を脅かされない空白。
けれど、この退屈は決して嫌なものではない。むしろ、永遠に続いてほしいと願ってしまうような、穏やかな退屈だ。
耳を澄ませば、グンの穏やかな寝息が静かに鼓膜を震わせ、洗い立ての絹のように柔らかい毛並みの感触が手の甲に伝わってくる。生きている証である力強い鼓動と、少しだけ高めの体温が布団の中を満たしていた。
カミロの方へ目を向けると、彼はブリューの胸を優しくトントンと叩きながら、安らかな幸福に浸っていた。
レオンハルトも、真似るようにグンの小さいが立派な胸に手を置いた。
今だけは。
この温もりの中に、素直に浸っていよう。
王子の右目は、静かに眠るグンの体温を感じながら、ゆっくりと閉じられていった。
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