第八話「命の重み」
フェンリルの成長は、予想を遥かに上回る早さだった。
焚き火を囲む三人の足元で、少年からもらった縄のおもちゃを奪い合うグンとブリュー。その体躯は、一ヶ月前とは比較にならないほどがっしりとし、今や立派な小型犬並みの大きさに達している。
カミロが皿に山羊の乳を注ぎ、二人の前に置いた。だが、グンもブリューもその匂いを一度嗅いだだけで、ぷいと顔を背けた。
「……おい、飯だぞ。飲まねえのか?」
黄金の瞳がじっと見つめているのは、焚き火に炙られ、肉汁を垂らして煌めく怪鳥の肉だ。実際、道中で遭遇した怪鳥との戦いで、2人ははすでに幼いながらも牙を剥き、狩りに「参加」し始めていた。
「もう乳はいらないって顔だな」
カミロが後ろに繋がれた乳出し用の山羊を見やった。
「用済みか。……王子、こいつ、明日には飯にしちまいますか。肉は重荷になるが、腹に入れちまえば楽だ」
「ああ、そうしよう。」
レオンハルトも当然のように頷く。
「――ちょっと待ってください! それは反対です!」
ルカが悲鳴のような声を上げ、山羊の前に立ちはだかった。
「反対って……何がだよ。こいつを連れて歩く手間が省けるんだぞ」
「自分を育ててくれた、乳を出してくれた山羊を、用が済んだからって殺して食べるんですか!? そんなの、絶対に教育上良くないです!」
レオンハルトとカミロは、何が悪いのかさっぱり分からないという目で顔を見合わせた。
「魔族の性格は利己的で、完全な暴力による縦社会と聞きます。弱者を虐め、服従させ、その命を軽んじる。」
「ルカ、今更何の説明だ」
「だから!」
ルカは声を荒らげた。
「そんな風に簡単に他の命を軽んじたら、魔族と同類じゃないですか!」
「……家畜は家畜だ。お前だって街に着けば、山羊肉の料理に舌鼓を打つだろうが」
「食べますよ! でも、命への感謝は忘れません!」
「感謝しようがしまいが、食われる方にしちゃ関係ない話だろう」
カミロの冷めた言葉に、ルカは食い下がった。
「関係あります! 命を軽んじたら、際限がなくなるんです。今みたいに『邪魔だから殺す』っていう考え方になってしまう。それが良くないんです! 食糧がなくて飢え死にしそうなら分かりますけど、僕らにはまだ余裕がある。だったら街まで届けて、山羊飼いに売るべきです!」
「結局、いつかは食べられるんだぞ」
「それでも、山羊飼いは乳出し山羊として最後まで大切に扱ってくれるはずです!」
ルカの必死な訴えに、二人は沈黙した。
「……グンとブリューには、命の重みが分かる、優しい子に育って欲しいんです」
「……そんなもの戦場に必要ない」
レオンハルトは短く返したが、強ばった肩を下ろした。
「だが……今すぐ山羊を食べねばならぬほど、困窮しているわけでもない。明日も狩りを行えば、その分、戦いの訓練にもなる。……好きにしろ」
「よかったぁ……。よかったね、グン、ブリュー。パパたちにも、まだ人間の心が残ってたよ」
ルカが安堵して、二人の頭を撫でながら語りかける。グンもブリューも、意味は分からずとも主人の緊張が解けたことを察し、嬉しそうに尻尾を振った。
それを見たレオンハルトとカミロは、呆れたように、そして少しだけ毒気を抜かれたように、鼻で笑って怪鳥の肉を頬張った。
「……パパ、だとさ。笑わせるな」
「全くだ。……だが、あのルカがこれほど吠えるようになるとはな」
二人がそうこぼし、再び怪鳥の肉を頬張り始めた時だった。
ルカに撫でられていたグンとブリューが、ふいと顔を上げ、後ろに繋がれた山羊の方へ歩み寄った。カミロが「おい、やっぱり食う気か?」と身構えたが、二人が牙を剥くことはなかった。
グンは、かつて自分に乳を与えていた山羊の鼻先に、そっと自分の鼻を寄せた。ブリューもそれに倣い、大きな舌で山羊の耳のあたりを一度だけ、名残惜しそうに舐める。
それは「獲物」に対する値踏みではなく、幼いなりにその温もりを慈しむような、神聖な獣としての慈愛が微かに漏れ出した瞬間だった。
山羊は怯えることもなく、どこか誇らしげに喉を鳴らして二人を受け入れている。
「……見なよ。グンもブリューも、ちゃんと分かってますよ」
ルカが誇らしげに鼻を鳴らす。
レオンハルトはその光景を、黙って見つめていた。
(命への感謝、か……)
彼の中にあるのは、依然として「戦うための牙」を育てるという冷徹な目的だ。だが、自分たちが守るべき「未来」とは、こうした無意味に思える優しさの積み重ねの先にあるのかもしれない。
レオンハルトは小さく息を吐くと、焚き火に薪をくべた。
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