第3話
「ふあぁ……。よく寝た」
ポチという最高級の湯たんぽのおかげで、俺は泥のように熟睡していた。
ダンジョンの深層とは思えないほど快適な朝だ。
冷たい石の床も、俺が昨日むしり取った「香りのいい草(ユグドラシルの若芽)」を敷き詰めたおかげで、ふかふかのベッドに早変わりしている。
「ん、ポチ。おはよ……」
俺が腕の中の白い毛玉を撫でようとした、その時だった。
ドォォォォォォォォン!!
凄まじい爆発音が、朝の静寂を木っ端微塵に粉砕した。
地面が激しく揺れ、天井からパラパラと砂利が落ちてくる。
「な、なんだ!? 地震か!?」
俺は飛び起きた。
ポチも「グルルッ!」と喉を鳴らし、即座に臨戦態勢に入っている。
俺たちが寝ていた岩陰の拠点から外を見ると、通路の向こうから必死の形相で走ってくる集団が見えた。
黄金の鎧、派手な杖、そして高級なローブ。
見間違えるはずもない。昨日、俺をゴミのように捨てていった元パーティ『紅蓮の牙』のメンバーたちだ。
「はぁ、はぁ、クソッ! なんで『深淵の龍(アビス・ドラゴン)』がこんな浅い階層にいるんだよ!」
「カイザー! もう魔力が尽きるわ! 追いつかれる!」
「うるせえ! 知るか!」
リーダーのカイザーが、髪を振り乱して叫んでいる。
彼らはボロボロだった。自慢の鎧はひしゃげ、顔は煤(すす)と脂汗にまみれている。Sランク冒険者の威厳など見る影もない。
そして、彼らの背後には――絶望そのものが迫っていた。
ズズズズズ……ッ!
通路を埋め尽くすほどの巨体。
闇そのものを凝縮したような漆黒の鱗。
吐き出す息だけで岩盤を溶解させる、災害級モンスターの頂点。
『深淵の龍(アビス・ドラゴン)』だ。
「あ、あいつは……相川!?」
逃げてきたカイザーが、岩陰にいる俺に気づいた。
一瞬、幽霊でも見たような顔をしたが、すぐにその表情は醜悪な喜びに変わった。
「生きてたのか、ゴミ虫が! ちょうどいい!」
カイザーは走りながら、俺に向かって指を差した。
「おいお前ら! あいつを囮(おとり)にするぞ! アイテムボックス持ちのリルの安全が最優先だ! あの無能が食われている間に逃げるんだよ!」
「り、了解!」
彼らは俺の目の前を風のように通り過ぎていった。
通り過ぎざま、魔導師のエリラが俺に向かって小石のような魔法弾を放つ。俺に当てるためではない。俺の足元を爆破し、逃げ足を止めてドラゴンの注意を引くためだ。
「じゃあな相川! 最後に役に立って死ね!」
捨て台詞を残し、彼らは転移水晶の有効範囲まで逃げるべく、暗闇の奥へと消えていった。
残されたのは、寝起きの俺とポチ。
そして、獲物を見失い、苛立ちを募らせた巨大なドラゴンだけだった。
「……朝っぱらから、騒がしい連中だなあ」
俺はポリポリと頭をかいた。
状況がいまいち飲み込めないが、一つだけ確かなことがある。
せっかくの爽やかな目覚めが台無しだということだ。
◇
一方、配信画面の向こう側では、世界中が凍りついていた。
---
## :おい今の『紅蓮の牙』だよな!?
:うわぁ……
:囮にしろって言ったぞあいつら
:最低すぎる
:クズすぎて言葉が出ない
:いやそれどころじゃない! ドラゴン! アビス・ドラゴンだぞ!
:深層のボスじゃねーか!
:終わった……
:MINATO逃げてええええええええ!
:無理だろ、あんな目の前じゃ
:ポチが唸ってるけど相手が悪い
:神獣でも幼体じゃドラゴンには勝てない
:見たくない、放送事故になるぞ
:誰かS級冒険者呼んでこいよ!
:間に合うわけないだろ!
絶望。
誰もが、この配信の終わりを予感していた。
だが、その「感情」こそが鍵だった。
「逃げてくれ!」
「助かって!」
「頼む、死なないでくれ!」
世界中の視聴者が抱いた強烈な「祈り」。
そして、画面を埋め尽くすほどのスパチャ(応援)の嵐。
それらは単なるデータではない。
この世界において、感情は魔力そのものだ。
そして今、この配信の同時接続数は、前代未聞の数値を叩き出していた。
**《 同時接続数:315,402,891人 》**
3億人。
地球上の人口の数%が、たった一つの画面を見つめ、心を一つにしている。
その膨大なエネルギーは、俺の持つユニークスキル『共感魔力(ストリーム・マナ)』という回路を通じて、物理的な力へと変換された。
シュゥゥゥゥン……!
空間が震えた。
画面越しには見えないが、俺の周囲に金色の光の粒子が舞い始めた。
それは天から降り注ぐ光の雨のように、俺の体へと吸い込まれていく。
3億人分の想いが、魔力となって俺の血管を駆け巡る。
だが、当の俺(相川湊)の認識は、やはりズレていた。
「ん? なんだか急に、朝日が差し込んできたみたいだな」
俺は自分の手がぼんやりと光っているのを見て、首を傾げた。
体が軽い。
寝起き特有のダルさが消え、全身に力がみなぎっている。
昨日の晩飯(ポチにあげた残りのおにぎり一口)が良かったのだろうか。
「グルルッ……ガウッ!」
ポチが俺の前に飛び出した。
小さな体で俺を庇おうとしている。その全身から冷気が溢れ出し、本来の姿である巨大な狼の幻影が重なる。
相手がドラゴンだろうと、主人は守る。そんな気概を感じる背中だ。
「ギョオオオオオオオオオオッ!!」
ドラゴンが咆哮した。
ビリビリと空気が震え、俺の鼓膜が痛む。
ドラゴンの喉の奥で、赤黒い光が渦を巻いている。ブレスだ。あれを放たれたら、この一帯は消滅する。
ポチが迎撃しようと身構えた、その時。
「ポチ。下がってろ」
俺はポチの首根っこを掴んで、ヒョイと後ろに下げた。
「ワフッ?」
「ダメだぞ。あんな大きな野良犬に喧嘩売っちゃ。怪我でもしたらどうするんだ」
「……(野良犬?)」
ポチが呆気にとられた顔をするが、俺は構わず一歩前へ出た。
俺とドラゴンの間に、遮るものは何もない。
俺は眩しい朝日のような光(共感魔力)を全身に浴びながら、目の前の「騒音源」を見上げた。
デカイ。確かにデカイ。
だが、今の俺にはなぜか、それが「ただの大きなトカゲ」あるいは「羽虫」程度にしか感じられなかった。
「朝から大声出すなよ。近所迷惑だろ」
俺は溜息交じりに、右手を上げた。
握り拳を作り、中指を親指に引っ掛ける。
誰でも知っている、子供の遊びの構え。
そう、「デコピン」だ。
「ギシャアアアアッ!!」
ドラゴンがブレスを解き放つ。
すべてを溶かす灼熱の奔流が、俺に向かって一直線に迫る。
「……シッ」
俺は、まとわりつく羽虫を払うように。
軽く、指を弾いた。
パチンッ。
乾いた音が響いた。
その直後。
**ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!**
世界が、白一色に染まった。
俺の指先から放たれたのは、ただの風圧ではない。
3億人の「共感」を上乗せされた、純度100%の魔力衝撃波。
それはドラゴンのブレスを正面から押し返し、消滅させ、さらにその巨体をも飲み込んだ。
衝撃波は止まらない。
ドラゴンの背後にあったダンジョンの壁、天井、そしてその奥に続く通路ごと、一直線に「くり抜いて」しまった。
ズズズ……ドォン……。
遥か彼方で、岩盤が崩落する音が聞こえる。
もう、目の前にドラゴンの姿はなかった。
あるのは、直径五十メートルほどの、綺麗な円筒状にくり抜かれた新しいトンネルと、舞い上がる土煙だけ。
「……あ」
俺は自分の指を見た。
ちょっと力が入りすぎたかもしれない。
虫を払うつもりだったが、壁まで壊してしまった。大家さん(ダンジョン管理者)に怒られるかな。
「クゥ〜ン……」
後ろでポチが腰を抜かしている。
ごめんな、大きな音を出して。
土煙が晴れていく。
ドラゴンの体は跡形もなく消滅していたが、衝撃の余波で弾け飛んだらしい「尻尾」の肉塊だけが、ポトリと俺の足元に落ちてきた。
綺麗な霜降り肉だ。表面がいい感じに焼けている。
「お」
俺の思考は、即座に切り替わった。
危機感から、食欲へ。
「美味そうな肉が落ちてきたな。ラッキー」
俺はしゃがみ込み、その肉を突っついた。
まだ温かい。
これなら、すぐに食べられそうだ。
「よし、ポチ。朝ごはんにするか。今日はバーベキューだ」
俺は鼻歌交じりに、瓦礫を集めてカマドを作り始めた。
その様子が、全世界に配信されているとも知らずに。
◇
---
## :…………………………………………
:は?
:え、今なにが起きた?
:ドラゴンが消えた?
:デコピン……だよな?
:指パッチン一つでブレスごと吹き飛ばしやがった……
:地形変わってるんですが
:新しいトンネル開通してて草
:ポチ(神獣)ですらドン引きしてるぞwww
:これが人間のやることかよ
:3億人の祈りが届いた……ってレベルじゃねーぞ!
:【悲報】アビス・ドラゴンさん、デコピンで消滅
:しかも肉焼こうとしてる
:メンタルどうなってんだこの人
:神だ
:神が降臨した
:一生ついていきます
:スパチャ5万投げました
:俺も投げる! 美味い肉食ってくれ!
画面は、文字が読めないほどの速度で流れるコメントと、虹色のスパチャ弾幕で埋め尽くされていた。
もはや誰も、俺を「ただの遭難者」とは見ていない。
無自覚なまま、俺はいつの間にか人類最強の存在として「神格化」されてしまったようだった。
「ん? また石が熱くなってるな」
俺はドローンを団扇代わりにパタパタと仰ぎながら、肉の焼けるいい匂いに目を細めた。
「うん、いい朝だ」
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