第十三話:論理の卒業、あるいは永遠の隣の席(前編)
物事の終焉とは、プロセスの中断を意味しない。それは、流動的だった変数が固定され、一つの「解」として世界に定着することを指す。
時間は不可逆な演算の連鎖であり、僕たちはその果てに、二度と書き換え不能な「定義」へと辿り着く。
三月の風に混じる沈丁花の香りはどこまでも甘酸っぱく、けれどその裏側には、もう二度と「ただの隣席」には戻れないという、幸福で重苦しい絶望が潜んでいた。
三月。卒業証書授与式の朝。
灰色の学園として僕の記憶に刻まれていたこの校舎も、今日でその役割を終える。
かつて、一度目の人生で冤罪という悪意に晒され、孤独の中で卒業の鐘を聞いたあの日。二度目の人生で、嘘の平穏の中に身を隠し、誰にも知られずに去ろうとしたあの日。
それらの記憶は、今や三度目の人生がもたらした「圧倒的な現実」によって、淡いノイズへと上書きされていた。
教室へと続く廊下。僕が歩を進めるたびに、周囲の生徒たちが左右に割れ、息を呑むような沈黙が広がる。
かつて僕を嘲笑い、踏みにじった者たちの瞳にあるのは、もはや蔑みではない。それは、学園の二人の頂点――白砂と阿久津を同時に従え、支配者として君臨する僕への、理解を絶した「畏怖」だった。
「……玖島君。卒業後のあなたの進路、そして生活環境については、私が秒単位でスケジュールを策定しておいたわ。いかなるノイズの介入も許さない、完璧な『二人きり』の設計図よ」
左隣を歩く白砂が、僕の制服の裾(すそ)を当然のように掴みながら囁く。
彼女の「つん」とした表情は、もはや他者に向けるためのものではなく、僕への忠誠と独占欲を隠すための、透明な盾へと変貌していた。
「あら。設計図なんて、紙に描いた幻想に過ぎないわ、白砂さん」
右隣を歩く阿久津が、僕の腕を抱きしめるようにして、妖艶な笑みを浮かべる。 彼女の指先は、僕の右手の甲を愛おしそうになぞり続けていた。一度目の人生で僕に死を強いたその指は、今、僕という「救い」から一秒たりとも離れることを拒んでいる。
「卒業すれば、学校という枠組みは消える。あとに残るのは、お兄ちゃんと私の『血』という逃れられない真実だけよ。……あなたの論理の檻なんて、私が何度でも悪意(あい)を持って壊してあげる」
「壊す? ……いいえ、私の論理は自己修復機能を持っているわ。あなたが介入すればするほど、玖島君を独占するための私の執着は、より強固なものへと再構築される。……あなたの存在さえも、私の救済の燃料にしてあげるわ」
廊下を歩きながら、左右で繰り広げられる、鋭利で毒々しい舌戦。
火花を散らす視線。互いを排除し、けれど僕という中心点(センター)を共有することでしか存在できない、歪な三角形。
僕はその中心で、彼女たちの「執着」という名の心地よい重みを感じながら、静かに教室の扉を開けた。
かつて僕が座っていた、あの席。
三度目の人生で、僕が「定義」を書き換え、支配を開始した場所。
そこには今、僕の両隣に二つの椅子が用意されていた。
「座ろう。……僕たちの、学園生活最後の『隣の席』だ」
僕が椅子に腰を下ろすと、白砂が左に、阿久津が右に、吸い込まれるような正確さで着席した。
灰色に染まっていたはずの世界。
それは今、二人の少女が捧げる、狂おしいほどの「執着という名の救済」によって、一分の隙もなく埋め尽くされている。
僕は、左の裾を掴む白砂の手を握り、右腕に縋る阿久津の髪を撫でた。
かつての絶望は、今やこの完璧な箱庭を維持するための、甘美な追憶に過ぎない。
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