第93話



「それじゃ、俺そろそろ帰りますね」


文樹はぐっと腕を伸ばし、置いていた鞄を手に取った。

白希もいち早く反応し、傍へやってくる。宗一は彼と一緒に玄関へ向かい、貰い物にはなるが、果物の盛り合わせを手渡した。


「そうそう! 白希は体調悪くてしばらく来られない、って店長に言ってるんで大丈夫ですよ。……実際、ちょっとバイトすんのはきつそうだし」


言葉を濁しながら、文樹は方向を変え、白希に笑いかける。


「でも。もしクビになったら次のバイト先探すの手伝ってやるから心配すんなよ。じゃあな、白希」


文樹はそう言い残し、颯爽と帰っていった。

「……」

白希は宗一がドアの鍵をかける様を眺め、静かに呟いた。


「友人って……バイト先の人だったんですか」

「うん? いや、順番は逆だよ。彼と友達になって、それから今のバイトを紹介してもらったみたい」


二人きりになり、心なしか部屋の温度がわずかに下がった気がする。


家事をしたりバイトをしたり、存外充実していた大人の自分。周りに気にかけてもらい、愛されている。

そんなのおかしい、と思った。だって自分は親にも拒絶され、納屋に閉じ込められていたのに。

「あの人は何で……私なんかに優しく接するんですか?」

それとも、誰に対してもそうなんだろうか。

それなら良いのに。宗一は困ったように眉を下げ、優しく答えた。


「ひとつは、文樹君が優しい子だから。もうひとつは、君も彼に優しかったから。……だと思うよ」


以前の白希は、今の自分には想像もつかないような性格をしている。

そういう大人になっていた。それ自体は良いことのはずなのに、胸が張り裂けそうになる。

掌や足の裏がどんどん冷たくなっていく。


バイトだって復帰は不可能だろうし、やはりこれ以上、ここにはいられない。


「もう、寝てもいいですか。まだ頭がぼーっとするので」

「大丈夫? ちょっと熱を計ろうか。そこに座ってごらん」

「……必要ありません」


指し伸ばされた手を払い、足早に部屋に戻った。一瞬、宗一の驚いた表情が目に入ったが、構わない。

熱を計る必要なんてない。“目を覚ました”時からずっと、自分は熱に浮かされてるのだから。


白希は明かりもつけず、布団の中に潜り込んだ。


ずっと外に出たいと思っていたのに……知らない人と知らない場所が怖くて、逃げ出したくて仕方ない。

けどここ以外に逃げ場なんてない。村の人間は自分を危険視している。どこへ行ったって逃げ隠れする生活が始まる。

それなら納屋に閉じこもっていた時と何ら変わらない。



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