第14話:白銀の誓い

 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が灰となって崩れ去った工場内には、静寂だけが残されていた。

 天井のガラスが割れ、そこから差し込む朝の光が、破壊の限りを尽くされた惨状を白々しく照らし出している。


 私は、膝から崩れ落ちた瑛司(えいじ)の体を抱きかかえていた。

 彼の体温は酷く低く、呼吸は浅い。

 そして、私の腕の中にある彼の頭髪は、もはや「白髪交じり」などという生易しいものではなかった。

 かつて濡羽色(ぬればいろ)だった髪の八割が、色素を失った白銀色に変わり果てていた。まるで、老人のように。いや、透き通るようなその白さは、彼が人であることを辞め、精霊か何かに近づいているような、恐ろしいほどの美しさを湛えていた。


「……っ、瑛司……」


 私は震える手で、彼の方に落ちてきた自分の髪をかき上げた。

 その時、視界の端に映った自分の黒髪の中に、一筋の鮮やかな白銀が混じっていることに気づいた。

 魂の同調(シンクロ)。

 彼と痛覚と生命力を共有した証。

 私の髪の一部もまた、彼と同じ色に染まっていたのだ。


「……紗矢、無事か!」


 父・剛(ごう)が駆け寄ってきた。

 父は瑛司の様子を見て顔を歪め、そして私の髪の白い一筋を見て、ハッと息を呑んだ。

 その瞳に、娘を巻き込んでしまった父親としての痛切な悔恨が浮かぶ。


「……すまねえ。俺がもっと強ければ、お前らにこんな真似を……」

「謝らないで、父さん」


 私は首を振った。

 これは私が選んだ道だ。瑛司と共に背負うと決めた傷だ。

 私は瑛司を近くの組員に預け、立ち上がった。

 ふらつく足に力を込める。まだ、終わっていない。

 この悪夢の工場の責任者に、落とし前をつけさせなければならない。


          *


 司令室の強化ガラスは、先ほどの衝撃波で粉々に砕け散っていた。

 私たちは瓦礫を踏み越え、部屋の中へと侵入した。


 部屋の隅、制御コンソールの陰に、白衣の男がうずくまっていた。

 科学者、伴内(ばんない)。

 彼はガタガタと震えながら、何かを必死に操作しようとしていた。


「あ、ありえない……。私の最高傑作が……神の領域に達した生命体が、たかがヤクザごときに……」

「終わりよ、伴内」


 私が声をかけると、彼はヒッと悲鳴を上げて振り返った。

 その顔は恐怖と、それ以上の狂気で歪んでいた。


「く、来るな! 私には政府の特権がある! 私を殺せば、国家反逆罪で……!」

「今さら何を寝言ほざいてやがる」


 父がドスを抜き放ち、伴内の喉元に突きつけた。

「てめえがここで何をしてきたか、分かってねえわけじゃねえだろうな。何百人もの人間を誘拐し、切り刻み、化け物に変えた。……万死に値するぞ」


「ち、違う! 私は命じられただけだ! 錦川総理と神谷社長に!」

 伴内は必死に命乞いを始めた。

「それに、これは崇高な実験なんだ! 『地下神殿』への扉を開くための!」


「……地下神殿?」

 私が眉をひそめると、伴内は狂ったように笑い出した。

「そうだ! 知らないのか? この国の地下深く、プレートの境界には古代文明の遺跡が眠っている! 核実験はその入り口をこじ開けるためのものだった! だが、中に入るには『鍵』が必要なんだ!」


「鍵……?」

「適合者の命だ! 獣神化した強靭な生命エネルギーだけが、神殿の封印を解くことができる! だから我々は軍隊を作った! 総理は、その力を手に入れて、日本を……いや、世界を……」


 伴内の言葉は、そこで途切れた。

 ズドンッ。

 乾いた銃声が響き、伴内の眉間に風穴が開いた。


「……喋りすぎだ」


 入り口に立っていたのは、晴天同盟の葛原(くずはら)だった。手には硝煙を上げる拳銃が握られている。

「こいつを生かしておけば、また同じ実験を繰り返す。……それに、こいつの口から出る言葉は、犠牲者たちへの冒涜にしかならん」


 伴内は目を見開いたまま、ゆっくりと仰向けに倒れた。

 私はその死に顔を見ても、何の感情も湧かなかった。

 ただ、彼が最期に残した「地下神殿」という言葉だけが、不気味に耳に残った。


          *


 私たちは工場内の生存者を捜索した。

 だが、結果は惨憺たるものだった。

 檻の中にいた人々の大半は、すでに投薬や手術を受け、人としての形を失いかけていた。

 かろうじて人間の姿を保っていた数十名を救出したものの、彼らの精神は崩壊寸前だった。


「……工場を爆破する」

 父が決断を下した。

「この施設、機材、データ……すべて灰にする。二度とこんな悪夢を作れねえようにな」


 辰田組と晴天同盟のメンバーが手分けして、工場の支柱やタンクにプラスチック爆弾を仕掛けていく。

 それは、犠牲者たちへの弔いの儀式でもあった。


 全員が退避し、安全圏まで離れたところで、スイッチが押された。


 ズズズズズ……ドォォォォォォンッ!!


 巨大な火柱が上がり、第四プラントが内側から崩壊していく。

 黒い煙が天を覆い、禍々しい紫色の煙を飲み込んでいく。

 炎の熱気が、遠く離れた私たちの頬を撫でた。


「……ざまあみろ」

 誰かがポツリと言った。

 私たちは燃え落ちる地獄を見つめ、無言で勝利を噛み締めた。

 だが、その勝利の味は、灰のように苦かった。


          *


 山中の拠点に戻ったのは、夜になってからだった。

 私は瑛司の枕元に座り、彼が眠るのを見守っていた。

 彼の顔色は蝋(ろう)のように白く、呼吸をするたびに胸が痛々しく上下する。


(……ごめんね、瑛司)


 私は自分の髪に混じった白い一筋を指で弄(いじ)った。

 彼が背負っていた重荷の、ほんの一部。

 それを共有しただけで、私の体は鉛のように重く、だるかった。

 彼はこれを、ずっと一人で耐えていたのだ。何食わぬ顔で笑って。


「……お嬢」

 不意に、瑛司が目を開けた。

 その瞳は、白銀の髪に縁取られ、以前よりも透明度を増しているように見えた。


「起きたの? 水、飲む?」

「いえ……それより、お嬢の髪……」

 彼は震える手を伸ばし、私の髪の白い部分に触れた。

「……似合わねえな。お嬢には、カラスみたいな黒髪が一番似合うのに」


「ふふ、お揃いじゃない」

 私は強がって笑ってみせた。

「還暦まで待てないから、二人で早めに白髪になっちゃっただけよ」


 瑛司は悲しそうに微笑んだ。

「……俺は、もう長くないかもしれません」

「そんなこと言わないで!」

「自分の体だから分かります。……中の燃料タンクが、もう空っぽに近い。あと一回……いや、もって二回でしょう」


 残酷な宣告。

 私は彼の口を塞ごうとしたが、彼は私の手を優しく握った。


「だから、お嬢。……最後の使い道は、俺に決めさせてください」

「使い道って……」

「錦川です。……あの野郎をぶっ飛ばして、このふざけた国を終わらせる。その時が、俺の死に場所です」


 彼の決意は固かった。

 止めることは、彼の誇りを傷つけることになる。

 私は涙をこらえ、彼の額に自分の額を押し付けた。


「分かった。……でも、一つだけ約束して」

「約束?」

「最期の瞬間まで、私の隣にいて。……一人で逝かないで」


 瑛司は一瞬驚いた顔をして、それから愛おしそうに目を細めた。

「……御意。この命が尽きるまで、お嬢の『盾』でい続けます」


 私たちは誓いを交わした。

 それは愛の告白よりも重く、死の宣告よりも切ない、白銀の誓いだった。


          *


 その頃。

 東京の首相官邸では、錦川治城(はるき)が、工場の爆破報告を聞いても眉一つ動かさずにいた。


「……工場が破壊されたか。まあいい、所詮は量産型の実験場だ」


 彼は手元のタブレットに映し出された、地下深層の地図を見つめた。

 そこには、巨大な空洞――「地下神殿」の入り口が示されていた。


「『鍵』は熟成された。……伴内の言っていた通り、最強の獣神化個体(オリジナル)のエネルギーがあれば、扉は開く」


 錦川は歪んだ笑みを浮かべた。

「招待状を送ろうか。辰田紗矢、そして鹿角瑛司。……君たちが最後の生贄だ」


 物語は、最終章へと向かっていた。

 日本の地下深くに眠る、太古の闇。

 そして、命を燃やす二人の若者の、最後の戦いが始まろうとしていた。


(第14話 完)

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